「野垂れ死に」の美学

孤独な晩年をむかえる覚悟の話として。
当たり前の話だが、人間生まれてくるときは
自分一人のちからでは生まれてこない。
死ぬ時くらい自力で死にたいと想うのはイケナイ事なのだろうか?
自殺の話ではない、野生動物のように己の死期を悟り、
ひとり群れをはなれてひっそりとその時を迎えたい願望の話だ。
いわく、「野垂れ死に」だ、最近では「孤独死」などと言っているが
やはり「野垂れ死に」がシックリくる。
オリンピックで盛り上がってる今日この頃、
俺の生まれた年に東京でオリンピックが開かれた、
そのために青山から千葉の片田舎への移動を余儀なくされた
高島 野十郎という画家がいて、
この人は誰にも看取られず「野垂れ死に」することにこだわった。
最近、紹介されこの画家の生涯について知り、
考察のきっかけとなった訳だ。
核家族化がすすみ、我が家のように子供無しなんて
家庭も珍しくなく、順番から言えば親が死に、
伴侶が死んでしまえば孤独の身の上になるわけで、
そのうえで、例えば末期の癌にでもなり
普通なら入院て事になるところ病院に行かず、
自宅で頑張ったとして、出来れば野で死を迎えたいと想う。
当然、街では難しいので田舎のバラックに移り住む、
しかもナマハンカな形で人目に触れないで
綺麗な白骨になるまでそっとしていて欲しい。
富士の樹海にはそんな人が集まるらしいけど、
こういうのは自殺とは違うと想うのだが
どうなんだろうか。
骨になってまで墓がどうの、永代供養がどうのって
なんでそんなに未練がましいんだろうか?
まんまと葬祭ビジネスの餌食になってるように感じる。
イサヲ
change the world (弾き語り)

もし、少しでも世の中を良くしようとか、
身の回りの環境を変えようとか思うのであれば、
イデオロギーとか正論の斧を振ってもダメな様だ!
人間にとっては立場によって正義が変わるから
自分の主張を言い合ったところで何処かの国の宗教戦争
じゃないが、結論の出ない血のみが出続ける事になる。
理屈で解っていても身の回りで自分の事となると
なかなか実践しづらい(例えば奥さん旦那さんに対する自分を想像してみて)
本気で良くしようとするなら、相手を許す勇気を持つこと
自分が正しいと思っても相手を認めることだ、
「冷静に考えれば自分の方が間違っていたのに・・・・
次はヤツの言うことを聞こう」という具合に
良い方向に向かうかもしれない。
(宮本 輝の短編「アルコール兄弟」で上手く書かれてる)
さて、前回触れた中学時代の友達のKくん、
この年齢になり判るんだけど、
彼はあの時代にそういう勇気を持ち合わせていた気がする、
素晴らしいご両親に育てられ、その本質的に高貴な勇気は
脈々と彼の子供にも引き継がれる事だろう。
どうしても、一つの小さな事件が忘れられない、
すでに、別々のクラスになり少々縁遠くなりかけたある日、
何かの用事で訪ねてきた彼に、何故か
クラスの悪ガキが絡みだした!
当然、本来なら俺がヤツをなだめて彼の用件を聞くべきなのだが、
弱気の虫が働いたか?授業の時間になったか?
あぁ~何という事か、俺はその場を離れてしまった!
30年位の年を経ているが心より謝罪したく思う。
その彼がE・クラプトンの渋い曲をリクエストしてくれたが
その曲を俺は知らなかったし、今回のテーマの絡みもあるので
以下の曲で勘弁願う。
イサヲ
弾き語り・風をあつめてみたっ!!
老けた顔、若い顔、変わらぬやつに、太ったやつ・・・・
35年という歳月がもたらしたそれぞれの時間には
正解も不正解も無く、
それぞれの人生は貴重な様な、まったくどうでも良い様な・・
4連休、締めくくりのメインイベントとして臨んだ、
約35年ぶり再会の同窓会の率直な感想である。
とどのつまり、現在の嗜好も共通の話題も判らず
発展性のある催しとはならなかった訳である、
(当然といえば当然だ!)
しかしながら、当時の親友であったKくんとの再会には
胸の高まりを覚えた(彼は俺とは違い勉強の出来る優等生タイプ)のだが、
やはり彼の様なタイプは迷うことなくその人生を築きあげつつあり、
心を打つものがあった。
写真は新バンド「BREICH」=「無頼派」のメンバーより
頂いた「キャンティー」、
昨日の事など考えつつ昼からやってしまった。
今週はブログ更新が遅れてしまったのだが、
それは、近所の公園で歌ってるところをアップしようとの
企みが、雨のため延び延びになってしまった故だ。
屋外での撮影は難しく、
集中力の持続は勿論!技術的にも
ギターと歌のバランス・周囲の雑音、
風の音(これは集めたんだからしょうがないか?)・・・・
イサヲ
