豪雨による鬼怒川等の氾濫で自衛隊に援助要請が出た。
3.11大震災の時と同様、甚大災害の時には自衛隊の統率された機動力は本当に頼りになる存在であり、報道でもその活躍ぶりを伝えるが、いつも割り切れなさが残ってしまう。それは、自衛隊を憲法違反の存在であると断じる(若しくは内心に潜ませる)一部の組織・人たちの存在である。昨今の安全保障法制の審議の中でも、野党は集団自衛権法制化による自衛官に及ぶ危険性をあげつらっていたが、彼らが本当に自衛官の事を案じているとは全く見えなかった。単に安保法案反対への便利な道具立てとして自衛隊を利用しているだけと感じた。それは、過去の海外派遣の際に、現法制に縛られ丸腰同然で送られた自衛官のことを慮れば、今回の法案が自衛官の危険度を更に増すということは、全く考えられないのは明らかだからである。本当に自衛官の安全に思いを致すならば、武器の携行と使用条件を法制化するのが筋であろう。
民主党政権のときに仙谷官房長官が、自衛隊は暴力装置であると国会で発言したことは今も記憶に残っている。そんな認識で、3.11の時によく自衛隊に援助要請ができたものと強い怒りを覚えたが、今もその根幹は変わっていないと安保法案審議で感じた次第である。彼らの得意なキャッチコピー化すれば「自衛隊タダ使い」と呼んでいいだろう。
この自衛隊に対する矛盾を俯瞰すれば、更に別の景色も私の眼鏡には映ってしまう。安保法案反対に血道をあげる人達は、日米安保タダ乗りを正当化していると見えてしまうのである。戦後70年の日本の平和は、米国の傘のもとで実現したものであり、その間に隣国は内部抗争に明け暮れて日本に脅威を与えるどころではなかった訳で、決して憲法9条を神棚に飾っていたからではない。その米国の傘の存在を正しく評価せず、あたかも勝手に存在していたかのように振舞うのは、正にタダ乗りを正当化する行為といえる。今、その隣国がGDPで日本を抜き去るほどに国力が高まり、ようやく積年の鬱憤を晴らそうと動き出していることは、事実を時系列で冷静に見れば、小学生でも判ることである。この明々白々な脅威を目前にしながら、安保法案を廃案にと叫んでいる人たちは、闇夜に真っ黒なサングラスをかけているのであろうか。そんな足元も見えない状態では危なくて一歩も前へは進めないだろう。少なくとも私はそんな人たちとは一緒に歩きたくはない。
今日の自衛隊出動を見て、安保タダ乗りと自衛隊タダ使いは同じ根幹から出ていると強く感じた次第である。そこには、個人・組織として尊厳のかけらもなく、卑しさだけが宿っている。
2015/9/10 19:30