ニュースの直感:ピケティ氏の21世紀の資本 | フェディのブログ

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トマ・ピケティの著作「21世紀の資本」が日本でも話題となっている。



著作を読まずに論評するのは筋がよろしくないとは思うが、一応のアウトラインは幾つかの経済学者等の論評で読ませてもらった。かいつまんで言えば、膨大なデータを解析し、資本主義下では経済成長が富の分配において格差を助長することを示しているようだ。結果的に過去の経済理論のいくつかを否定する内容になっているため、世界的に注目を浴びている。それゆえ、一方で批判も多く出ており、象牙の塔の中でも竜巻が起きているらしい。



経済理論的な正鵠性はとまれ、学問の世界のことであるから甲論乙駁の後に、それなりの評価も定まってくるのであろう。個人的には、過去のデータ解析からの分析は必ずしも将来の予測を確立するものではなく、ひとつの参考指標に過ぎないと考える。無論、他によりどころの無い時に、頼れる指針となるのも確かであろう。先を読む標としては余り役に立たないことで、経済学は死んだと言われて久しいが、所詮は過去の経験に基づく延長上の予測では、周辺の条件が異なるため当たらないのも当然であろう。社会は変化し続けており、過去と全く同じ状況が再現することはあり得ない。ここに自然科学とは異なる、社会科学の限界があるのではないか。その限界を承知すれば、過剰な期待はせずに冷静に経済学と向き合えるように思う。



さて、前置きが長くなったが、ピケティ氏の来日で色々な事象が現れた。民主党は氏を呼んで勉強会まで開いたらしい。国会でも長妻氏が、ピケティ氏の理論を引き合いに出して政府の経済政策について批判めいた質問をしたという。本当かどうかは別として、市民政党を自認する民主党にとって、所得格差が広がることへの警鐘を与えるピケティ氏の理論は、正に渡りに船と見えたのであろう。経済音痴の政党らしく、的を外した我田引水である。問題は日本をどのような国にしてゆくかであって、経済成長はあきらめても平等な社会をめざすのか、一部への富の集中を容認しても国の総体としての成長を目指すのかの選択であろう。格差是正に重きをおくならば、その必然として経済活動の停滞を招くことをしっかりと示し、その上で国民の信を問うのが政党としてのあるべき姿である。世界で話題になっているからと言って、その言にすがった論戦を張ろうというのは、なんとも見苦しいし、情けない。



そんな事はないであろうが、もし、ピケティ氏の理論が今後論破されて、単なる異論として葬り去られてしまったら民主党はどうするのであろうか? 私には、昨年の小保方氏の件が二重写しになって仕方がない。政治には長期的な視点が最も重要であると思う。アベノミクスもそうそうに成果が出ると思うのは間違いで、方向性さえ間違っていなければ、時間軸については問わない寛容性を持つことが国民にとって必要である。


今回のピケティ氏からみの動向で、政府のあら探しに血道を上げ、他力を使った我田引水に走る政党には未来はないと改めて強く感じた。

                       2015/2/16 16:00