ニュースの直感:朝日新聞の誤報会見 | フェディのブログ

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今日、朝日新聞の木村社長が吉田調書の報道内容が誤りであったと会見を行った。



吉田所長は自らの命を賭して、原発事故の甚大化を防ごうと、それこそ全知全能を尽くして行動したと思う。現場から遠く離れた東京に居た、時の政府要人や東電トップには、現場の緊迫度や命の危険については理解できる筈もなかったであろう。まして、パフォーマンスよろしく、カメラマンを伴って空から現場を視察しに行った菅総理は、自分の命を賭して国を守ろうとした吉田元所長とは対極にある人物であると改めて思う。本来は国民の命を守るのは政府の仕事である。しかるに、当時は吉田所長が総理の仕事を図らずも代行した訳である。結果的にではあるが、私企業の一所長に、あれだけの責務を課したことは国の危機管理システムの不備であったと言える。



この日本を救った人に対する報道として、朝日新聞の5月の報道内容は余りにも酷い誤報であった。先の慰安婦問題と同様、世界中にニュースは配信され、吉田所長やその下で命を賭して日本を救った人たちの名誉を木っ端微塵に打ち砕いてしまったのである。今日の会見で、ようやく木村社長が顔を出し自らの口から誤報を認めたが、5月の報道時に社長が内容を承知していたのかは疑わしい。おそらく現場のあるレベルの責任者の判断で、特ダネとしてGOサインを出したのであろう。



世間では木村社長の辞任を促すむきもあるが、慰安婦問題から続く、長年にわたる偏向報道は現社長のみの責に課すべきではない。組織として深く染み付いた、誤った報道姿勢、企業カルチャーが真の問題であろう。どこからか定説を覆すようなわずかな矛盾をほじくり出し、それをセンセーショナルな修辞で纏めあげ、さも一大スクープであるように大見出しに掲げてきたのである。このプロセスが日常報道の中でよしとされてきたことが朝日新聞の過ちであったと思う。新聞という報道メディアに惹かれ、一流ジャーナリストを夢見て毎年入社する新人たちが、このようなセンセーショナリズム優位の社内雰囲気の中で年を経ていくうちに、染まってしまうのはむべなるかなである。サラリーマンである以上、社内でのプロモートが行動の裏づけとなってくるのはやむを得ない面もある。先の慰安婦問題のブログでも記したように、32年間かけた間違いは32年間かけないと直らないのである。朝日新聞の企業カルチャーを正常なものにするには同様の年月がかかるであろうことは間違いない。現社長や一部役員の辞任では何も改善せず、逆に組織の要が抜けることで、一層の混乱状態となるのではないか。



朝日新聞が存続を望むなら(当然そう思っているはず)、社内の間違ったカルチャーの認知と、それへの深い内省、そしてそれを捨て去るという決意を、世間に、世界に明文化して示すことこそが必要であろう。           2014/9/11 22:30