わいふぁい
同じ沖縄であくせくしながら芸人やっている仲間たち。
初恋クロマニヨン・ノーブレーキ・いさお名ゴ支部・知念だしんいちろうという面々で行ったタイでのロケ番組。
もうどれくらい前になるかなぁ。
ふと振り返り、一番思い出として浮かび上がってくるのは、
ノーブレーキあゆむが本場のムエタイでボコられたことでも、
初恋クロマニヨンけんごがワニ園でワニに向かって行ったことでも、
ニューハーフショーの楽屋でおっぱい丸出しのニューハーフのみなさんに変な興奮を覚えたことでもなく。
どこへ行っても
「ここWi-Fiある?」
と確認し合う芸人たち。
ロケしてようが飯食ってようがとにかく気になるのは「Wi-Fi」。
あまりにも気になりすぎて、初恋クロマニヨン松田とノーブレーキぶーぶーがWi-Fiコントを延々とやってたくらい。
沖縄に増えて来たネパール人がコンビニの前でWi-Fiを求めているのを見て思い出した。
楽しかったなぁ。
うぃーふぃー。
新たに「漕ぎ出すだぐりせっしょん」
12月11日に今年で4回目となるイベントがあります。
『こきざみだぐりせっしょん』
・こきざみインディアン
・知念だしんいちろう
・Glean Piece
・King Jam Session
この2組のお笑い芸人と2組のミュージシャンで始まったイベント。
毎年12月の前半、年末というにはまだ早いちょうどいいくらいの日にいいくらいに芸歴を重ねたメンバーでやろう!と集った面々。
いい関係で、いい距離感で、いいライブを続けています。
残念ながら今年の9月にKing Jam Sessionは解散を発表してしまったけれど・・・。
身近な人達の「解散」という言葉を聞くと胸がつかえます。寂しい。
でも同じくらいの芸歴だから、そうなってしまうのもわかる。
そして何よりも、ひとつの区切りが新たなスタートになることも知っている。
だからいいじゃないか!来年へ向けて「わっしょい!」と、のろしを上げるイベントにしようじゃないか!
音楽と笑いが混ざり合ったり引っ張り合ったりする、とても珍しいイベントです。
ジャンルなんて関係ない!目指すところは「ステージ上が楽しくてお客さんも楽しめる時間」。
4年目にして新たな船出となる『こきざみだぐりせっしょん』、見に来てください。
美味いヤツ
FEC旗揚げ23周年記念公演が無事、幕を降ろしました。
二日間で8つのライブをやりました。
こんな無茶なイベントに来てくれたお客さん、手伝ってくれたスタッフの皆さん、一緒になって神経と体力をすり減らしながら舞台を作ってくれたテンブスホールの渡口さん、心より感謝です。ありがとうございました。
あれは一昨年の旗揚げ記念公演の打ち上げだったか。先輩芸人のまーちゃんさんがぐでんぐでんになりながら僕に言った。
「来年はお前が演出やれ。」
冗談なのか本気なのか戸惑っている僕に、その日も演出をしてたくさんのお客さんを満足させたまーちゃんさんが続けた。
「わかるか?今、オレが飲んでいる酒が一番美味い。」
その翌年の旗揚げ記念公演、本当に僕が演出を担当する事になった。
そして、まーちゃんさんは入院していた。
まーちゃんさんから一年もの準備期間を与えられていたのにも関わらず、僕は何も準備が出来ていなかった。何をすればいいかわからなかった。逃げていたのかもしれない。
それでも、僕がFECに入団した時からずっとこの団体を引っ張って来てくれたハンサム・仲座さんと、同じ時期から苦楽を共にして来たパーラナイサーラナイのあきらさんに支えてもらってどうにかこうにか公演を終えた。
直後に飲んだ酒は、普通の酒だった。
あれ?おかしいな。まーちゃんさんが飲んでいた一番美味い酒はどこにあるんだろう?
自分がそれを飲めなかったということは・・・。
答えは見えていたが直視するのがイヤだった。
それからまた一年。
23回目の旗揚げ記念公演。
まーちゃんさんは帰って来た。僕はまた演出をさせてもらうことになった。
二日間ある公演の初日メインステージ終え、全く気持ちの優れない僕はその日最後のライブである『なかゆくいライブ』へ向かった。お客さんも芸人も酒を飲みながら初日の公演を振り返るトークライブ。
そこで元FECだった芸人を含めた先輩達がものすごい熱量で喋っていた。
ライブが終わり、会場を後にするまーちゃんさんを追いかけ、僕は初めてまーちゃんさんに泣きついた。溢れ出す感情を止められなかった。
まーちゃんさんは笑いながら色んな言葉を掛けてくれて、帰ってからも優しいメールをくれて、おかげで僕はまた前を向けた。
そして、旗揚げ23周年記念公演が終わり、家に帰ってビールを飲んだ。
その味は、
普通だった。
だけど、それでいいと思う。
僕は「一番美味しいお酒」を飲めなかったけど、一緒に舞台に立った他の芸人が美味しいお酒を飲めたなら、舞台を見に来たお客さんが美味しいお酒を飲めたなら、それでいいと今は思う。
まだまだ「一番美味しいお酒」を飲める程の芸人じゃない。
でも、誰かに「美味しいお酒」を飲んでもらうその手伝いくらいは出来るかもしれない。今はその人達と乾杯出来るだけでいい。
先は長い。
そのうちきっと僕も「一番美味しいお酒」が飲めるでしょう。
子守唄
2014年12月、僕の愛するTHE BOOMというバンドが解散した。
沖縄育ちにの僕にとっては耐えきれない程の北風が吹く東京・日本武道館へその姿を見に行った。
2016年、THE BOOMのボーカリストだった宮沢和史が無期限の歌唱活動休止を宣言し、ステージを降りた。
小学生の頃から憧れ続けていた存在がいなくなり、自分の中の羅針盤が狂ってしまったような感覚が続いている。大げさではなく。
この感じ、前にもあったと思い出したのは小学6年の頃の担任だった吉田先生が亡くなった時。
これから歩いて行く方角は何を頼りに決めればいいのだろう。
4月、娘が生まれた。
どんなに頑張っても、僕の身体からお乳は出ないし、風呂へ入れるのもヘタクソで危なっかしい。
出来る事と言えば、彼女が眠りにつく時に子守唄を歌ってあげることぐらい。
僕の大好きな歌がたくさん、ある。
この子に聞かせたい歌がたくさん、ある。
棚から古いCDを引っ張り出して来てはiTunesに取り込み、移動中に聞き、夜は娘に歌い聞かせる。
そして、THE BOOMと宮沢さんに、やっと心で言える。
「たくさんの歌を、ありがとう。」
もうそろそろ、方角は自分で決めよう。
書いておこう
今年もオール新作ツアーが終了した。
『お笑い米軍基地12』と題して那覇市・沖縄市・名護市で全5公演。トータル2000人のお客様。
大成功だろう。
今年は稽古初日から違った。この舞台のコントを全て作り、演出するまーちゃんさんが明確に「今回目指すべき場所」をメンバーに伝えた。
例年ならどういう舞台にしたいか、何を伝えたいか、なんとなーく、いやもちろん熱量はすごいのだが、それをぼやかすように話してくれて、僕らはそれぞれで解釈しながら舞台稽古へ入って行く。
だけど今年は違った。
きっと、「今やっとかなきゃいけない」という想いだったのではないかと僕は推測するのだけど、とにかく明確に伝えた。それを聞き、緊張した。
たぶん、この舞台が始まってから初めて、まーちゃんさんが本気で演者に「求めた」から。その要求に応えられるか不安だった。
連日の稽古を経て本番初日を迎え、那覇公演、沖縄市公演と幕が上がり、下りる。
僕は気分が優れなかった。毎回コントを終える毎に、「これでいいのか?」「いや全然届いてないだろ」「どうすれば目指すべき場所へ行けるのか」・・・身体の周りに霧がかかっているようだった。
最終公演の週には本当に体調も崩しちゃうくらい。情けない。
そして迎えた名護公演。
晴れない気持ちのままリハーサルを終え、空き時間に気分転換をしようと名護市民会館の中庭へ出た。
空調の効いたホールから出て来た僕を殺人的な暑さが襲う。こりゃヤバい、余計に体調崩をしてしまいそう。すぐ戻ろうと思ったのだが、その直後、海から風が吹いて来た。
気持ちがよかった。と、同時にわかった。
「そっか、自信がなかったんだ」と。
自分を信じていなかった。
ただただ、稽古してきた自分を、考えてきた自分を、積み重ねて来た自分を信じて舞台に立てばよかったのかと。
名護での最終公演は久々に舞台を楽しめた。
たぶん、本当の芸人さんは誰かに「求める」なんて野暮な事はしない。
まーちゃんさんは脚本家でも演出家でもあるけれど、その前に芸人だ。
「求めた」わけじゃなかった。「オレはあそこへ行きたい」と目指すべき場所を宣言し、「あとは任せる!」と芸人達に託した。
名護市民会館の舞台に立って、そんな気がした。
そしてまーちゃんさん本人はその場所へ着いたと思う。そういう意味ではまた差をつけられてしまったわけだけど・・・。
終る頃にしかわからないなんて、なんて自分はぼんくらなのかと落ち込むけど、落ち込んだ事さえすぐに忘れてしまうから本当にダメなヤツだと思います。
ダメだからお笑いやってるんです。
こんなダメなヤツがどんな笑いを作るのか、これから見てやってください。
ちなみに、ここまで風呂上がりちんこ丸出しで書き綴りました。
ちんこだしんいちろうがお届けしました。
さらば。