天野祐吉というコラムニストが、朝日新聞に、「CM天気図」というコラムを書いています。無害無益というと失礼かもしれません(後注:この文章の後は、なかなか読み応えのあることも書いています)が、楽しいタッチの文章です。とても大衆受けのする文章で、ついつい私も引き込まれて読んでしまいます。私は、毎週楽しみにしています。でも、待てよ、ということも少なくありません。無害無益で、軽いタッチで読み流してくれることを期待しているような文章なので、目くじらを立てても(無粋(ぶすい)な感じもするので)、仕方ないと思うのですが、あえて目くじらをたてて、ついでに教育に関する、私の考えを述べてみましょう。
以下は、2002年8月11日付のコラムから。
「どうして子供は勉強しなくちゃいけないんですか」という公文(くもん)のCMがあるそうなんですが、私は見たことがありません。で、これに対する親の答えなんですが、確かに悩ましい問いかけです。著者は、何でもいい、といっています。
「そんなバカ言っているヒマに勉強しろ」
「しないと長い人生でソンするからだ」
「頭は若いうちに使うものだ」
「どうして勉強しなくちゃいけないかを知るために勉強するんだ」
「面白い世界へ入っていけるパスポートを手に入れるためだ」
本当にどれでもいいんでしょうか。いいって言えばいいですよね。大人の自己満足、という点では。でも、すべて、大人の、親の視点から書かれているようなのが気にかかります。著者は、大人の視点から、大人にとっての解答を用意している感じがします。大人の、大人による、大人のための解答って混ぜ返したくなります。
「そんなの自分で考えろ」というのが著者の、自分だったらという答えだそうです。
確かにこれが一番まともですね。でも、もう少し考えるためのヒントを与えてあげてもいいのではないかと思います。私ならどうするかですって?私は、決まった答えを持っていません。相手の興味に合わせて答えてあげます。でも、大体、すぐに本人を納得させることができません。そういうときは、私はあせらず、あせらず、本人が興味を持った事柄に対して、そのつど、勉強する理由を織り交ぜていきます。
たとえば、
「そんなバカ言っているヒマに勉強しろ」
といわれたとします。子供はどう思うでしょう。お父さんに、あるいは、お母さんに相談しても、無駄なんだなあと思うだけでしょう。親は、そういって納得がいくかもしれないですけど、それは独りよがりな納得で、子供にとっては、失望感しか残らないのではないかと思います。本人は、そんなばかなこととは思っていないから、質問してくるのでしょう。でしたら、誠実に答えるべきです。もし、
「そんなバカ言っているヒマに勉強しろ」
というのでしたら、冗談で言うべきでしょう。私は、教え子に、よく冗談を言いますが、明らかに冗談だとわかるような、言い方、言葉のトーンで言うことは、子供に親しみを感じさせることがあります。でも、マジで言うのはちょっと、言う側のセンスを疑わせるかもしれません。
たとえば、子供が、難民キャンプの近くで、今にも死に絶えようとしている幼児の映像を見てショックを受けたといっているとします(これは実際私の教え子があるとき言い出したことです)。そのとき、こんな切り出し方をすると、説得力があるかもしれません。
「君だったら、どうして助けてあげたい?今すぐ助けてあげることはできないのは確か見たいだけど、いずれそういう子を助けてあげるとしたら、医者や看護師になってあげるという手はあるでしょ。お金をいっぱいもうけて、そういう子を援助してあげることもできるね。どういう方法をとるにしても、頭が必要であることは、想像付くかな?医者はともかく、お金をもうけるのに、頭はいらないって?でも、朝から晩まで、力仕事をしてお金持ちになった人は、少ないと思うよ。君の周りの人でも、歴史上の人でも、誰でも、お金持ちになった人を思い描いてごらん、、、」
とこんな具合に、相手がとても興味を引いた事柄について、あくまで、相手の土俵で話していくことがまず大事なのではないかと思います。もっとも、一回で、すっきりしない子もたくさんいます。さまざまな機会をとらえて、考えさせる情報を与えてあげたらいいのでは、と思います。人は押し付けられた意見で、自ら行動するものでは、本来ないと思います。考えるヒントは、そこらじゅうにいっぱいあります。それを本人に気づかせる形で提供してあげるという作業くらいは、こちらがしてあげるべきでしょう。