前々々々々回の「6、子供が受験のとき、テレビを一切見ないと決め、子供とともにそれを実行したご両親がいます。共感しますか?yes かnoでお答えください。7、子供が受験のとき、その子供(当時高校3年生)を残して、恒例の旅行に出かけるご家庭がありました。共感しますか?yes かnoでお答えください」について、まとめてコメントいたします。
これもよしあしの問題ではありませんが、ただ、受験という観点だけで考えてみると、圧倒的に、6のタイプのご両親のお宅がよい結果を出し、7のタイプのご両親のお宅が、比較的思わしくない結果を出しているようです。私は、受験は、個々人の孤独な戦いであると同時に(この部分が一義的に大事な部分であり、ご家庭の影響をまったく受けない子であれば、これをもってよしとしてかまわないでしょう。問題なのは、そういう子ばかりではないということです)、個々のご家庭のお祭り合戦、総力戦みたいな部分が多分にあるように思っています。受験は、多かれ少なかれ、個人にいままでと比べると、異常ともいえる生活を強います。非日常性が、目の前にあるという点で、お祭りと変わらない要素があります。私は、お祭りにかかわった経験に乏しいのですが、お祭りの前なんか、よくテレビでみると、おじさんや子供たちが、異常に盛り上がっているのを観察できますが、何であんなに盛り上がれるかといえば、非日常的な別世界に、体から浸れるということが大きいと思います。受験にも同様なことがいえて、家族全体で盛り上がるお宅は、本来多少なりとも、辛抱しなくてはいけない、つらい受験勉強も、ムードの中で解消され、むしろ、非日常的なムードを楽しむくらいな気分が生まれたりします。サッカーに熱中する子、野球に熱中する子、あるいはテレビゲームに熱中する子がどうして熱中するか考えてみてください。本来ならつらいこともあるはずなのに、なぜあれだけのハードワークをこなすのでしょうか。みんなで盛り上がれるから、という要素が大きいと思いませんか。
6のご家庭の典型的なお宅では、お母さんが、今年一年間は、テレビを見るのはやめよう、と決心し(もしかしたら、決心などという大げさなものではないのかもしれませんが、、、)、テレビを封印してしまいました。お祭りとは正反対の、「静かな」ムード作りですが、受験生である子供によい兆候が現れたようです。お母さんご自身も、「新聞がこんなに面白いものとは思わなかった」とおっしゃっていて、最初静かな我が家に落ち着きのなさを感じていたのですが、すぐに、非日常的な、新しい生活になれたようです。子供のほうも、新聞をとてもよく読み、平均以下の、センスのない国語力が、受験したころには、かなりハイレベルにまで達したのですが、そして、もちろんそのための本人の努力に、私も手をこまねいていたわけではないのです(どういう対策をしたかは、そのうちに触れる機会があると思います)が、この、新聞を丁寧に読むという作業が効果をもたらしたのも大きいかと思います。1年前には、問題が難しい、難しい、といっていた子が、受験のときには、「今年の問題って、どれも簡単すぎない?きっとほかの子もいい点取るだろうな」というまでに、能力が上昇しました。もちろん、問題が簡単になったのではまったくなく、本人の努力の賜物(たまもの)であることは、いうまでもありません。
一方で、私が、不安に駆られて、いろいろ提案しても、なかなか、行動に移していただけないお宅もあります。むしろこういうお宅のほうが、さきほどのようなお宅より多いかもしれません。子供は子供、親は親、とお考えのようです。生活面ではそうなのですが、つまりムードを盛り上げようという気がない様なのですが、そういうお宅に限って、子供の成績には、とても神経質だったりします。ちょっと成績が落ちると烈火のごとくおこる、というお宅もあります。普段は、のんびりと寛容な方が、点数を見たとたんに、人が変わるのはなぜなのでしょう。本人がやるきを出すような仕組みづくりをしないで、そして、そのために、本人が、情熱を持って勉強に取り組まないで、おのずと成績が悪いのは目に見えているのに、怒るのは、理にかなわないだけでなく、本人のやるきをそぐ効果をも持っていると思います。本来、親御さんは、この逆の行動を取るべきでしょう。つまり、普段の勉強に、適度なかかわり(ポイントを抑えないかかわりも、逆効果を持つということも記しておきます)や関心を持ち、テストは、結果そのものより、どうしたために点が取れなかったか、のような、具体的な事項に興味を払うべきでしょう。で、それがきちんとできないときに、しかるべきで、本人が、今後どうしたらいいのかも示されずに、ただ怒られるだけでしたら、ただ単に、本人がプレッシャーを感じるだけで終わってしまうと思います。
このようなことにかかわろうとするとき、いかに子供が素直で、いかに大人がわがままか、あるいは、かたくなか(ちょっと言いすぎでしょうか)をときどき実感することがあります。
繰り返すようですが、受験というものは、一種異常なものがあります。しかし異常なものは、つい先ごろのワールドカップ、マージャンに熱中するおじさんやお兄さんたち、ファミコンに熱中する子供たちなどにも見ることができます。受験に伴う異常性を逆手(さかて)にとって、それをいかに演出するかが、周りの人間の腕の見せ所だと思います。
幸か不幸か、私は、この非日常性にどっぷりつかる毎日です。私に日曜日以外の休みはありません。時に、日曜日さえも仕事に占領されることもあります。それは、この仕事を選んだ私の宿命といえると思います。こういう生活を十数年やっていますが、ストレスもたまらなければ、つらいと思ったことも余りありません。私自身が夢中になれなくて、人をどうして夢中にできるのか、というのを、無意識のうちに思ってきたからだと、最近感じ始めました。もっとも、情熱を、もろにぶつけて、よい効果が出るかといえば、その子その子によるようですが、、、。