○どういう心境の変化か、いざ、アーティストの特定をしだしたらどうにもアンドリュー・ワイエスがやりたくなってきまして・・・。個展の人はアンドリュー・ワイエスにしようと思います。ワイエスの絵は日本人の「もののあはれ」とか「侘び寂び」とかそういう情緒に響く絵のようで、まったく無名の状態で個展を開催したらものすごい反響だったそうなんです。今大学からワイエスのカタログを2冊借りてきていますが、その中の文章で、「ワイエスの絵はあくまでも人の目からとらえたリアリズムだ」と述べられていました。
私は趣味と現在の役目上、皆様もご存知のとおり、最近は特に写真との付き合いが多くなっていますが、昨年履修した心理学系の講義の中で(確か造形心理学だったと思うのですが)旅行に行った際に風景に感動してそのときに写真を撮ったとして、その写真をあとから見てみると生で見たときの感覚とはまったく異なった風景に見えるというのをきいたことがあります。ジブリの宮崎駿監督は、スタジオから程近いところを散歩したりして見る空の美しさは人の感覚的な記憶でしか伝えられない、というような内容を何かの本で書いていました(あるいはインタビューだったかも)
数日前、DVD整理をしていて久しぶりにアニメ『蟲師』を見ました。「瞼の光」という話の最後に「人はいつからか二つ目の瞼の閉じ方を忘れた」という語りが入っています。二つ目の瞼を閉じると本当の真っ暗闇があるというのが蟲師の世界ですが、いつぞやの新聞で人がものを考えるのは闇、つまり夜の世界が多かったといったことを書いていた記事を切り抜いたことがありました。たぶん切り抜いた直後にここのブログで少し書いたと思います。
目や耳があることで私たちの感覚は常に外に向いていますが、意識を内に向ける時間も存在します。自分に意識を無意識的に向ける時間が夜の闇の中なのではないでしょうか。外のものが何も見えなくなったとき、そこには自分という存在しかありません。私はごくたまに意識だけが暗闇のなかにぽっかりと浮かんでいて、前後上下の感覚がまったくない、ただ、そこに「ある」だけという状態のまま特に変化もなにもない夢を見ることがあります。自分が死んでいく間際の夢を見ることもありますが、その意識だけが中に浮いた状態の夢が私が見る夢の中では一番怖い夢です。怖いのはたぶん自分が生きている今に何か自分の生きている証を残せていない、生を全うしていない感覚があるからだと思います。自分が常に100%一生懸命今を生きてたら、そんなことはないのかもなぁ、と。
こないだバイトの面接に行って来て、微妙な手ごたえだったんですが、一応採用1~5名の枠内に収まったようです。よかった・・。物流課に入るんですけど、他の部署も研修させてもらえるとか。これからなるべくできる範囲での限界までバイトを入れて展示費を少しでも多く稼ぎたいです。写真の大判、飾りたいものね。あといい加減交通費に苦労したくないので・・・私で掛けるのに足代がないくらい今貧困なかわいそうな人ですからね。服とか化粧品とか買えなくて困ってるんですよ。化粧品はまだ余裕があるのでいいんですけどね。とりあえずは足代ですね。美術館いけなくて困るから。