曖昧 | OG:LIFE

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アニメと写真のおはなし

○つかめないキャラとかそういう形として見えるんだけど固体としてつかめないものってありますよね。前回の話題に引き続いて『ベケットと「いじめ」』という本を折角借りたので読み直していたわけですが、例に挙げられていた作品は『ゴドーを待ちながら』よりもむしろ『行ったり来たり』や『わたしじゃない』という作品のほうが大きく取り上げられていました。演劇の観点から「いじめ」を舞台装置的に解体していくと構造はこうなっているんじゃないか、っていう話なんだと思うんですけども、ベケットの作品自体が意味不明でそれこそ「つかめない話」なので良く分からないんです。『行ったり来たり』という作品は概要と構造を図式に提示されてはじめて「ああ」となりました。

「いじめ」について触れているところで「匿名性の悪意」というのを取り上げているんですが、私達が一番「こわい」と思うものってなんだろうな、と考えたときに、たとえば、顔が見える人達、具体的に誰にいじめられているかがわかる環境で感じる「こわさ」と犯人が誰だか判らない「こわさ」と比較したら、圧倒的に特定できないほうが怖いんだな、ってことですよね。講談社の少女漫画雑誌で「なかよし」ってありますが、確か「なかよし」のほうの夏の時期に出てくる別冊のホラーマンガ特集冊子みたいなのに、「人間椅子」っていう話があって、女の子と幼馴染の男の子がいて、彼等はお隣同士。ある時から女の子の家には無言電話がかかってきたり、幼馴染の男の子に危害か加えられたりする。犯人は誰なのかさっぱりわからない。ジリジリ追い詰められていって、最終的に女の子の部屋にあるソファの上にポツンとおかれた紙切れがクローズアップされて、その紙には「ここにいます私は」と書かれていて、最後にタイトルの「人間椅子」ってこのことかーって当時の私は納得したんです(遅い理解)。このマンガの中で「無言電話」が出てきますが、この無言電話が「匿名性の悪意」の一番典型的な例なんだそうです。恐怖感を与えるのにそこに具体的な悪意がある必要もなくて、「正体不明の何か」という「名前も性質も特定できず、太刀打ちできない何か」というのが一番強い力を持っているんだなということが『ベケットと「いじめ」』で書かれていました。私がふとした切欠で好感を抱いた人物にサルトルという人がいるのですが、そのサルトルが、道端に落ちている石を「一個の」「道端に落ちている」「ただの石」という言葉によってその正体、性質、影響力が決められていて、それらの固体を示す情報が全て落ちた状態になると、それはもう「石」でもない「何か」という計り知れないものになって、巨大な破壊力を持つ、という内容を言ったと書かれています。ああ~なるほどな、と思いました。確かに、計り知れない何かとあっては対抗手段も選べないし、自分の力で叶うかも解らない。

家鳴りって家鳴りだとわかるまで非常に恐ろしかったりしますよね。そういうことなんだなーっと思います。



就活と卒論のことを色々考えています。もう少し物を絞らないと一年間では終れません・・・

ロバート・B・チャルディーニ, 社会行動研究会
影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか
李御寧
ジャンケン文明論

サルトルの目を啓かせた人物にフッサールというドイツ人があげられると思うのですが、フッサールの思想を私はまだ読んでいないのでこれは是非読まねばと思います。私が普段とめどなく考えていることに何かしら解決の糸口がみつかりそうな雰囲気を持っている人物・・・のような気がします。

私がサルトルをステキだなあと思った切欠は彼の幼少経験とその後の生き方なのですが、思想を追うと非常に共感できる部分があるのだなぁと今更ながらに発見しました。思想は生き方に現れてくるものなので具体的にわかった、というほうが正しいですね。