再入院の日のこと | 39歳 癌になったママ女医 〜Cancer Gift〜

39歳 癌になったママ女医 〜Cancer Gift〜

消化器内科医 緩和ケア医 2児の母 
39歳で子宮頸癌と診断されました。
それからの経験がどこかで何かの役に立てられればと思い、綴ります。
癌の手術や化学療法などの治療に挑む方。
小さな子どものママで癌を患った方。
医師としての自分、母としての自分に。

手術後の追加治療として

同時化学放射線療法を受けなければならない。

手術はR0切除ではあったが、このままでは’必ず再発します’

と言われているからだ。

 

約6〜8週間の予定で入院だ。

コロナの影響でその間面会も絶対禁止。

かなり、長い。

 

その入院日のこと。

 

夫が病院まで車で送ってくれることになっていた。

 

私にとっては、この日は皆としばらくお別れ、且つ

同時化学放射線療法という未知の苦痛に挑みに行く、

という覚悟の朝だった。

 

しかし、どういうわけか

病気のこととは全く関係ない本当に些細なことで、

夫婦喧嘩が勃発した。

喧嘩というより一方的に夫がキレたという感じ。

あまりにも些細すぎて理解不能で怒り出した夫にびっくりした。

ただ、私も納得できない理由でキレられたら受け流せないタチ。

対抗してしまった。

 

病院へ出発する時間まで、仲は修復できなかった。

 

入院の荷物がかなり多かったので、病院へ車で送ってくれる約束までも放棄されたら私としてはかなりピンチだったが、

その辺の理性はギリギリ保っていたのか、

黙って車は出してくれた。

 

車中でも2人の膠着状態は続き、始終沈黙。

しかしこういう日に限って事故で道中大渋滞。

40分ほどで着くところが、2時間くらいかかった。

 

黙っていた私だが、この喧嘩はもうどうでもよかった。

無事に病院に到着さえさせてもらえれば。

だって、もう入院したらしばらく会わないのだし、

夫の意味不明な怒りは離れていたらいつか収まるだろう。

 

 

私には、これから重大な治療が待っている。

 

 

前回手術時の入院は3週間ちょっとだった。

今回はその倍以上だ。

 

面会禁止だから、この間子どもたちとも全く会えない。

こんなに長い間家族と離れるとはどういうことなのか

想像もできないくらいだ。

 

 

それに治療はどのくらい辛いんだろうか。

 

 

一時退院の間の約2週間は、

できる限り術後の消耗から体力を戻すことに勤め、

できる限り夫には休んでもらい、

できる限り家族と楽しい時間を過ごすことを考えた。

 

こどもたちのこの間の認識は

「お母さんはお腹を切ってガンをとってもらった」と

理解しており、それでもまた入院して治療が必要なことは

6歳と3歳には説明が難しかったが、

「ガンというのは強いやつだから少しも残らないように、もっと治療が必要なんだよ」というような説明をした。

 

こどもたちは母の再入院について

「え〜」

とかそういったことは言ったが、

ものすごく寂しがって泣いたりとかそう言った反応はなかった。

 

それは多分、先の3週間がそんなに寂しく辛い日々ではなかったという証だろう。

 

つまり、夫の頑張りにより、こどもたちも楽しく過ごせていたということだ。

 

そう考えると

たまにわけのわからないことでキレる夫ではあるが、

夫のことは尊敬だし感謝してもしきれない。

妻の病で気を揉む中、家事、仕事、育児、通常の育児に加えて長女のお受験対策。

これを文句ひとつ言わずやってくれたのだ。

 

 

これを更に2ヶ月近くもこれから再びやってくれるのだ。

 

 

この日、些細なことで怒り出したのは、

これから2ヶ月近くのワンオペ生活への不安があってのことだったのだろう。

 

 

そう考えると、

最初は’理解不能’と思った怒りも

納得できた。

 

 

コロナ禍となる前は夫が毎晩会食で深夜帰りの生活だったから、私の方が平日は殆どワンオペ育児だった。

しかし、こんなに何週間も続けて丸々のワンオペをやったことはない。もし自分が夫の立場だったら、先の3週間ですでに発狂していただろう。

これからまた2ヶ月も…と思うと。


 

 

夫にはこの先

どうやって恩返しをしたらいいんだろう。

 

 

まずは、しっかりと治療を頑張って癌に打ち勝ち元気になること。

それから…

 

 

簡単には答えが出せない。

入院中にそのこともじっくりと考えよう。