人生のシナリオ | はぴいち~Happy each other~のブログ

はぴいち~Happy each other~のブログ

お立ち寄りいただいたみなさん
どうもありがとうございます。

このブログは私の気づきや体験、
また日常を綴っていきたいと思っています。

そして書きながら 常に自分も
自身を見つめ直し、しっかりと自分の道を歩んで行こうと思います。

母が脳梗塞で入院し退院してから

もうすぐ1ヶ月経つ。



慣れない生活にも

ようやくお互いに慣れてきて

穏やかさを取り戻しつつある。



先日受けた要介護認定調査の結果が届いた。先に母の分だけ。

母の結果は「要支援1」だった。

父の認定は病院から出してもらう資料が遅れた都合で結果は少し先になりそう。



要介護(要支援)には状態によって区分があって

要介護1~5

要支援1、2

の7区分があるそうだ。



母は一番軽い状態になる。

食事や入浴、排せつなど日常生活自力で行えるが 立ち座りなどの動作や買い物・掃除などの際に部分的な支援が必要となる状態。←まさにこれ!



要介護等認定基準時間は25分以上32分未満。

区分支給限度額は50320円。

限度額を超えないようにケアマネージャーさんがプランを立ててくれるそう。

来週 包括支援センターに連絡をいれてみようと思う。




母は家の中では杖がなくても歩けているけど、病院などで外に出るとやっぱり杖が必要。

平坦に見える舗装された道路も、小さな高低差がたくさんある。



見守る私はいつ転んでしまうかとヒヤヒヤする。

小さな高低差をなんともなく歩けるって実はすごいことなのかもしれない。

無意識にその高低差に体が反応するから普通に歩けるんだ。



でも思いがけない副産物もあった。

私は母と腕を組んで(支えてるんだけど😅)歩いたのは 多分初めてな気がする。

子どもの頃に手を繋いだ記憶もない。

お互いにくっついて歩くことになんの躊躇もないのは病気のお陰だったりする。



「今日は学校でどんなことがあった?」

「別に。いつもと同じ」

「同じってことないでしょう?」

「・・・・・黙」



私が小学生の頃、夕飯時の母との会話はこんな感じだった。

当時の私は懐き方が分からなかったし、母親から求められていることに応えられない自分は嫌われてると思ってた。



私は母親に 干渉されることや決めつけられること、否定されることを極端に嫌がって いっぱい反抗もした。

けど父も母も 今でもずーっと私の父と母でいてくれる。

血の繋がりとか関係なく、私は無条件で娘でいて良かったんだと理解したのは もっとずっと後の話。



私に娘が生まれるまでは

何となく距離感があった母との関係。

その距離を娘(孫)の存在が縮めてくれて、

今では母の病気をきっかけに毎日今日あったことを話してる(笑)



思えば、親子の縁を切るつもりで私が家を飛び出した時も、自分が病気になったことで縁を繋いだままにしてくれた。



病気って痛いし辛いしお金かかるし

いい事ないって思ってたけど、

案外悪いことばかりじゃなかったかも。



病気の度にチャンスをもらっていたのかもしれない。


「あんたなんかいなきゃよかったのに」

と母に言われたから、

「あなたがいて良かった」

と母に言ってもらうために一生懸命だったけど、



本当は懐きたかった。

もっと仲良くなりたかった。

色んな話がしたかった。

一緒にいっぱい笑いたかった。



私が嬉しいのは褒められることより、

こっちだったのかも。

6歳から拗らせたものが50歳を前にようやく見えてきた(笑)



な~んだw

これ母に言うだけじゃんね。

今なら言える気がするよ。




「やっと気づいた?😏」って

どこからか声が聞こえてきそう。




私の人生の宿題

ひとつ終わらせられるといいな。






それにしても人生のシナリオは

本当によくできてる(笑)






はぴいち