その後山野に埋伏すること数世紀
有るときは数々の有力な武家勢力に帰順し続け、生き延びた
江戸期に入ると赤穂四十七士の中に一族出身の者の名がみえる
祖母B子が生まれた頃は、まだ比較的裕福な家であったかもしれない
祖母B子には兄A男が一人おり、家督を継ぐべき立場にあったが、幼少時には両親とも他界していたともきく
A男、B子はその祖母に育てられた
その母C子は四国遍路のさなか、旅先で亡くなった
きくところでは、四国遍路に旅立つ当日の朝、はきもののはなおがきれたという
周囲は縁起が悪いからと出発の日延べを勧めたが、一行に迷惑をかけるのを嫌い、意にかえさず出発したともきく
はっきりと暗雲がたれこめはじめたのはその頃からではなかったかとも思う