もう1つの逆回転は効率化です。つまり原価低減です。
普通は効率化=大規模機械化です。スケールメリットです。
大型の機械設備で大量に生産すれば安く作れる、と言う話なんですが、ココにもチョット怪しい「言葉の綾」があります。
(↓ウチは完全人力化、エッサホイサ足で踏みます。健康に良いです。)
アレは大規模だから安く作れる、と言うより「大規模にしないと採算採れない」って言った方が正しいですよね。
何千万円とか何億円とかの設備を作れば、人力でやってた時の数百倍の量を生産しないと元が採れません。
前回も引用した井原豊氏の「痛快ムギつくり」、今回もこの元ネタからの受け売りなのですが、P12にこうあります。
「五反だから50万円もうかるが、2町では200万円もうからない。
面積を拡大すると手入れはゆき届かないし、それに伴う機械設備に大型化を要し、投資貧乏にになるからである。
ーーーー 中略 ーーーー
五反程度の小規模麦作でこそ、超多収が可能であり、思わぬ夏のボーナスで顔がほころぶのである。」
とあります。
つまり安価な設備で耕作可能な同一面積だったら、「機械化」より「多収化」の方が重要って事なんですよ。
(↓ワンコ兄弟も麦畑は大好き。ドックランに早変わり。葉っぱをガジガジ食べたりもします。)
トラクタやコンバインは作業を効率化してはくれますが、収穫量を増やしてくれるワケじゃありませんからね。
だから、面積拡大しなかったら収量は変わらず支払いは増えるって事です。
ま、作業が早くなるから、空いた時間で他の仕事ができますけどね。
それをマジで地で行ったのが昭和の兼業化なんですよ。
農業生産の方を向上させる事は放り投げて、農業機械と農薬と化学肥料で時間短縮だけやったのです。
それで空いた時間で会社や工場に勤めて、そっちで主な収入を得ておいて、農業の方は片手間でやったって事です。
で、あわ良く宅地開発や道路建設計画にかかれば、高値で農地が買収されて一攫千金土地成金ってコースを待ち望んだワケですよ。
(↓チビタ監督は毎日厳しいチェックを欠かしません。)
(↓時々、背中を使って麦踏み作業に参加したりします。が、戦力外です。)
では、そんな横着省力化の前はどうだったのでしょう?
私は最近ちょっと考えが変わって来ました。
以前は、とにかく投入資本を減らす事を第一に考えていました。
だから、無農薬、無肥料、無農機が理想。
一銭も原価をかけずに、その上、粗放放任で労力もかけずに栽培するのが最高、と考えていました。
それは今も変わりません、が、じゃあその次は何か?って考えると、日本の昔の農業のやり方が思い浮かびます。
(↓コムギ、「せときらら」です。右の3列は麦踏み済み、左3列はこれから踏む所です。)
んで、今回、それで栽培効率が高まった、ってワケじゃありませんけど、考え方としてそっちの方向も悪くないんじゃないの?って最近思っています。
日本の昔の栽培のしかたってどうだったかと言うと・・・・
先ず、農業社会の構造ですが、思いっきり大雑把に言うと、土地不足です。
なんだかんだ言っても、イネは連作障害は無いし、ムギより実質収量は多いし、コメだけ食ってても生きていけるし、で、徐々に人口増えるんですよ。
ムギは畑で作るので、同じ場所で作り続けると連作障害で収量が低下するので、中世ヨーロッパの三圃式農業みたいに、定期的に休耕したり輪作したりしなければなりません。
実質収量は例えばコムギだと800kg/10a穫れても粉にすると半分近くフスマですからね。イネだと500kg/10a穫れればほぼその量のご飯が食べれますからね。
そんなこんなでアジアの稲作地域は人口が増え易いワケです。
が、土地は増えません。特に日本みたいに平地が少ない地形だと増えた人口が耕す土地がありません。
(↓ココは正確に株間20cm、1箇所3粒播きなので、まだ株が茂ってなくて寂しい感じです。)
その上、日本は通貨の基準が米の穫れ高だったワケですから、経済の仕組み上も米が穫れすぎるとインフレになって困ります。
ですから、技術的にも社会的にも、急激に農地を増やす事はできなかったんじゃないかと思います。
そこで農家一軒当たりの規模を維持するため、長子相続として次男以下には土地をワケず、家督は長男1人が受け継ぎ、他の子供は都市へ出て丁稚奉公とかやって商人や職人になったのでしょう。
それでも感染症とかで小児死亡率が高く、人口が急増はしなかったから、江戸時代には長く社会が安定していたのでしょう。
(↓コレは六条大麦の裸麦です。コムギよりゴツい感じです。)
だけど、作る側の理屈としては、面積が増やせないなら、一定の面積からどうやってより多くの収量を得るか?って方を考えますよね。
そんな気分になってる時に、手元を良く見れば夏はイネ、冬はムギじゃないですかッ!!
イネ科作物と言うのは集約栽培で収量が飛躍的に増大すると言う素晴らしい特性を持っています。
直播きより田植えの方が株が大きくなって沢山穫れます。コレはムギも同じでイネの田植えと同様に苗を作って移植栽培すると株がごっつくなって大きな穂が出て増収します。
アジアモンスーン地帯はもともと植物が物凄く繁茂する気候なので放っとくと田畑は草茫々となります。だから真夏も真冬もガンバって草取りすると気候の恩恵はすべて作物に集中して増収します。
ムギはしっかり麦踏みを何度もやって、除草中耕土寄せで増収します。
とうぜん、今の様に化学肥料はありませんから、堆肥、厩肥、人糞尿、刈草、カッチキ、その他なんでもかんでもこまめに田畑に入れます。
毎日、ひと株ずつガン見して、病虫害が出ていれば早めに対処します。まあ、農薬はないので手取りをしたり、罹病株を抜き取ったり、畦で火を炊いたり、油を流してウンカを水面に落としたり・・・
とにかく手間をかけまくる集約栽培を行って限られた面積からの収量を向上させたワケです。
そう言う集約農法の伝統があるから、日本では「勤勉」が美徳として称賛される文化が発達しました。(でも、殆どの人はホントはそんなに勤勉じゃないから、やったふりする誤魔化し文化も発達しました。「ニッポンすごいッ!」とか思ってる人は、よく胸に手を当てて思い返して見てください。)
(↓日本での記録では、コムギよりオオムギの方が収量は多かったみたいですね。
今は、コムギの方が穫れるような気がしますが・・・)
そんな風に集約農法が発達したので、江戸時代に日本の農地ほ見たヨーロッパ人は「すべての農地が農業というより園芸として高度に管理されている」と感じたそうです。
園芸と言うのは本来は趣味栽培の事ではなく、技術と資本と労力を高度に投入する集約農法の事です。
最近は、人件費が高くなり過ぎて(今、チョット周辺国に抜かれはじめましたけどね)集約農法は難しくなっています。
でも、農業は本来個人事業主で、労働力は事業者の労力ですから労賃もクソもなくて、やりたいだけやれッ、寝る時間削ってでもやれッ、やったもん勝ちッ、って世界なんですけどね。
だってそれで得られた収益は全部自分のモノですからね。
経営者に労基法は適用されませんよ。
雇われてる労働者には、最低賃金だの8時間労働だの、休日何日だの制限がありますけどね。雇ってる側がやらせてるワケだからね。
でも自分が経営者としてやってる場合は、やりたい放題、好きなだけやって好きなだけ稼いでください、が当たり前です。だから労働時間に制限などありません。
これは農業だけの話ではなく、商業でも製造業でもサービス業でも何でも一緒です。
ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも、成功する前は夜も寝ずに夢中で働いたみたいですよ。
(↓コレは二条大麦(ビール麦)の裸麦です。草姿はオオムギとコムギの中間の感じです。)
それはともかく、作物によっては、色々世話をやくと飛躍的に収量が増えるモノがあります。
ジャガイモなんかでも、栽培期間を長く取れて、肥料と土寄せをしっかりやれば倍くらい穫れますからね。
生産効率は、収益÷投入資本です。農業では一応、収益は収穫高です。
投入資本は小さいほど良いワケですから、安い肥料、無農薬(石灰等で代用或いは耕種的防除、或いは耐病品種)で栽培して、労賃として計算しなくて良い自分の労働量を増やして対処すれば、生産効率が上がって儲けが増えるって事になります。
(ビール麦は収穫期が早いので、イネと交代で作り易いです。)
こう言うと地獄のような過酷な労働に耐える、みたいな感じになりますが、ソコは農業機械の様な高価な設備投資ではなくて、安価で小型の機械を使ったり、道具や作業手順の改善で負荷低減を図ったりしてソッチの問題も解消すればバンザイです。
今では、AI活用とかロボットとかも使える様になり始めています。まだまだIT企業にお願いしないとできませんけど、いずれは自分で作れる安価な農業用IT機器も出てくるでしょう。
アレやコレやで工夫して楽に短時間で仕事こなせる様に自分で改善すればイイですね。
近年のオランダの施設園芸などでピーマンとかを3mも4mも高く伸ばして大量収穫しているのも、見方によれば限られた面積でより多くの収穫を得る為の技術と言う事で、同じ考えが基礎にあります。
(↓品種は「キラリモチ」二条の裸麦のモチ性です。麦ごはんにオススメ。)
そう言う事が可能であれば、大規模企業型農業の「スケール・メリット」に対抗して、小規模個人経営での「スモール・メリット」も有り得るのではないでしょうか?
勿論、それだけでは難しい面もありますからね、作目や品種で差別化するとか、特異な他に真似の難しい品質をウリにするとか、そう言う戦略も合わせての話ですけどね。
農業の世界は、タダでさえ、新規参入者の入りづらい閉鎖的な世界です。
それは農村文化が排他的だからです。でも、文化だからそうそう変わりません。
最近は、そうは言ってもやり手が居ない(身内は誰も跡を継がない)から、外部から入ってくる人も拒めなくなってきていますが、農外から入って行く側から見れば、不公平で差別的な世界ですから、あんまり好んで入りたくはない、と言うのが実情ではないでしょうか?
その上、大規模化、企業化が進むと、個人での参入は更に困難になります。
小規模な個人が気軽に取り組める様でないと、タダでさえ血の巡りの悪い産業構造が更に動脈硬化を起こして、息絶えてしまうのではないかと危惧しています。
どんな産業でも、文化の世界でも、そのシーンに毛色の違う新人が現れて来なくなったら進化は止まり衰退します。
日本の農業はとうの昔にその状態になって、今や脳死状態に近いヤバい段階です。
小規模、少資本でとりあえず暮らせる農業の形ってとても大切なのではないかと思います。
因みに、家庭菜園や趣味栽培だと、それ自体が娯楽ですから、思いっきり労力投入が可能です。それ自体が目標ですからね。
家庭菜園の穀物や野菜は、一株当たりの資材、労力の投入量はプロ農家の作物よりはるかに大きくできます。
ですから、方法さえ間違えなければ、家庭菜園の方がプロ農家より良い作物が生産できる可能性も十分に高いだろうと思います。
ドイツでの「クラインガルテン」、ロシアの「ダーチャ」、キューバの「ウエルトス・ポプラレスhuertos populares」など各国で似た様な事例が存在します。
って事で、粗放放任の自然農法と、集約徹底管理の日本的栽培、まるで水と油に見えますが、そのベースには自然環境、自然生態系の生産機能が働いているのですから、ケースバイケースで上手く組み合わせて合理的な栽培ができるんじゃないか?って、まだあんまり出来てはいませんが、日々、そんな事を考えながらムギ踏んでます。