コレね、2018/05/02 10:35にフェイスブックページに書いた記事です。
ヤフーブログから引っ越してきて、ヤフーの方に書いてた記事は全部こっちに来てるんだけど、1年くらいヤフーに書いてなかったのでその間の記事をチョイチョイこっちに追加します。
どうもこのところ「自然農法」が劣化してるんじゃないのか?
今こそ、「福岡自然農法」を再検証すべし!!
と言う話です。
申し訳ありませんが、メチャ長いですよ。
本当の自然農法を目指すッ!!って方はお読みください。
Twitterに
「自然農法」には2つある。
「自然農法」を謳って農産物を高く売る「自然農法(商法)」と、
「自然農法」を使って農産物を安く作る「自然農法(生産方法)」。
どちらが本物か?
自然の力によって作物が育つのなら安くならないとオカシイよね。
と書いたら、文句を言ってきた人がいた。
「自然農法は労力がかかるので高いのは当然」とか
「高く買う支持者がいるから高く売っている」とか
「経済学的にも商品を高く売るのは良い事」とか
「生産効率が高まると農産物は価値ゼロへ向かう」とか
「経済学では過剰供給は自然な流れなので、高品質化と政治家への働きかけが大事になる」とか・・・・
どうしてこんなオカシナ考えが蔓延したのか?
原因は2つあります。
一つは、このところの「自然農法ブーム」、ハッキリ言えば「木村秋則ブーム」。
もう一つは、現政権の経済政策。
この2つが重なって世の中にオカシナ認識が広まっているって事。
木村氏の活動は自然農法を広く社会に認知させたと言う点で高い功績があったと言わねばなりません。
問題は、その亜流です。
つまり、自然農法人気に乗っかって売れてるだけなのに、恰も自分の実力で売れてると勘違いしている人達。
こう言う人達を見ると、チョット表現は悪いのですが、
「AV見て自慰行為にふけっているうちに、AV女優にハマり過ぎて、同化欲求が抑えられなくなり、とうとう終いにはニューハーフになってしまった。そしたらそれが結構受けた」
みたいな気持ちの悪いモノを見た印象を受けます。
あ、ニューハーフが気持ち悪いって言ってるんじゃありませんよ。最近うるさいからちゃんと断っとかないとね。
自分では何も創造してないのにマネ、マネ、マネでブームに便乗してキワモノで売れてるのを実力と勘違いして一人前の能書き垂れてる、のがキモチワルイって事です。
ビジネス的にはそれもOK、木村農法は何やってるのか良く分かりません(栽培技術書出てませんからね)が、まあまあ、そう言うのも良いでしょう。
ワザワザ高い値段で買いたいって人に高く売るのもOKですよ。商売としてはね。
購買者が満足、納得してさえいればOKですよ。
でも、そう言う人は私に文句言って来るんじゃなくて、自分のタイムラインで「私の自然農法は手間かかってしようがないから、ウチの野菜はメチャ高いです」って言ってれば良いだけだからね。
自分がそうだからって、世の中の自然農法を全部そんなイビツなものにしなければ気が済まないってセンスが救い様がないと思う所ですよ。
ブームなんかになって周りの皆がもてはやすと、当たり前の事がわからなくなって、オカシナ事してる自分の方が優等生に見えてくるんでしょう。
もう一つの、
「経済学的に高額商品を売るのが良い」
「価値ゼロへ向かう」
「過剰供給は自然な流れ」
とか言うのは、そりゃ政府系経営セミナーなんか行けばこう言う事、言いますよ。
日銀が6回も期限延期してもまだ物価上昇目標を達成できないんだから、お役人さんやお役人さんから仕事貰ってる先生方は「安く作って安く売れ」なんて言えるわけがない。
印象操作に踊らされちゃダメだよ。(ッてソーリも言ってます。あ、コレ書くと信用されなくなるか・・)
たしかに人類の歴史で、食物はだんだんと容易に入手できるようになってきて、安価になった=価値が低下した。様に見える。
でも、それは相対価値で、生産性とは直接には関係ないんですよ。
過剰に作らなければ良いだけだから、生産性の問題じゃなくて生産管理の問題。
ヤシの木や熱帯果樹がたくさん生えた無人島に自分1人しか人間が居なかったら、食べ物は寝転がってても入手できるし、取るのが間に合わなくて落ちて腐ってても惜しくないでしょ。
供給される量と必要な量の比率の問題でしか無い。需給バランスね。簡単に言うと「相場」。
農耕が始まると、より確実に食物が入手できるようになり、一旦価値が下がる↓。
でも、腹一杯食べれて暇があれば、人口が増えるから不足して価値が上がる↑。
不足したらよりたくさん取れる農作物を探したり品種改良したり栽培技術が向上したりで収穫量が上がってまた価値が下がる↓。
生産性が高まって、1人の農民が数人分の食料を生産できるようになると、あとの人達は遊んで暮らす様になる。
すると暇があるから道具を作ったり、生活用品を作ったり、絵を書いたり、歌を唄ったり、武器を作ったりも出来るようになる。
それで農民以外の人口が増えると、また不足して価値があがる↑。
不足が深刻になると近隣国に戦争を仕掛けて調達しようとする。上手く行くと領土が増えてたくさん食物を入手できるようになり価値が下がる↓が、ヘタをするとたくさんの死者が出て生産が落ち込んで食糧不足となり価格が高騰する↑。
そう言う事を繰り返してるんですよ。
需要と供給で決まってるダケです。
実際にホンの数十年前に、敗戦で植民地を失ってソコから供給されていた食料が絶たれて食糧難になったでしょ?
戦後の食糧難、知ってます?
食べ物は調達しない訳には行かないから、都市住民は農村へ行ってとんでもない値段でコメやイモを買ったんですよ。
いざ食物が足りないとなると、食べれない貴金属なんかよりイモの方が値打ちがあるって事になるんですよ。
ダイアモンドの指輪とサツマイモを交換しなくちゃならなくなったワケです。
同時に農作物にはそんな相対価値だけじゃなく、もう少し絶対的な価値もあるワケです。
こんな事は実際には無いけど、例えば或日突然、自由化でアメリカのコメがキロ千円で入ってきたら、日本のコメは暴落しますよね。価値が激減するワケです。
でも、5~10kgのコメがあればヒト一人が一ヶ月生きれる、って価値は変わりません。
丁度、質量と重量みたいなもんで、天秤で計る質量は地球でも月でも同じだけど、体重計の重量は引力の弱い月では1/6になるみたいな話ですよ。
経済社会での相対的な価値は相場で変動するけど、人間にとっての食品としての価値は変わらないんです。
必需品ってのはそう言う意味ですよ。
だから農業機械や農薬や遺伝子組み換えの技術が高まって生産性が向上すると価格は低下する↓けど、気候変動や農地の荒廃や連作障害や表土流出で環境が悪化すると、アッと言う間に価格は高騰↑します。
ちょっと前にバイオエタノールが流行ってトウモロコシとかがソッチに回されて穀物相場が高騰↑したでしょ。
品質がどうとか政治活動とかじゃないんです。
そう言うのは今の状況を土台にしての話で、全体の大きなメカニズムとは関係無いんです。
て事で、そう言う議論は自然農法はどう言う農法か?と言うテーマとは何の関係もない「混ぜ返し議論」でしかない事が分かります。
で、最初に私が言った事をもう一度。
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「自然農法」には2つある。
「自然農法」を謳って農産物を高く売る「自然農法(商法)」と、
「自然農法」を使って農産物を安く作る「自然農法(生産方法)」。
どちらが本物か?
自然の力によって作物が育つのなら安くならないとオカシイよね。
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農業経済の話でもなく、ブームの話でもなく、「農法」の話です。
生産方法として「自然農法」が実現されていれば、低コストで生産できるんじゃないの?と言う事です。
文句言ってくる高く売ってる人達は、
「技術が有って安く作ってるけど売値は高く設定して暴利を貪っている人」
か、
「技術が無いから安く作れず、元取る為に高く売ってる人」
のどちらかです。
「暴利を貪っている人」が自分から「私は暴利を貪ってるけど、文句言うな」と名乗り出てくる事はあまりないでしょうから、大抵は「自然の力によって作物が育」っていない、と言う事なのでしょう。
そこで普通だったら、「オカシイな?ウチでは自然農法を行っているはずなのに、どうしてこんなに手間がかかってしまうんだろう?自然農法が上手く出来ていないのか?それとももともと自然農法なんて不可能なのか?」と言うような疑問が沸かないとオカシイでしょ?
物事の道理をちゃんと考えられる大人ならね。
自然の中ではちっとも労力などかけていないのに、山栗や山柿がたわわに実っている。
ワラビやゼンマイなどの山菜は毎年たくさん採れる。
あんな風に作物ができないのは何かが間違ってるんじゃないか?
自分がヒーヒー言って働かなければ作物が出来ないのは何故か?
バタバタ働いているのは何か自然に反する事をしているんじゃないのか?
そう言う疑問と同時に、
「あんな風に福岡正信氏が書いているような事は実際には起こらないんじゃないか?」
と言う疑いを持ちながら、もう30年近く、福岡氏の本に書いてある事を見よう見まねでやって来ました。

(因みに書籍は「無〈3〉自然農法」がお勧め。「わら一本の革命」は技術論は薄いからね)
元来私は現代農学を学んだのでアンチ自然農法でした。でも確かめもせずに否定するのはオカシイので反証するためにやってみたんです。
すると、やはり野菜は草に埋もれ虫に食い荒らされて殆ど収穫できませんでした。
病害も発生するし、肥料不足でろくに育たないものもありました。
「やっぱりできんワ!」と思ったけど、しばらく続けていると色んな事が見えてきたんです。
圃場全体を良く良くチェックしてみると、作物栽培にプラスになると考えられる様々な現象が見え隠れしているんです。
福岡正信氏が仰っているのはこう言うことなんじゃないかと思わせる現象がポツポツと現れてきました。
トウガンは種播きも施肥も薬散も耕起も除草も何にもしないのに、毎年勝手に生えてきて毎年勝手に大きな実を付けました。
草を刈り倒して放置する、しばらくするとその下の土がフカフカになっていて鉄棒で突くと50cmくらいズブズブと入る様になっていました。
ミミズは土の中にいるんじゃなくて、湿り気を保っている草の根本に居てヘビみたいにニョロニョロ這い出して来ました。
種播きもしないのに、耕作放棄田に一面にイネが勝手に生えて、秋には普通の半分くらいの高さになり小さな穂をたくさん上げました。
でも、次の年には全く生えませんでした。良く見ると地面にたくさんの小さな虫がいました。「ゴミムシダマシ」と言うコメ粒を食べる虫でした。
ウンカが多発した水田では、良く見ると稲株一つ一つに数匹ずつのクモが住み着いていました。
タネが実った野菜からは必要なダケ採種して、あとはその場で刈り倒しておいたら、翌年もソコに野菜が勝手に生えました。
けど、放置して置くと数年で生えなくなりました。
アマガエルが大発生した年には、キャベツは殆ど青虫にやられませんでした。小さなカエルが葉一枚に一匹ずつ乗って守っていました。
でも、翌年カエルをたくさん捕まえてきて圃場に放すと数日でいなくなりました。
作物に害を与える病気や虫は野良生えの野菜にはあまり発生しませんでした。
しかし、作物と同じ様に生育する雑草はしばしば作物に致命的な被害を与えました。
つまり、「食う食われる」の関係より「同じ立場」の競争者の方が影響が大きく見えました。
何かを抑えると何かが伸び、大きな器を用意すると中身も大きくなる。
プラスになる要素とマイナスになる要素、グーチョキパーの様にそれぞれの強弱が組み合わさった複数の要素。
それは古代中国で農耕文化から生まれた「陰陽五行説」の考え方に似ています。
「陰陽」と言う二元対立の関係。
「五行」と言う生かし合い抑え合うバランスの関係。
そう言うものが複雑に組み合わさって圃場全体がゆっくりと変化していきます。
その変化は直線的でも波状でもなく、螺旋状に繰り返しながらズレて行く感じです。
誤解されると困りますのでお断りしておきますが、私のところでは大半の作物は慣行栽培より生育が劣ったり、病虫害にやられたり、収穫物が小さかったりミバが悪かったりしています。
けれども、そんな中に非常に好成績を上げるものがポツポツ出てきています。
それが徐々に増えています。
病虫害は徐々に減っています。
手をかければ、慣行栽培並みに栽培成績を上げ、病虫害を低減する事も可能です。
でも、それはやりません。出来る限り手は出しません。
「直接作物に手を出さず、自然の働きで収穫物を得る」それが目標だからです。
そのポイントは「環境づくり」だと考えています。
この点は福岡正信氏のお考えとは異なるかも知れません。
しかし、福岡自然農法のメカニズムを探って行くと「環境」「生態系」と言うキーワードにたどり着きます。
ただ、福岡氏は積極的、能動的に環境を作れ、とは仰っていません(砂漠緑化の理論の中にソレは含まれていると思いますが)。
私は「自然」と「農法」を天秤に載せた時に、「農法」の方を若干重た目に考える立場ですので、積極的な環境構築を是認しています。
肥料には害があるから無肥料で作る。→収量減るから高く買ってね!
環境に悪いから無農薬で作る。→防除や除草に手間かかるから高く買ってね!
と主張するなら、
不耕起栽培でトラクタ不要。→ 農機代と耕起労力、浮いた分だけお安くしますッ!!
抑草技術で除草剤不要。→ 薬代と薬散労力、浮いた分だけお安くしますッ!!
生態系の働きで特定の病虫害が蔓延しない。→ 薬代と薬散労力、浮いた分だけお安くしますッ!!
生態系の働きで土地が肥沃化。→ 肥料代と施肥労力、浮いた分だけお安くしますッ!!
コッチ側の主張は何故ないのか?
この福岡正信氏の言葉をもう一度よく味わって下さい。
「いかにしたら昼寝ができる時間が多いか?」
「何もしないようにするには、昼寝するにはどうしたらよいか?」
動画はこちら↓
https://youtu.be/P4HvG0sCx6U
このまま行ったら、ブームが去ったら寒風が吹きすさび、蜘蛛の子を散らす様に消え去ってしまうのではないかと危惧します。
今こそ「福岡自然農法」を再検証するべきです。
そこから(勿論、慣行農法、科学農法、有機農法の知見も含めて)新たな持続可能な生産技術を確立して行かなければならないのではないでしょうか?
それは決して「自然農法」や「福岡農法」でなくて良いんです。
農業技術と言うのは「ちゃんと作物を収穫し続けられる方法」の事を言うのです。