稲作と言う作物栽培は、「簡単にする事に苦労する」栽培と言えるのではないかと思います。
採種圃に水を溜めて育ててみると、どんどん生き物が増えて、与えた以上に肥料が効いて、なかなか良い調子です。
微生物やプランクトンが増え、それを食べる微細な生き物が増え、それを食べるオタマジャクシや水生昆虫が増え・・・・
と言うように水を溜める事によって、生き物が増えて行くのですが、生き物は基本的にアミノ酸、タンパク質からできているので、生き物が増え、生まれ代わり死に代わりするサイクルが回転を高めると、栽培的には土地が肥えて来る事になります。
微生物やプランクトンが増え、それを食べる微細な生き物が増え、それを食べるオタマジャクシや水生昆虫が増え・・・・
と言うように水を溜める事によって、生き物が増えて行くのですが、生き物は基本的にアミノ酸、タンパク質からできているので、生き物が増え、生まれ代わり死に代わりするサイクルが回転を高めると、栽培的には土地が肥えて来る事になります。
こうして、最初に軽く鶏糞を撒いただけで、真砂土100%の即席水田も普通の田んぼに近い生育を示しています。
調子コイて、もうちょっと水深を深くしようと、右側の畦を塗り直しました。
ほんの5mほどですが、久々の「畦塗り」です。

調子コイて、もうちょっと水深を深くしようと、右側の畦を塗り直しました。
ほんの5mほどですが、久々の「畦塗り」です。

ここ数年は不湛水栽培ばかりしているので、水を溜める田んぼは久しぶりです。当然、「畦塗り」も久しぶりです。
私は「畦塗り」のやり方を習った事はありません。いゃ、それだけでなく、穀物や野菜の栽培について農家の人から教えてもらった事は殆どありません。
まあ、大学で園芸学科だったので、基本的な事は分かっていたのですが、それ以上に、実際の栽培
作業については、教わりたくなかったのです。
まあ、大学で園芸学科だったので、基本的な事は分かっていたのですが、それ以上に、実際の栽培
作業については、教わりたくなかったのです。
人に教わる、と言う事は大切な事ですが、それは、自分がやってみた後でなければイケません。
そうじゃないと、面白くないのです。
そうじゃないと、面白くないのです。
映画のストーリーや結末を先に教わってしまったら、台無しでしょう?
それで、先にネタばらしされないように、おせっかいに「手ほどき」に来る集落の老人達の話は上の空で聞いて、キャンセルしていました。
それで、先にネタばらしされないように、おせっかいに「手ほどき」に来る集落の老人達の話は上の空で聞いて、キャンセルしていました。
時々、様々な稲作作業をまるで名人芸や無形文化財の様に事さらに持ち上げる人が居ます。
農村文化、と言う視点で見ると、それはやはりアイデンティティーにも関わりますから、雑な扱いをしてはなりません。
しかし、コト技術に関しては、あまり思い入れを大きくすると事実を見誤ります。
農村文化、と言う視点で見ると、それはやはりアイデンティティーにも関わりますから、雑な扱いをしてはなりません。
しかし、コト技術に関しては、あまり思い入れを大きくすると事実を見誤ります。

平鍬やジョレンで塗るのですが、たいしてムズカシイ事ではありません。
もっともコレを人より美しく、かつ、手早く塗れる様になるには、それはそれで技術が必要です。
しかし、稲作技術をあまり「伝説」にしてしまわずに、正しく認識するには、それが日本全国の全ての農民に実行可能な、分かり易くて失敗の少ない、完成度が高く、しかも容易な、そんな技術に磨き上げる必要があった、と考えてみるのも面白いんじゃないかと思います。


こんなコトを感じるようになったのは、「千歯こき」について調べた時からです。
あの、大きな櫛の様に歯が付いたイネを脱穀する道具です。
この道具が発明されたのは1700年頃だそうです。
稲作の始まりについて、色んな説があるそうですが、2800年前には始まっていたと言う説もあります。
話半分にして1400年前としても、「千歯こき」が発明されたのは300年ちょっと前、それより前の1100年間以上は「こき箸」と言う大きめの箸をヒモでくくったものに穂を一本一本挟んで、ズリ~ッと米粒を引き剥がしていたそうです。
あの、大きな櫛の様に歯が付いたイネを脱穀する道具です。
この道具が発明されたのは1700年頃だそうです。
稲作の始まりについて、色んな説があるそうですが、2800年前には始まっていたと言う説もあります。
話半分にして1400年前としても、「千歯こき」が発明されたのは300年ちょっと前、それより前の1100年間以上は「こき箸」と言う大きめの箸をヒモでくくったものに穂を一本一本挟んで、ズリ~ッと米粒を引き剥がしていたそうです。
私だったら、そんな能率の悪い作業、30分もやらされたら、箸を30本くらい並べて固定してイネを束にして穂をまとめてズリ~ッてやり始めますよ。
「千歯こき」が進化して「足踏み脱穀機」になったのは、なんと大正時代だそうです。
江戸時代にだって、複雑なからくり人形が作られたり、陶磁器や刳り物を作るのには手動の旋盤でもある「ロクロ」が使われたりしていたはずです。
どうして稲作作業の進化はこんなに遅かったのでしょうか?
これは想像ですが、もしかしたら、あまり稲作の生産性向上は行われなかった?と言う面もあったのではないかと思っています。
江戸時代はコメ本位制の通貨ですから、まあ、今でもそうですが、突然生産性が向上すると価格が暴落するワケです。
豊作貧乏ってヤツですよね。
それが相場が暴落するだけでなく、コメ≒通貨ですから、こりゃインフレです。
豊作貧乏ってヤツですよね。
それが相場が暴落するだけでなく、コメ≒通貨ですから、こりゃインフレです。
また、幕藩体制では日本と言うのが強固な統一国家と言うワケではなく、諸藩がそれぞれ国で、その中で一番強い徳川が幕府と言うまとめ役、と言う体制ですから、どこかの藩が稲作技術を向上させて一人勝ちになると、政情不安が起こる可能性もあり、ヤバイわけですよね。
おそらく、イネの栽培方法なども、勝手に改善する事は禁じられていたのではないかと思います。
幕府と諸藩の間でも、藩内の武士と農民の間でも、何らかの制限があったのではないかと、あ、これはあくまでも想像ですよ、なにかそんな臭いがする、と言う事に過ぎません。
まあ、それは別として、各藩の農事担当のお侍さんは、安定した稲作が行われる様、アタマを痛めたと思います。
取れなければ飢饉ですし、取れ過ぎればインフレですからね。
取れなければ飢饉ですし、取れ過ぎればインフレですからね。
稲作は日本全国津々浦々で行われたのですから、皆んなが皆んな稲作名人ではないワケです。
上手下手に関係なく、ソコソコに取れなくてはならないのです。
ですから、「簡単にする事に苦労する」栽培技術と言う事なんじゃないかと思うのです。
上手下手に関係なく、ソコソコに取れなくてはならないのです。
ですから、「簡単にする事に苦労する」栽培技術と言う事なんじゃないかと思うのです。
名人芸や特殊技術を使わずに、標準的な手順を守れば、誰がやっても安定的に収穫を迎える事ができる、そんな技術を目指して「苦労」して「簡単」に構築されたのが稲作技術なのではないかと思うのです。