年の瀬に駆けこむようにSTAP細胞事件は幕引きとなりました。
理研は今頃になって、「凍結保存されていたSTAP細胞を調べたところES細胞であると分かった」と発表しました。
そんなの一番初めに分かる事ではないでしょうか?(そう言う事が出来るように凍結保存してあるわけですから)
そんなの一番初めに分かる事ではないでしょうか?(そう言う事が出来るように凍結保存してあるわけですから)
そうして見ると、この検証実験と言うのは、一体何だったのか?と言う疑問も湧きます。
なんとなく、上手くソッチの方へ世間の目を引っ張っていった・・・・と言う感じがしてしまいます。
なんとなく、上手くソッチの方へ世間の目を引っ張っていった・・・・と言う感じがしてしまいます。
そもそも、科学論文としては、第三者が再現できない時点で否定されるのが、普通でしょう。
あるあると言っている人のところでしか起こらない現象は科学的に認められる事はありません。
小保方さんの発表した論文通りにやって、一度も誰も作成できないなら、「こう言う説を主張する人がいる」と言うだけで終わるはずでした。
あるあると言っている人のところでしか起こらない現象は科学的に認められる事はありません。
小保方さんの発表した論文通りにやって、一度も誰も作成できないなら、「こう言う説を主張する人がいる」と言うだけで終わるはずでした。
理研は常に誰かの目を気にしていた様に見えました。
それは「権力者」なのか「資本家」なのか、或いは「学会」なのか、それとももっと漠然とした「世間」なのか・・・・
きっとケース・バイ・ケース、その時その時で違うのでしょうが、科学者として気にしなければならないのは、そんな「他人」の目ではなく「科学」の目なのではないでしょうか?
それは「権力者」なのか「資本家」なのか、或いは「学会」なのか、それとももっと漠然とした「世間」なのか・・・・
きっとケース・バイ・ケース、その時その時で違うのでしょうが、科学者として気にしなければならないのは、そんな「他人」の目ではなく「科学」の目なのではないでしょうか?
小保方さんは、記者会見で「STAP細胞作成には特別のレシピやコツがある」と言っています。
小保方さんに更に最後のチャンスが有るとすれば、「特別のレシピやコツ」などの詳細プロトコルを公開して客観的立場にある第三者に再現してもらう事です。
他所でもできれば話は違ってくるわけですから。
小保方さんに更に最後のチャンスが有るとすれば、「特別のレシピやコツ」などの詳細プロトコルを公開して客観的立場にある第三者に再現してもらう事です。
他所でもできれば話は違ってくるわけですから。
しかし、STAP細胞はES細胞だったと言う発表が事実なら、もうどこからもSTAP細胞は出てこないでしょう。
私は政治学や社会学に疎いので、あまり自信は無いのですが、もっとシンプルに考えたいと思います。
ある人が新たな現象を発見するとか、現象を新しい切り口で捉えて新事実を発見するとか、そう言う場合はどんどん発表すればいいと思うし、それが間違いであったとしても決して責められるべきものではないと思います。
科学論文や研究発表に間違いがあってはいけないと考えるのは、とても危険な思想なのではないでしょうか?
かつて封建社会では、権力者や宗教的権威に理不尽な社会制度や「掟」を押し付けられていて、身分制度や男尊女卑などの差別も社会構造の重用なファクターとして存在し、事の良し悪しには関係なく、それらによって社会の安定が形作られていた部分があると思います。
科学と言う考え方は、「事実を捉え証明する事」により、この理不尽な社会制度を合理的なものに変える原動力になったと思います。
「ほら、この通り」と言って「事実」を「証明」すれば、正しい意見として通用するのですから。
それは、民主主義ととても相性の良い考え方であったのではないでしょうか?
こうして科学と民主主義が手を取り合って発展してきたのが、産業革命以降の近代だったのではないかと考えています。
誰でも、自由に発言でき、証明すれば広く認められる。
同様に、
誰でも、発言の誤りを指摘し、証明すれば否定できる
この科学の基本的なアプローチは民主主義にとってもその根幹を成す重用な考え方だと思います。
振り返って、農学や園芸学、栽培学など農業関連の科学では、定説が定まりにくい傾向があると思います。
一つの作物の栽培法でも、真逆の方法が存在したり、それらがそれぞれ結構マトモに収穫を得られたり・・・・
一つの作物の栽培法でも、真逆の方法が存在したり、それらがそれぞれ結構マトモに収穫を得られたり・・・・
相手が生き物であり、自然の中での生産なので、答えは一つではないケースが多いのです。
常に結論はグレーで、アレもあればコレもある状況の中を行ったり来たりします。
STAP問題のように検証実験によって白黒を付ける事が困難なケースが多いでしょう。
農学者が「☓☓の栽培には○○の肥料成分が不可欠である」と行った途端に「ウチでは◯◯ナシで大豊作になっとるで、逆に△△をやった方が良うできる」と言う栽培者が現れます。
STAP問題のように検証実験によって白黒を付ける事が困難なケースが多いでしょう。
農学者が「☓☓の栽培には○○の肥料成分が不可欠である」と行った途端に「ウチでは◯◯ナシで大豊作になっとるで、逆に△△をやった方が良うできる」と言う栽培者が現れます。
それはいい加減な学問であるとか、研究が十分に進んでいないとか言う事よりも、非常に複雑に絡み合ったファクターが関与する事象には、現代の科学は力を発揮しにくい、と言う事だろうと思います。
しかし、細かい所、例えば「種子の休眠はアブシシン酸により誘導され、発芽はジベレリンにより促進される」と言うような事は、結構はっきり解明されている様です。
その細かい事が様々に組み合わさった、無限のバラエティから、それぞれに異なった結果が出てくるので、なかなか一様には行かず「答えは一つではない」となるのだと思います。
近年、気候変動が激しく、かつては無かった思いもよらない異常気象などで栽培条件が撹乱される事態が予想されます。
有機農法、自然農法、科学農法それぞれに利点欠点があります。
特定の栽培法にのみ強くコミットする事はとても危険な事ではないかと危惧しています。
これからの農業には「自由」と「柔軟性」と強い「発想力」が必要だとは思いませんか?
自然農法では「直感力」を重視しますが、それは科学農法の「論理性」と矛盾するものではないのです。
自然から離れては成し得ない農林水産業では、「科学的な論理性」と「経験的な直感力」は車の両輪で、どちらもとても大切だと思います。
自然から離れては成し得ない農林水産業では、「科学的な論理性」と「経験的な直感力」は車の両輪で、どちらもとても大切だと思います。