ファミコンの弟子とMOTHERの話 | バーチャルコンソールクエスト

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ゆるゆるゲームブログ

ご、ご無沙汰しております。
こちらではご無沙汰しております。
僕は元気に、毎日ゲームゲームな日々です。
スマホゲー率の方が若干、いやかなり上回ってたりしますが。
お、思う存分チェンクロのガチャ回したいw

えー、3DSのVCは配信が止まって音沙汰なくなってしまいましたが
WiiUのVCはWii配信済みタイトルに加え、WiiUで初配信のタイトルも増えて参りました。
コナミのスカイジャガーなんかも出て泣けますよね。MSXはなあ、友達の家でしか遊べなくてなあ。コンシューマとはオサラバイェーイな感じのコナミですがVCは結構やる気見せてくれているのでこの調子でMSX版のガリウスや王家の谷もお願いします。


さてさて、ここからが本題。
E3で色々と盛り上がったり盛り上がったりする中、ついに、ついについにWiiUのバーチャルコンソールでファミコン版のMOTHERが配信されました!
めでたい!!!
先にMOTHER2は配信された際、こちらは楽曲等権利の問題で難しいみたいよんな話を
聞いたり聞かなかったりで半ば諦めていたりしていたんですが……無事配信されてよかった。

いつもなら、ここから再度プレイして思い出話交えながプレイ感想文書きなぐってる所ですが
RPGはそういうのが結構難しい。ネタバレとかあって難しい。ということで、今回は思い切って120%思い出話で行く事にしました。久々に長文となりそうで書けるかどうか、ちょっと不安ではありますがしばしお付き合い下さい。


さて、今回は、僕以外にもう一人、重要な人物が登場します。
ロックとビデオゲームを孤独の友としてきた僕が、ゲームを通じて得た、数少ないゲームの友と呼べる人物。ゲームばかりしていた僕にことあるごとにあれ分からんここ難しいここクリアしてとお願いして僕の手を借りにきた人。僕の唯一のビデオゲームの弟子ですw

出会いは1986年頃だったか。
いや、もちょっと前だな。
元々は父と母の友人で、近所に住んでて小さいお孫さんがいるということで
その遊び相手にということで親子でその家に遊びに行ったのが出会いでした。
で、そのチビッコのおばあちゃんが、のちに僕の弟子となる御方、であります。
おばあちゃんと言っても、年は今の僕とそんなに変わらんぐらい(40後半から50あたり)だったんじゃないかな。正直ちゃんとお歳尋ねた事なくてのう。レディに歳聞くの失礼じゃろw
なのでぼくは○○くん(お孫さんの名前)のおばちゃんと呼んでました。
その後お孫さんよりもおばちゃんと親しくなって、向こうの家にお邪魔するようになりまして、その会話の中で「マダオくん普段なんしよーとー」「ゲーム」みたいなやり取りしてるうちにファミコンに興味を持ったようで、ある日いつものようにおよばれして遊びに行くと、テレビの前にツインファミコンが置いてあったのでした。
「マダオくん、ファミコン買ったよー」
「ソフトはスーマリと四人打ち麻雀買ったの?」
と涼しい顔で受け答えしてましたが、心の中で「うぉー、ツインファミコンやん!めっちゃ羨ましい!」と思ってたのはナイショですw
その後この御方、じゃんじゃんソフト買うようになりまして、僕もアイスクライマーやったりマリオで協力プレイしたりしてたのですが、ある日電話が掛かってきまして「マダオく~ん、マリオ2がクリアできーん、助けて」と言われまして、仕方ないなと「お母さん、おばちゃん家行ってくる」と、とぼとぼ出掛けて行ったのでありました。そこで待っていたのはスーパーマリオブラザーズ2、5-1。ただでさえ難しいスーマリ2ですが、ステージ長いし風吹いてるし、その風利用してのBダッシュジャンプビシッと決めないと行けないとこ一杯あってかなり手を焼く面ですね。つーか、今思うとあれ酷い商品ですよ。マリオブームに乗って普段ゲームしない人まで巻き込んでおいて次に出たのがアレですよ!w
しかしまあここでアクションゲーム無理やん、僕(私)ゲームできんやん。という層を多く生んでおいたからこそのドラクエブームが生まれたと思えなくもないww

まま、そういうことで僕が召喚されまして、当時は今のように仕事に追われる事もなく勉強そっちのけでゲームばかりしてて腕もそこそこあった僕は途中何回かミスるもステージ5をクリアしてみせました。そしてその様子を見ていたおばちゃんは「すごい!ししょーと呼ばせて下さい」と言い出しまして、ここに人生初、にして唯一のファミコンの弟子が誕生したのでした。

そういえばこの御方、父母の友達と言いましたが、たしか雀荘のオーナーで父の麻雀仲間であったことが後に発覚。どうりて、周りの大人とは違う豪快なオーラが出てたのか。こどもの僕にもざっくばらんに話しかけてくれまして、学校嫌い、人間不信でステルス能力ばかり磨いていた僕でも気兼ねなく話が出来た、今思うとかなり貴重でありがたい存在でした。不毛の10代を道を踏み外す事なく生き抜けたのは、ビデオゲームが僕の逃げ場所としてそこに居てくれたというのが非常に大きく、その恩に報いるため未だビデオゲームと共にあると思ってるのですが(もちろんその前にビデオゲーム好きじゃー!の気持ちがありまするw)こういうゲームを通じて繋がれた人がいたと言う事もとても大きかったと思います。とてもラッキーだった。この御方はあれだな、僕にとってのじゃりん子チエの花井のオッちゃんみたいな存在だったかもしれません。


おい、いつになったらMOTHERの話始まるんだ!
と怒られそうなのでそろそろ、と思うんですがもう一段だけ前振りをw

その後、前述のようにスーマリでアクションゲーム嗜むようになり、スーマリ2やパルテナで心折れて(それでも買ってるのが面白いw)僕のプレイのギャラリーとなることが多かった弟子ですが、ついに、スタメン復帰の時が来た!
それがドラゴンクエストですね。
まあ、その前にポートピアやオホーツクなんかにも手を出してましたがw
ただ、詰むとどうしようもないアドベンチャーと違い、RPGは詰んでも戦闘がありますから、そこでキャラが強くなる喜びがありますし、謎解きで詰んだ場合は僕のヒントで乗り切って、あとは地道な努力で乗り越えてく、その感じがとてもマッチしたようで、ウルティマベースのコマンド式RPGがズバッとハマってくれたようです。ちなみにその後色々なんかおすすめ無いか聞かれましたが僕がどハマリしたウィザードリィのようなダンジョンRPG、そしてFEやタクティクスオウガのようなシミュレーションRPGはダメだった模様。トルネコはめっちゃハマってました。本当に1000回以上プレイして、シレンでは僕が積んでる間にフェイの最終問題突入してたりして度肝抜かれたりもしましたwww
そういえばこんな立派なハードコアゲーマーに育っていったにも関わらずFFは昔から合わん言ってたのはなんでだろうなあ。ドラクエは欠かさず遊んでレベルカンストまでさせてたのに。長年やってるとちょいちょい出くわすよね。雑食ゲーマーにはちょっと分からない、いや、ほんとはなんとなく分かる気もする、あの辺の、人を敬遠させてしまうなにか。今後のテーマのひとつとしてちょっと考えてみよう。


さあ、いよいよ今日のメインディッシュ。前振りでけっこう書いてしもうたな。お待たせしました、本題です。

そんなこんなで、その後ドラクエ2、3、4と遊んで「ラゴスどこー」「3はどのパーティでラスボス倒した?」と学校の同級生と変わらぬ会話を繰り返し順調にゲーマー道を歩んでいた弟子から、久々に手詰まり感溢れる声で救援要請。
「マダオく~ん、マザーのラスボスが倒せ~ん」
あー
受話器越しに、一瞬天を仰ぐ僕。
というか、もうそこまで進んでたのか。なんか面白いRPGない?と訊かれたのでMOTHER勧めたりしたけど途中経過の話題もなくやってないのかなと思ってたらどんだけハマッってんのかw
などと思いつつ一応、ヒアリング。
あの、ロンダルギアに近い、地獄のようなホーリーローリーマウンテン散策は辛くないですか?
うん、大丈夫との返事。
あー
レベルは十二分に足りてる模様。
とすればアレに気がついてない…




お、教えるのは簡単。
だがしかし、いよいよのラスボス戦。
既にクリア済みの人間だから分かる、あのRPG史上に残る、今思い返しても5本の指に入る感動的なエンディングを迎えるためのラスボス戦。簡単に伝えていいものか。スカイプも、ツイッターやLINEもないこの時代……
だが、コードレス電話はあった!!!www

(ここよりMOTHERのネタバレ含みます。極力ぼやかしますが未クリアの方はご注意を)

ということで、弟子の家はコードレス電話導入済みだったので、受話器越しにプレイをアシストする事に。
弟子は、ホーリーローリーマウンテンを登り、ラスボスを目指します。
BGMや戦闘音を聞きつつ僕待機。
しばらくすると、受話器越しにキーン、キーンという音が鳴り響きます。
いよいよラスボス戦。
僕からの指令「全員全力で耐えろ」
弟子「了解」
「削られてきたらしっかり回復してとにかく耐えて」
「了解」
「まだ耐えて」
「まだ?」
「まだまだ」
「まだ?」
「もちょっと」
「えーっと、なんかコマンド出てない?」
「あっ、出てる!」
「あとは全力で頑張って。命大事に」
「了解!」
そこで僕は受話器を置きました。


1時間後位だったか、弟子から電話が掛かってきまして「マダオくん、エンディング最高やった~。泣いた。MOTHER面白かったあ」とクリア後の感動に浸る声が。僕も一度クリア済みでありましたが、もう一回、自分でクリアした時とはちょっと違う、あの感動が他の人に広がってうれしいな、という気持ちに浸っておりました。僕2ちゃんほとんど見ないんであちらの文化さっぱりなんですが、僕みたいにあれ面白いよーカッチャイナー言ってる人は舟幽霊と呼ばれてるみたいですね。何を持って舟幽霊と呼ばれるかはよく分かりませんが、舟幽霊と呼ばれてる人達はきっと、こういう、自分が感じた感動が、他の人に広がって行くのがたまらなく嬉しい人達だったりするんのかもしれないと思ったり思わなかったり。(どっちだw)クラスの友人とゲーム勧めあったりしてましたが、同級生は同時にライバルだったりもするので、いち早く面白いもの見つけた俺サイコー、な面も少なからずありましたけど、こう、純粋に面白いモノ勧めて感動してもらえて嬉しいなと思ったのはここが最初かもしれません。ここに一人の舟幽霊が誕生した瞬間だったかもしれませんw

こんな感じで、MOTHERは、他の作品とはちょっと違う、ふたつの思い出を抱えた、僕にとって特別の作品になったのでありました。それがバーチャルコンソール配信とはほんとうれしいな。今遊ぶにはゲームバランスの面でちょっと(いや大分w)キツい気もするんだけれども、糸井重里さんの「ドラクエにはないもののを、それ以上のものを、俺は作る!」という意気込みを感じられる、そしてその意気込み以上の感動を味わえる作品だと思うので、未だプレイした事のない人、イカでWiiUの世界にやってきた人は是非この機会にちょっと手を伸ばしてもらいたい作品であります。序盤からこの敵の強さ、配置、おかしくはないか!?感は惑星ミラに似てる気がしなくもないのでゼノブレイドクロスでやってきた人も是非是非。WiiUのeshopにて617円で絶賛配信中!


その後僕は社会人になり弟子も引っ越したりして家にお邪魔する事は減って電話でのやり取りメインになりました。その頃には、「アレ教えてー!」はほとんどなくなり「あれクリアした?まだ?あれよかったよー」と僕の先を行く事もしばしばあるような状況で、とても楽しそうなゲームライフを送っておりました。発売当時はどせいさんの話やらマザ2のキムタクどうよな話まで色々聞かされた気もw
そんな弟子と最期に電話で話したのは、奇しくもMOTHER3の話。
「64買ったよー、シレン2面白いね。ところでマザー3まだ出ないと?」
そんなような流れだったと記憶しています。
ちょうどその頃、MOTHER3開発中止がファミ通だったかな。誌面で発表された直後位だったので開発中止になったよと伝え
「うっそー、もう出ないのぉ、残念すぎるぅ」
と酷く落胆していたなあ。
ほんとに残念そうだった。

 MOTHER3は皆さんご存知の通り2006年にGBAソフトとして見事復活を果たすのですが、弟子はその情報を知る前に、病気で他界してしまいました。亡くなった事は母から聞きまして、ああ、そうか、寂しいなあ。と、普段身内が死んでもさして気持ちが動かない、ちょっとアレな僕が珍しく感傷に浸ってしばらくしんみりしてたことをよく覚えています。恩師を失うとこんな感じなのかもしれませんね。なので、MOTHER3は2人分楽しむつもりで遊びました。楽しんでくれましたかのう。きっとあの世は全ゲーム遊び放題なはずなので今はドラクエ10廃人として日々イベントに挑んでいる、かも、しれませんw


以上、MOTHERとファミコンの弟子にまつわる、僕の昔話でした。
えっらい長くなってしもうたのう。
ま、いっか。
自由気ままにやりますよw
ここまでお付き合い頂いた方ありがとうございました。
次の更新いつになるか、何書くか分かりませぬが縁がありましたらまた次回。
ではでは(・ω・)/