記者:妊娠して子供を出産するまでに、あなた達は大変な数の
メディアの取材攻勢を受けましたが、生まれた子供が病気で
あるとわかった時のマスコミの圧力はとても大きかったですか?
亜鵬:はい。私は毎日家の前で待ち伏せしているメディアに
対処しなければなりませんでした。
娘の病気のことを話すのはとても大変でした。
出産後に妻が目覚めた時、私は本当に困りました。
どのように彼女にこの事実を伝えるべきなのか・・・
わからなかったからです。
おまけに彼女の体はとても弱かったのです。
記者:どちらが多く子供の面倒を見ているのでしょう?
このところ、ほとんど王菲は顔を出していませんが
彼女は子供のために尽くしているのですか?
亜鵬:はい、娘は母親を必要としています。
妻は家にいて、できるだけ娘のそばにいられるようにしています。
私達はお互いに理解し合い、私は心から娘を愛しています。
記者:あなたの目から見た彼女はどんな妻であり、母親ですか?
亜鵬:彼女は私の妻です。
他の人と何の違いもありません。
そして、彼女は娘の母親です。
彼女は本当に娘を愛しています。
心がとても素晴らしくて、1人の強い女性です。
記者:あなた達が子供の病気を治すためにアメリカを選んだのは
医療の技術が優れていたからですか?
李亜鵬:はい。アメリカの病院は娘の手術を行えるほどの技術が
あったのですが、その検査は大変な苦痛を感じるものでした。
その病院の医者は、親に自らの子供を抱かせた上で
検査を行うのですが、それがとても気分の悪いものだったのです。
子供が毎回大泣きするくらいで、本当に我慢ができなかった。
数十回行って、毎回子供がひどい目にあうのです。
私はその度に窓の外にある枯れた木を見て苦痛を凌いでいました。
ある日、とても奇怪な出来事が起こりました。
それはちょうど4ヶ月頃、治療をし終えて再検査をしにいく時
私はまたあの木を見たのです。
そしたら花が咲いていました。
私はこう思うようにしたのです。
多くのことも結局は過去のこと、このような苦痛も直視しなければ
ならないと。
記者:あなたの「感謝」というタイトルのブログは大きな波紋を
呼びましたが、あなたがその時どのような気持ちで自らの
子供の事を書いたのでしょう?
亜鵬:子供の病気の事は私の友達にも教えていませんでした。
それを書くことによって、私自身激しい非難を受けることがわかって
いたので、それが私の友達にも及ぶのではないかと感じたのです。
ある日の夜、ブログを書き始めました。
そして、書き終えた頃には日が明けていました。
記者:聞くところによると、あのコンピューター上の下書きは
王菲が打った字なのでしょうか?
亜鵬:はい、私がタイプライターを打つのがとても遅いため
彼女が手伝いに来ると言いました。
2時間くらい打ち終えた頃でしょうか・・・
彼女は躊躇い、『公表するのはもう少し待とう』と言いました。
本当に公表するのか、と私に問いかけたのです。
私は、よく考えたことだから「私を信じるように」と言いました。
記者:子供の状態はどうですか?
まだ引き続き治療しなければならないのでしょうか?
どんな時に幸せだと感じますか?
亜鵬:彼女が私に笑いかける姿を見ると、とても幸せです。
彼女はとてもよく笑うんです。
彼女は会った人誰にでも笑いかけますが
私たちは、彼女の笑う姿が可愛すぎてなりません。
まだ手術はしなければなりませんが、体調はとても良いです。
彼女に関心を持ってくれるすべての人にお礼を言いたい。
記者:あなたが良いように変わったのは、娘と妻があなたの
人生観あるいは目標を大きく変化させたということでしょうか?
亜鵬:はい。35歳の時に、娘は私の人生に1つの新しい可能性を
持ってやってきました。これはとても良いことだと思います。
以前の私は、それが良いものだと言うことができませんでしたが
今は心からそう思います。
記者:基金の事業以外に、演技の仕事はまだ続けるのでしょうか?
新しい作品を撮影するという噂がありますが?
亜鵬:もちろん、引き続き芝居は続けていくつもりです。
これは私の本職です。
来年の仕事についてはまだ計画中で、最終的に決めていませんが
いくつか来ている脚本にはすべて目を通しています。
記者:今後は慈善事業を重点とするのでしょうか?
亜鵬:芝居が私にとっての生活の全てではありませんが
私はまだこの業界で働くつもりです。
しかし、慈善事業は今の私にとって最も重要なものです。
これは私が妻と子供のためにしたもので、私を動かす力なのです。
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ヤーボン氏は自らのブログで子供のことを公表したようです。
それが、かえって賛否両論を呼ぶ結果となりました。
このインタビューは嫣然天使基金のためにヤーボン氏が
進んで受けたもので、掻い摘んでお届けした部分もございます。
どうぞ、ご了承ください。