近くで見るとさすがにデカイ!
建築途中で東日本大震災に見舞われながら、見事に乗り越えた技術の推移を結集して造られた634mm
近代デザインの美しさは本当にすばらしい、圧倒される程の迫力を持っている。

だが、正直言って個人的には東京タワーの持つ曲線が好なのは何故だろうと考えた・・・
建造物や自動車、オートバイでも同じ事だと思うが、僕は曲線を持った造形物を好むのだと思う。
優美な曲線を持った造形物は、優しさと物理的な力強さを兼ね備えている。
デザインの美しさは女性のような曲線美を持っているものがやはり美しい。

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少し離れた位置から眺めるライトアップは見る者を魅了する、ブルーの「粋」と紫の「雅」。
全部で12種類?のバリエーションがあるらしいが、個人的には紫の雅が好み。
エッフェル塔のような、フィラメント球の持つ暖かな光が好きだが、
東京スカイツリーのLEDライトもそれはそれで、なかなかの美しさだと感じた。

よく見ると光源の位置が違うので、それによってもニュアンスの違いが生まれているようだ。
スカイツリーという塔そのものは、意外と好きなのかもしれないと思えてきた。
しかし、その塔が立っているあの場所だけは、どうしても好きになれない。
あの塔を建てるにふさわしい場所だとは、どうしても思えない自分がいる。
世の中が騒げば騒ぐほど、その気がなくなるというのは、あまのじゃくな性格なのだと思う。
子供の頃から空や宇宙といった、自分の上にある世界がずっと好きだった。
空を自由に飛びたいと思っていた子供の頃からの夢は、航空ライセンスによって叶えることが出来た。
鳥のように自由というわけにはいかないけれど・・・
aerobaticの世界に触れることで少しは鳥に近づけた気になっている。

ところが宇宙はといえば、こればっかりは難しい、限られた人しか到達できない未知の世界なのだ。
小学生の時、大人になれば行けるかもしれないなんて本当に信じていた自分を思い出すけれど。
宇宙って世界が存在することが、自分にとって無限の創造を与えてくれる源であることは、
子供の頃も、大人になった現在も、何も変わっていない。
行けるわけないと分かっているのに「死ぬまでに一度でいいからいってみてぇーなぁー」なんて・・・
本気で思っている自分が、いまだ心の中にいることを少し呆れてしまうのだ。

TRIBUTE

21日の金環日食が騒ぎになり
「へっ!何か金環日食だよ、いやだねぇ日本人は」なんて、思っていた自分であるはずなのに。
本当はずっと前から楽しみにしていたことを隠しきれず、
ちゃっかり朝から夢中になってしまう自分って何なんだろう?

近所の広場には自分一人しか居ない時間に着いて、気づけば周りは人でいっぱいになり・・・
日食が終わり、帰り支度をする自分の周囲はといえば、もはや誰も居なくなっている状態だった。
「なんか感動したなぁ~」なんて・・・
よく考えれば、自分がいちばん子供なんだろうとつくづく感じる。
次は6月6日の「21世紀最後、金星の太陽面通過だな」とか意気込んでしまう
自分を今は抑えることができない。
iPod touchとiPhoneを間違えて購入してしまったという話題で、釈由美子嬢のブログが話題になっている。
これって本当の話?って思う自分がいるけれど、まんざら嘘でも無いのかな?と・・・思える節もある。
iPod touchでネットやメールFace Time機能を使うには、Wi-Fi設定が必要となるが、都心部ではWiMaxなどのようなキャリアは多いのでうなづける。電波が悪いとも書いているので、おそらくそういうことだろうと推測されるので嘘ではなさそうだ。


 TRIBUTE  TRIBUTE



iPod touchとiPhoneは確かにうりふたつ。よく見れば受話用の穴が有る無しなど相違点はあるが・・・。
iOS搭載によりメールやインターネット・アプリが扱えるなど、iPod touch・iPhone・iPadは、ほぼ同様の機能を持っているといっても良いくらいだ。アーキテクチャまで同様とは言わないが、外観のデザインがそっくりのiPod touchとiPhoneでは、正直間違える人がいてもおかしくはない。iPhoneの位置づけが「携帯電話」という機能を持っていることを除いては、知らない人が「見た目」で瞬時に判断するのは難しいかもしれない。

そもそもAppleの製品は、Macを含め基本はみな同じOSで動いている、全てはMacOSXを応用したものだ。
先日亡くなったSteve Jobsの成功はそこにある。基本は同じものだが、それぞれに付加価値を付けて多角的な方向から製品を演出、個性を創り出す手法はデザイナーの感性といえるものだ。技術者であり、セールスマンであり、プランナー。加えてデザイナーでもあるという複合的な感性を生かした人物こそがSteve Jobsであったと思う。ひとつの事柄を統合的に捉えることが、成功に繋がるという典型的なお手本といえる人材だったわけで、「トータルバランスに優れること」こそが、成功への鍵になるという、過去の日本人が十八番としてきたことを実践した人物が彼だったのだ。

少し前まで「Macはクソだ!」と言って、はばからなかった人達までもが、いまとなっては何かしらAppleの製品を持っているに違いない。もっていないまでも「欲しい」と思っているとするならば、それはそれで凄いことといえるだろう。

スマホを理解出来ない人の共通点は「解らない」と思っていることに他ならない、自分は違うと自負している人ですら、その本質を解っている人は少ないと思われる。iPhoneに始まったスマートフォンの実態とは「携帯電話機能」はおまけであるということ、本来は「電話も出来るポケットPC端末」と説明するのが正しい。なぜ「携帯電話」と分類して販売するのか?不思議に思えてならない、スマートフォンへの誤解の根源はそこにあるのだと思う。

アプリを使えばあらゆる種類のツールに変身する便利なスマホ、逆を言えば電話を欲する人に「流行」という理由だけで売ってはならない高価な商品だ。電話会社が通話料を心おきなく徴収できる「ドル箱商品」でもあるわけで、マイクロPCとして使えばかなりの優れものだが、その携帯電話機能はいささかお粗末と言わざるをえない。今後デジタル回線が統廃合され、Wi-FiやLTEの拡充に伴い通信が高速化されることは間違いないが、利便性や低価格化という競争だけに捕らわれて欲しくはない。高速化もさることながら、どこでも繋がるという電波エリアの充実を何よりも優先して進めなければ、都市部限定の若者御用達ゲーム機と化すことは目に見えている。日本主流のAndroidでいえば、もっとユーザーの立場でアプリを開発して欲しいし、それはWindowsにもいえること。iPhoneの基本となるAppleが搭載するiOSを追い越すような斬新な発想を願うものである。

何しろiPhoneといえども本家のアメリカでは、その機能を100%使いこなしている人間はほとんどいない。アメリカ人の大半は「携帯はしゃべる道具」という王道を外れてはいないからだ。iPhoneよりブラックベリーを好んで持ち、アジア人のように徹夜までしてiPhoneを手に入れるというパニックをあまり起こしていない。彼らはメールやアプリを使うより、ひたすらしゃべっていることが多いからだ。そこいらじゅうに聞こえる声で会話を楽しむことがアメリカ流。スマホといってもメールやネット接続をするより、オンラインゲーム端末となっていることが多いのだと思う。日本ほどポケットゲーム機が普及していないアメリカでは、iPod touchやiPhoneは、任天堂DSやPSPと似た位置づけになるような気がする。そういった事情を考えると、スマホを進化させる国は、やはり日本をおいて他にはないと思われるのだ。お隣の韓国はアーキテクチャにおいてアドバンテージを持っているといえるが「発想」の豊かさにおいては、まだまだ日本人が先を行く。ものごとを多角的に捉え、トータルのバランスが良い物作りをする、道を誤らない製品開発を進めることが未来へと繋がるのだと思う。必要なのはユニバーサルデザイン「誰にでも分かりやすく使いやすい製品」を創り出すことが、近い将来の鍵になるのだと僕は考える。

タイトルにした釈由美子嬢のおもしろさというのは「iPod touchとiPhoneを間違えて購入した」という次元にとどまらない。以前何度かブログを拝見したことがあるのだが、内容はさておいても、その文章力が実にすばらしい。短い言葉で綴られているのだが、あれを携帯でいれるのはかなり難しいと思われる。書く前にまとまっていなければ、書くことの出来ない完成された文章だ。伝わる文章というものは全体を通して何が言いたいのかを要約することが実に難しい、ほとんどの場合、言葉の羅列が中心になって何が言いたいのか分からなくなってしまう。ところが、彼女の文章はちゃんと全体を通して起承転結になっているから読みやすいのだ。

だいたい僕は、他人のブログを読んで面白いと思ったことは無いし、自分のブログを読み返しても面白いと思ったことは皆無に近い。でも釈由美子のブログは、なぜか?面白いと感じる「センス」が見え隠れしているのだ。TVで見る彼女は、それなりに美形で、それなりに頭が良くて、何か自分を良く見せる術を知っていて、いまひとつ好感が持てない。「ナチュラル」な女性には見えないのだ、もちろん個人的に知るわけではないので、僕の主観にすぎない。ブログの内容も「女優らしさ」を感じることはあっても「素の釈由美子」を感じる事はない。一般的にいう「日記」形式ではなく、ブログという舞台でひとり芝居を見せてくれる女優さんのようなのだ。彼女の文章を読むかぎり、人を魅了する何かを感じさせてくれる釈由美子という女性は実におもしろい。計算高い女性に見えて、天然的なおもしろさを醸し出してみせる(演技なのか?)。わざと?生まれつき?なんだかよく分からないところが計算高さを感じる、しかし、よく分からないことが「女性の魅力」だと考えるなら、釈由美子は間違いなく魅力的な女性なのだといえると思う。いずれにしても「釈由美子」ただ者ではないと感じる。

$TRIBUTE   $TRIBUTE

写真は同じアメブロにある彼女のブログから、この話題のために無断拝借、申し訳ありません。
喜びの表情とガッカリした表情、撮影は第三者の手によると思われる。これを見るだけでも彼女は「女優」なんだなと感じるのは、僕だけなのだろうか。。興味を持ったかたは是非、釈由美子嬢のブログを読んでみてくださいとお伝えして、今回はおしまい。

優作は9月に誕生日を迎え、12歳になった。
血液検査の結果も良好で内臓疾患や癌の徴候は現在のところ見うけられない。
人間でいえばかなりの高齢になったけれど、本当はまだまだ元気でいられる年齢のはずである。
しかし、パグやフレンチブルのような犬種は純血であるほど後ろ足に故障を抱える子が多いと聞いた。
人間でも高齢になると足から弱る、犬とてそれは同じ事だと思う。

優作は椎間板ヘルニアと大腿骨の付け根に阿脱臼を抱え、男子特有の病気である前立腺炎にもなっている。
まともに歩ける状態ではなく、すぐに尻もちをついたり、転んだりして後ろ足はすぐに擦り傷だらけになってしまう。"ウィルモグ"という犬用の車椅子が近所の自転車ショップで扱われているため、購入を検討したり、介助用の後ろ足を持ち上げるリードを購入したりと色々努力してみたのだが。。
結果的には"自然のまま"生活させてやることがいちばん良いことと思えるようになってきた。

前立腺炎は厄介な病気だ!痛みが伴うのか?排泄がいまひとつうまく出来ない。
これは飼い主である僕の責任だ、自然を重視して"去勢"しなかったことが原因で起こる高齢男子にみられる病気である。日を追って足が弱ることに拍車をかけて、昨年10月の修善寺旅行でおこった初めての粗相から事件は始まった。宿泊客全てが犬同伴の宿で、大問題にはならなかったが、それ以来たびたびおしっこをペットシーツに出来なくなって来たのだ。最初は"痴呆症か?"とショックを受けたものだが、ずっと見ているとそれが原因でないと分かって、少し安心をした。

人間も老化に伴い頻尿傾向が現れることは知られているが、犬もそれは同じ事。
優作は足が悪いこともあり、おしっこに行こうとシーツに向かっても間に合わないことがあると気がついた。
大腿骨付け根の阿脱臼と加齢が原因で体を動かすことがつらく、日常歩行もやや困難になってきていることは明らかで、下半身に些細な刺激を受けても、足がこむら返りのように突っ張ってしまい立ち上がれない。
わずかな段差も上れなくなり、後ろ足はいつも引きずっている状態となってしまった。
布団やベッド、カーペットやラグが優作のお漏らしで、散々なことになった。
仕事が忙しいときなどは、本当に怒りがこみ上げてきたものだが"最後まで仲良くしよう"これが優作と出会った時の約束。頭に来て切れそうなときは大きく深呼吸して、何度も繰り返し"仲良く"そう思うことで、なんとか乗り切ってこられた感じだ。

おむつをすることは、何だか優作の尊厳を奪うように思えて、なかなか決断出来なかったけれど。
部屋がとんでもない状態になって、暮らせなくなることを思えば仕方ないと思い、犬用おむつを使うことにした。しかし、こいつが結構使えなくて大事なときにはとれてしまう! これこそダダ漏れってやつなのだ。。
おしっこのにおいがしてきて"あれっ"って思うと、おむつは付けたときの形のままコロリと転がっている状態。
夜中に何度も洗濯機を回す羽目になった。。本当にきつかった!!
小さな犬でさえこんなに大変なのだから、大型犬や人間の介護は尋常じゃないということが容易に想像できる。
どうしてこんなに使えない物ばっかり販売されているのかと、呆れてしまうことが結構続いた。
おむつカバーを買ったり、腹巻きに生理用ナプキンのような形状のパットをつけるものを買って試したり、いくら新しいものを買っても、全く良い結果が出ることはなく、ほとほと疲れてしまったものだが。。
いまは名案を思いついて、とりあえずは落ち着いて暮らせている。

"名案"とは、市販のおむつに切れ目を入れて、自作のサスペンダーで釣っているたけのこと。
ゴムでサスペンダーを作り、優作のように下半身がヨレヨレでも、おむつが取れないようにすることが出来るようになった。材料はホームセンターで買ったのだが、手芸用品のコーナーでも売っているようなゴムと金具だけで簡単にできる。こんな簡単なことなら、もっと早く気がつくべきだったと思うが、ここにたどり着くまでは結構回り道することとなったのだ。

おパンツはこんな感じで良好、優作も心配がなくなったのか意外と嫌ではなさそうに見える。
粗相をしたときに僕が感じる気持ちを察して"悲しい気持ち"にさせてしまったことを、いまは少し申し訳ないと思っている。下を向いて自分の失態を恥じているように見えた優作がいまも脳裏に焼き付いている。なにをしても優作は上を向いて偉そうにしているほうが"らしい"のである。
老いは全ての生きものに平等に訪れることなのだ、先行して老いるものに対して、あとから老いるものが"寛容"になれば良いだけのこと。何処までこのサスペンダー方式で乗り切れるか分からないが、優作はいまもまったりしている。

TRIBUTE TRIBUTE
6ヶ月以上も放置してしまったのでpiggもリニューアルされ、庭があったりなにやら機能が増えている。
ついに浦島太郎となってしまったようなので、ゼロから覚えることが必要となった。
更新されなくなったブログを見てくださるひとがいることは、なんとありがたいことか。。
これを機会に更新を心がけたいと決意するのであった。

仙台・福島には6月中旬までいて、準備の間もなくシカゴへ飛んだ。
9月初旬に帰国していたのにブログの更新は出来なかった。アメリカでの息つく暇もない毎日と被災地で送った身元確認の日々が、自分から気力を奪ってしまったのだといまは思う。悲惨な状況や深刻な場面には慣れているつもりだったが、津波という惨劇のあとが、あれほど酷いとは想像が出来なかった。言葉で表現したくない程の実情に、可能性という言葉を見失ってしまった僕は、何をする気力も奪われていたのだと感じる。

3ヶ月あまりのアメリカで感じたことは、日本人以上に津波による被害に心を痛めてくれていたこと。
自分を日本人と知るや例外なく"おまえの家族は大丈夫なのか?"と心配してくれた。
僕が滞在するのは低所得者が暮らす町が多いのだが、豊かとはいえないその町に暮らす人々が例外なくそんな状態だった。日本でいえば小学校高学年くらいの小さな子供までもが、そろって津波の被害を知っていることには驚いた。アメリカの田舎といえば、とんでもなく田舎なのだ。一生街を出ることなく暮らす人もいる。そんな場所の人でさえ、日本の津波災害を知り、心を痛めてくれていたことは、本当にありがたいと僕は感じた。

それなのに、しばらくぶりに日本に帰って正直ガッカリした。日本政府にはもちろん、東京は直接被害に遭わなかったこともあり、震災のことをすでに忘れかけているように思えるからだ。一般の僕たちに何が出来るかといえば、特別出来ることはないのだと思う。しかし忘れないことが肝心なのだ。

いまも台風被害が各地で報告されているが、これからは自然災害に対しても真剣に考えなければいけない時が来ているということ。震災被害のみならず生活保護を受ける若年層の増加も深刻な状態であり、日本国民がプライドを持って自立出来る社会、自分の力で生きられる国になれるよう、自覚して生きなければいけないときが来ているのだと思う。いま国外を見て感じる事は、あらゆる意味で日本は世界の後進国になりつつあること。自分の国を先進国と信じてはばからない"おごり"を捨て去らなければ、日本の将来は本当に危ないと思えてならない。

いま自分はある分野において"北米型"の理念と技術を導入するべく活動している。震災地におもむいてヒシヒシと感じる事なのだが、この国はなんと利権の亡者となった人間の多いことか。そんな究極の場所においてもそうなのだから、平穏な場所において他人を思いやる気持ちを持てる実力者というものがこの国にはいないのだ。。必ずしも欧米諸国が日本より優れているとは思わない。しかし"無償の奉仕"という点において、現代日本は世界の最低レベルだと感じる。いつから日本人はこんなにも自分勝手になったのだろう。自分も含め改めるべきことは多いのだと悟った。

原子力発電所の事故や災害を機会に、日本全体が戦後の資本主義で培った"利得を得る"という概念を一掃すべきなのだと感じる。利益を求めるなといっているのではなく、成功のために弱者を踏み台にするなという意味である。人間の欲望があってこその"進化や発展"であることは事実なのだ。先進技術、医療・福祉だけでなく、あらゆる分野において、現在の日本は世界最低の後進国になりつつあることに、誰もが気づかなければいけない時が来ているのだと痛切に感じている。先ずは自分から変わらなければいけないのだと思う。

写真が好きな自分でも震災地でシャッターを切ることはどうしても出来なかった。
文章だけでは味気ないので、アメリカで撮った写真を貼り付ける。
これはセントルイスの公園にあるGateway Arch 192m、1965年から建っているというわりには新しく見える。

TRIBUTE TRIBUTE

TRIBUTE TRIBUTE

中にはトラムという"球"の形をした乗り物があり展望台まで登ってゆけるのだが、半端なく狭く息苦しいのだ。
5人乗りのカプセルにデブのアメリカオヤジと一緒に詰め込まれると、上までの数分間が究極の我慢タイムだ。
丸太のような足が互いを股裂きのような状態にして男同士ではかなり気持ちが悪い、まさにおしくら饅頭。
"3人ずつとかにしろよ"って思うけれど、アメリカ人スタッフに容赦はない。キッチリ5人入れてくれる。
基本的に汗臭いので正真正銘の地獄絵図となるのだが、運良く帰りは可愛い女性と一緒だったので、行きの果てしなく続くと思われた悪夢の時間が、ここに訪れる至福の瞬間へのプロローグに思われた。

TRIBUTE $TRIBUTE

どってことないがこの凄まじくでかい物体の設計者サーリネンは、完成を見ることなく脳腫瘍でこの世を去ったという話。この場所は観光者があまり訪れないと思われるが、ミシシッピ川を挟んだ向こう岸から故人の像がDowntownを望んでいた。