6ヶ月以上も放置してしまったのでpiggもリニューアルされ、庭があったりなにやら機能が増えている。
ついに浦島太郎となってしまったようなので、ゼロから覚えることが必要となった。
更新されなくなったブログを見てくださるひとがいることは、なんとありがたいことか。。
これを機会に更新を心がけたいと決意するのであった。

仙台・福島には6月中旬までいて、準備の間もなくシカゴへ飛んだ。
9月初旬に帰国していたのにブログの更新は出来なかった。アメリカでの息つく暇もない毎日と被災地で送った身元確認の日々が、自分から気力を奪ってしまったのだといまは思う。悲惨な状況や深刻な場面には慣れているつもりだったが、津波という惨劇のあとが、あれほど酷いとは想像が出来なかった。言葉で表現したくない程の実情に、可能性という言葉を見失ってしまった僕は、何をする気力も奪われていたのだと感じる。

3ヶ月あまりのアメリカで感じたことは、日本人以上に津波による被害に心を痛めてくれていたこと。
自分を日本人と知るや例外なく"おまえの家族は大丈夫なのか?"と心配してくれた。
僕が滞在するのは低所得者が暮らす町が多いのだが、豊かとはいえないその町に暮らす人々が例外なくそんな状態だった。日本でいえば小学校高学年くらいの小さな子供までもが、そろって津波の被害を知っていることには驚いた。アメリカの田舎といえば、とんでもなく田舎なのだ。一生街を出ることなく暮らす人もいる。そんな場所の人でさえ、日本の津波災害を知り、心を痛めてくれていたことは、本当にありがたいと僕は感じた。

それなのに、しばらくぶりに日本に帰って正直ガッカリした。日本政府にはもちろん、東京は直接被害に遭わなかったこともあり、震災のことをすでに忘れかけているように思えるからだ。一般の僕たちに何が出来るかといえば、特別出来ることはないのだと思う。しかし忘れないことが肝心なのだ。

いまも台風被害が各地で報告されているが、これからは自然災害に対しても真剣に考えなければいけない時が来ているということ。震災被害のみならず生活保護を受ける若年層の増加も深刻な状態であり、日本国民がプライドを持って自立出来る社会、自分の力で生きられる国になれるよう、自覚して生きなければいけないときが来ているのだと思う。いま国外を見て感じる事は、あらゆる意味で日本は世界の後進国になりつつあること。自分の国を先進国と信じてはばからない"おごり"を捨て去らなければ、日本の将来は本当に危ないと思えてならない。

いま自分はある分野において"北米型"の理念と技術を導入するべく活動している。震災地におもむいてヒシヒシと感じる事なのだが、この国はなんと利権の亡者となった人間の多いことか。そんな究極の場所においてもそうなのだから、平穏な場所において他人を思いやる気持ちを持てる実力者というものがこの国にはいないのだ。。必ずしも欧米諸国が日本より優れているとは思わない。しかし"無償の奉仕"という点において、現代日本は世界の最低レベルだと感じる。いつから日本人はこんなにも自分勝手になったのだろう。自分も含め改めるべきことは多いのだと悟った。

原子力発電所の事故や災害を機会に、日本全体が戦後の資本主義で培った"利得を得る"という概念を一掃すべきなのだと感じる。利益を求めるなといっているのではなく、成功のために弱者を踏み台にするなという意味である。人間の欲望があってこその"進化や発展"であることは事実なのだ。先進技術、医療・福祉だけでなく、あらゆる分野において、現在の日本は世界最低の後進国になりつつあることに、誰もが気づかなければいけない時が来ているのだと痛切に感じている。先ずは自分から変わらなければいけないのだと思う。

写真が好きな自分でも震災地でシャッターを切ることはどうしても出来なかった。
文章だけでは味気ないので、アメリカで撮った写真を貼り付ける。
これはセントルイスの公園にあるGateway Arch 192m、1965年から建っているというわりには新しく見える。

TRIBUTE TRIBUTE

TRIBUTE TRIBUTE

中にはトラムという"球"の形をした乗り物があり展望台まで登ってゆけるのだが、半端なく狭く息苦しいのだ。
5人乗りのカプセルにデブのアメリカオヤジと一緒に詰め込まれると、上までの数分間が究極の我慢タイムだ。
丸太のような足が互いを股裂きのような状態にして男同士ではかなり気持ちが悪い、まさにおしくら饅頭。
"3人ずつとかにしろよ"って思うけれど、アメリカ人スタッフに容赦はない。キッチリ5人入れてくれる。
基本的に汗臭いので正真正銘の地獄絵図となるのだが、運良く帰りは可愛い女性と一緒だったので、行きの果てしなく続くと思われた悪夢の時間が、ここに訪れる至福の瞬間へのプロローグに思われた。

TRIBUTE $TRIBUTE

どってことないがこの凄まじくでかい物体の設計者サーリネンは、完成を見ることなく脳腫瘍でこの世を去ったという話。この場所は観光者があまり訪れないと思われるが、ミシシッピ川を挟んだ向こう岸から故人の像がDowntownを望んでいた。