文先生の無原罪を文先生のみ言を根拠に主張するのは無理があるのでは? | 夜の神様 昼の神様

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一番気になっているテーマをブログのタイトルにしました。
夜の神様、昼の神様について少しずつ掘り下げて考えていきたいと思っています。

今回は「金容成(キムヨンソン)のblog」の記事から、文先生の無原罪について考えてみたいと思います。

 

」 (2016.5.11)

http://blog.livedoor.jp/kimyongsong/archives/1057146478.html

 

-----引用開始-----

 

お父様は、お父様の血統に関するアイデンティティを神様直系の血統であると、み言を通して何度も繰り返し明らかにされた。まずは、み言選集にお父様が直接、お父様は神様直系の血統であると主張されたみ言のリストだけを紹介する。

 

-----引用終了-----

 

この文章の後にはみ言選集のタイトルやページ数が紹介されています。

まず、始めに考慮しておかなければならないのは、この記事が、お母様の無原罪を捏造し、逆に文先生の無原罪誕生を否定する教権勢力を糾弾するために書かれたものだということです。そうした事実を炙り出す作業には、個人的には大いに敬意を払いたいと思っています。

しかし、私が気になったのは文先生が「無原罪」で生まれたという根拠を「文先生によるみ言」だとする点についてです。

 

私たちは、これまで文先生を再臨主として、あまりにも当たり前に信じてきたので、文先生がどのようにして無原罪でお生まれになったのかということについて深く考えてこなかったのではないでしょうか?

もっと言えば、メシヤなのだから無原罪なのは当たり前で、どのようにして原罪を脱がれたのかなど考える必要もなかったと言えるかも知れません。

 

ところが、お母様がご自分こそ無原罪で生まれたのであって、文先生がメシヤの資格を得たのは16歳の時に召命を受けた時からだと主張し始めました。

このようなお母様の説明は、文先生のみ言からは矛盾している訳ですが、このことで私たちがこれまであまり考えてこなかった、無原罪での誕生について改めて理論的に考えざるを得ない状況になりました。

 

そうした状況の中で、お母様擁護派の方は、お母様の無原罪を肯定するような文先生のみ言葉を探してそれをブログに引用します。

逆に、文先生のみ言葉を守ろうとする人は、「お母様無原罪説(独生女理論)」や「文先生の16歳召命時からのメシヤの資格説(文先生が原罪があるとする説)」を否定するために文先生のみ言葉をブログに引用します。

 

しかし、私はこうしたみ言を根拠に無原罪を主張するというやり方は原理的ではないという気がします。

というのは、メシヤであろうがなかろうが、ある人が「私は無原罪で生まれた」と言えば、その人が原罪が無いという証明になることはあり得ないからです。

 

無原罪で生れるためには、無原罪で生れるべくして生まれるための路程があるわけです。

私たちは全員が、その路程について学んで知っているはずです。

ただ、誰もそれを文先生に当てはめて考えてこなかっただけです。

(あるブロガーの記事ではそのことにふれているものがありますが。)

 

基本的には、あまり声を大にして言えるようなことではありませんし、憶測からしか検証できないかもしれないので、軽々に発表することが出来なかった内容かもしれません。あるいは私が知らないだけなのかもしれませんが・・・。

 

文先生の無原罪誕生を原理的に、かつ具体的に説明できればその説明自体が、「お母様無原罪(独生女理論)」を論破する最終兵器になるはずです。

 


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