ヤマアラシのジレンマ 第6章 | 鉢野在流はライトノベルがお好き!?

鉢野在流はライトノベルがお好き!?

ライトノベルを中心に創作、批評、文章研究などを書いていこうと思ってます。物書きからの目線で物事を見定めるようシンプルに分析できれば、と。

 木の根につまずいた。うつ伏せに倒れたまま、息を整える。土の味。
 子供の頃も、よくこうやって転んでは洋服を汚した。
 痛みの中、私は泣きはらし、地面を転がる。
 そうすればきっと、兄が来てくれると分かっていたから。
 
 ――大丈夫かい、ジレンマ――
 
 木漏れ日の中、兄は優しげな顔で私に手を差し伸べてくれる。
 私は目を腫らしながら、その手を見つめ、そっと握る。
 いつも、どんな時でも、兄は私の傍で見守り、私を助けてくれる。私だけを見つめ続けてくれる、だから……エミールと親しくしている姿に……胸が苦しくて……だから、溺れて……。
 私は立ち上がる。
 
 もう誰も手を差し伸べてくれる人はいないのだ。
 うっそうとした森の中、私は歩き出す。あの巨木がある場所へ。
 兄がいつもいた、あの場所で。私も帰ろう。

 そこには誰もいない、はずだった。
「ジレンマ……さん?」
 巨木の影から声が。
「あ……」
「はは、やはり、ここでしたか」
「サジタリウス様……」
 
 私の顔を見るとサジタリウス公はにっこり微笑んだ。緑色の王国軍軽装着にはいくつもの勲章が飾ってある。
 マントを翻し、公爵は巨木と向き合った。横顔は、やはり兄。
「いやね、エミルからこの場所の事を聞いたことがあるものですから。何でも、亡き兄上との思い出の場所だったとかで」
 そう言って、巨木の幹にある無数の傷を撫でた。私はその光景に顔を背けた。

「……さきほどは、大変危険な状態でしたね。ジレンマさんの、剣に対する熱意は素晴らしいものですが、あれは、いささか度を過ぎます」
 私は俯く。なにか言葉を発しようとするが、何も言えない。
「亡き兄上も悲しむのではないかな、許嫁だった相手にあのような行為に及んでは」
 視線が突き刺さってくるのが分かる。エミールのとは違う、今まで受けたことのないような抗する事を束縛するような視線。
「それも貴女にとってエミルは親友ではなかったのですか? エミルはいつも貴女のことを誉めていましたよ、まるで自分の事のようにね」
 
 公爵は幹の傷口の一つを舐め上げるように指でなぞった。
「……っ」
 私は自分の身体を抱く。触らないで、そこに。お願いだから。か細い声、森のざわめきに消えてしまう。
「……ジレンマ・シレジレア。若くしてそれも女性でありながら、名門シレジレア家の当主に着かれた……心労は多大であったでしょう」
 公爵は幹から指を離し、私の方に手のひらを向けながら、歩いてくる。かちゃり、かちゃりと、帯剣の揺れる音。黒い革のブーツが舞い落ちた緑の葉を踏みしめながら、近づいてくる。

「大丈夫ですよ、ジレンマ。今後は私が貴女を保護してあげますから。ですから、その握りしめた拳を開きなさい。あなたには美しいドレスが似合う、きっとエミルも悦ぶことでしょうから」
 本当に? 本当にそうなの? にいさま……
「もちろん、亡きレメウス殿も……そして、私もです」
 閉ざされた拳に公爵の指が触れようとしたが、

「ジレちゃん!」
 
 その声に指を振り払う。「っち」舌打ちに顔を上げると、サジタリウス公の苛立った顔。
「……エミル。僕は、学園で待っていろと言ったはずだが?」
 さきほどと違う氷のような声。けど、底にあるものは変わらない。束縛を命ずる声質。
「サジタリウス様……申し訳ありません。ですが、」
「申し訳はないのであろう、ならば」
 公爵はエミールへと足早に近づき、
「口答えするな!」
 平手で頬を打った。白い頬に赤みが差す。

「……はい」
 伏し目がちで耐えるように、エミールは頭を下げる。
「はは、不甲斐ないところを、お見せしてしまった」
 顔だけをこちらに向け親しげな笑みを見せる公爵。だが、顔とは裏腹に、
「しかし、躾はしっかりしなければ!」
 空中で留めた平手を返す刀のように、手の甲でエミールの反対側の頬を殴りつけた。裏拳を受ける形になり、エミールは地面に倒れ込む。
 
 胸が締めつけられる。それだけじゃない……。
 公爵は倒れたエミールの傍にしゃがみ込むと顔を起こす。
「エミル、悪い子だ。主人の言葉に逆らうなどと……またあの『言葉』を言って欲しいのかい?」 公爵の言葉にエミールは、唇を震わす。
「や、やめてくださ……」
「『エミール、ごめん僕は君のこと』」
「い、いやぁぁぁ、レメウス様ぁぁぁ、そんな事言わないでぇぇ!」
 耳をおさえながら、エミールは狂ったように頭を振るう。身体中ぼろぼろで、心もぼろぼろで。
 
 私は……

「はっはぁ、憐れだね。僕を、君の兄上と間違えているのだから……君もそうなのだろう、ジレンマ? 考えなくてもよい、さぁ、おいで……」
 サジタリウスは立ち上がるとこちらを振り向き、手を差し伸べてきた。
「ん? ――なるほど、そういう気か」
 だが、私の手の中にあるものを見て、差し伸べた手を戻すと、
「まぁ、いい……かたわでも美しさは変わらぬ」
 腰の帯剣を抜いた。日の落ち始めた赤い光が白刃を染めている。
「むしろな、フフ」
 
 木刀を構えた私の姿に、嘲笑している。
 私もそれにつられて、笑ってしまう。
「どうした、気でも触れたか? 流石はシレジレア、良い血脈だな」
 可笑しいモノだ、どうしてなのかな。しかし、仕方がない、気づかないものだ。
 サジタリウスの顔を正面からきっちり見据える。
 まるきり、似てないじゃないか。
 サジタリウスの後ろで、泣きじゃくるエミールを見る。

「エミール! 私を見ろ!」
 閉じられた耳からゆっくり手を離すと立ち上がり、エミールは虚ろな瞳でこちらを見つめた。
「……れめうすさま?」
 瞬間、上段に夕陽の反射。受けようと木刀を構えるが、思いだし、白刃を流す。ぶんっと風切り音、ほつれた前髪が風に流されていった。
 ニヤリ、サジタリウスの口角が上がる。
 下段から上段へ返す、ナイトソードの斬撃。後ろに後退し、逸らす。

「なに? よけたのか!」
 この男はよほど返し打ちが好きなのだな。つまらんクセだ。
 伸びきった肘に、木刀の一撃をたたき込む。
「ぐがあぁ」
 竹を割るような感触、きっちり折った。おかしな方向に曲がった前腕に力は無く、ナイトソードが手から滑り落ちる。

「や、やめ、私はえいゆうだぞ、私に」
「私の……私達の英雄は!」
 みぞおちに深々と木刀をねじり込む。
 声にならない声でサジタリウスは、「か」と言いながら、地面に突っ伏した。
 ……もう、いないんだ。