①木って凄い。鳥や虫たちは巣をつくり餌を食べる。一本だけでどれだけの命と触れ合うのだろう。そして命を奪う事はない。人間はどうだろう?他の生き物の餌を奪い、命を奪い生きている。一人だけでどれだけの命を奪っている事か?人は木の様に優しく生きれないのだろうか?人の一番の罪は木を切る事だ。

②優しいってどういうこと?と聞かれたら「木のように生きる事」と答える事にしている。傷つけず、奪わず、そして与える。なんて素晴らしい存在だろう。木を切り倒すなんて悪魔の所業のような気がする。そして、木の様に優しく生きる人間を切り倒す人間も存在する。いや、木のような人間が生き残れない社会なのだ。

③木は栄養を蓄えて自分が成長した分だけ、より多くの生き物にその恵みを分け与える。人間は成長した分だけより多くの命を奪い、更に栄養を際限なく求め続ける。どうしてなのだろう?欲としか言いようが無い。そして自分達でそういう破滅の仕組みを作っている。なんと愚かな事だろう

④鳥が巣を作れば重いと払いのけ、虫が餌を求めれば毒を喰らわす。自分の栄養は独占し、より多くを求めるのだ。正に見た目だけ立派な腐った大木だろう。なんとまがまがしい大木だ。コレでは愛されるはずが無い。しかもこの大木は腐ってるのに倒せないのだ。

⑤中には、恵みを分け与える大木のような人間も居る。自分は見たことが無いが居ると信じたい。従業員全員と恵みを分かち合い、そして環境に貢献する社長だ。こんな大木なら自然と鳥達も寄ってくる事だろう。だが、まがまがしい大木が増えすぎたせいで、このような大木は養分を吸い取られてしまうのだ。

まがまがしい腐った大木に負けない、立派な大木のような人間になりたいものだが自分の性格では大木にはなれない事だろう。小さい木じゃ腐った木が生えまくる大地で生き残れない。せめて、腐った木と立派な大木の見分けがつく鳥でいたいものだ。
①高校の国語の授業中、先生は生徒全員に向かって質問した。「貴方にとって、近くにあるようで遠い物とは何ですか?」それを聞いた生徒たちは全員が悩んでいたが自分だけは直ぐに答えが出ていた。即座に「ハイ!」と手を挙げると先生は驚いて俺を指した。俺は自信満々に答えた。「蕎麦屋です」と。

②クラス全体が笑いで包まれた。先生まで「意味が違う」と言いながら笑っていた。実はコレは笑いを狙って言った訳ではない。言葉遊びというか、そういう答えを望んでいるのかと、その時は何故か思ってしまったのだ。まじめに答えると、正解は蕎麦屋です。と先生が言うのかと思ったのだ。深読みしすぎたらしい。

③コレは天然ボケなのだろうか?たまに友人に天然だよねと言われたが、自分では天然に思われる計算をしたボケだと思っていたのだが、最近は解らなくなってきている。まぁ笑いは友情を育む。人が笑ってくれるのは良い事だ。だが、天然ボケは危険だ。場の空気を読まないで発する危険があるのだ。

④まぁ、母親の血を引いていたら天然は遺伝かもしれない。ウチの母は、友人に美味しいと聞いたと言って柿フライを作るような母だ。他にも数々の伝説があるが、ここでは母の名誉のため書くのは控えよう。それよりもコレは天然なのかだ。求めた答えと意図せずにずれた回答は天然だが、深読みしてずれた場合でも天然なのか?

⑤自分は本当に天然ボケな人なのか考えてみよう。そのほか思い当たるのは、工場の仕事で団体行動の入社研修で「アレルギーはありますか?」と聞かれたとき即座に「カニを食べると蕁麻疹が出ます」と答えた。仕事でカニは食べないが、アレルギーには違いない。これって言うべきかな?言ったらウケるかもだし空気和む程度で実害は無いなと、そう判断して言った。

⑥場の空気を読んでその通りになったアレルギーの話は、天然ではないだろう。笑わせる気が無くて笑ってしまうのが天然だと自分は思っている。そう考えると蕎麦屋の話は天然になってしまう。まてよ、そう考えるとお笑い芸人で天然は存在しなくなってしまう。笑わせる仕事をしてる時点で天然を否定してるのだ。

⑦他には、工場で流れ作業をしていた時だ。その仕事は完璧に慣れていたので、仕事中は半分寝てても体が勝手に動くレベルだったんだ。そんなときに火災報知機が鳴ったんだ。この火災報知機がよく鳴るんだ。そして火災だった事は過去に一度も無い。俺は隣の仕事仲間に「うるさくて寝れないよ~」と言った。

⑧当然、隣の作業者が上司だったらそんな事は言わない。そいつは俺に「仕事中に寝るな~!」と笑いながら突っ込んでくれたが、これも危険なボケだ。だが空気を読んでいるから天然ではないと思う。だが、お笑い芸人が言うと天然っぽい気がする。果たしてボケの天然かどうかの判定は誰が決めているのだろう。

まぁ、相手を考えず、場の空気を読み間違えたボケだけはしないように気をつけよう。
水鉄砲ではタバコに火は点けれない。濡れたタバコを笑って捨てるか、水鉄砲を壊すか。水鉄砲で遊びたいなら、笑っているほうがいい。どちらにしろタバコを捨てる事に変りは無い。好きな女の子をいじめる男子の気持ち、悪戯心とはそんなものだ。相手に興味があるから構って貰いたくて悪戯をする。

真剣な場所でやればやるほど、悪戯する側は楽しいんだ。20本ある内の1本よりも、最後の1本のタバコを狙って水鉄砲で水を掛ける。掛けられた側は怒る。その怒る姿が楽しいのだろう。これが笑いといじめの境界線だ。

やられる側がどう返すかで、今後の相手の反応も変わっていくだろう。笑いながら「何て事しやがる」なんて言った日には、その場はお互い笑って済むが、やる側はエスカレートするだろう。やる側は2人のコミニュケーションとしか思ってないのだ。

では、やられる側が本気で怒るとどうなるか?「貴方どういうつもり?」この一言で関係は壊れます。やる側はそんな返答が返って来るとは思ってないわけです。コレだけでも良心が痛む訳ですね。好かれたくて悪戯してる男子は、自分の悪戯で傷ついてる大好きな女子の心を知る訳です。知った上で男子はいつもどうりで居れるのか?

女子の傷が深ければ深いほど、男子の心は傷つく。いつも水を注いでいたグラスは突然、割れてしまった。割れたグラスには水を注げない。大好きなグラスの破片を集めようと手が傷だらけになっても、元のグラスには戻らない。

割れないグラスになるか、注ぐ前に傷を確認するしかないのだけれど、どちらが先に気が付くのだろうか?真剣な思いを込めた小説を書くと、茶化されるコメントに耐えられなくなり、笑いネタ小説などを書いて気を紛らわせたくなります。傷として残る訳ですね。ヒビが入ったグラスの反対側で水を受けるようにする。

果たして自分のグラスは割れる事無く、水を受け続けられるだろうか?水を得る喜びを知らない方が良かったとは思わないけど…。