水鉄砲ではタバコに火は点けれない。濡れたタバコを笑って捨てるか、水鉄砲を壊すか。水鉄砲で遊びたいなら、笑っているほうがいい。どちらにしろタバコを捨てる事に変りは無い。好きな女の子をいじめる男子の気持ち、悪戯心とはそんなものだ。相手に興味があるから構って貰いたくて悪戯をする。

真剣な場所でやればやるほど、悪戯する側は楽しいんだ。20本ある内の1本よりも、最後の1本のタバコを狙って水鉄砲で水を掛ける。掛けられた側は怒る。その怒る姿が楽しいのだろう。これが笑いといじめの境界線だ。

やられる側がどう返すかで、今後の相手の反応も変わっていくだろう。笑いながら「何て事しやがる」なんて言った日には、その場はお互い笑って済むが、やる側はエスカレートするだろう。やる側は2人のコミニュケーションとしか思ってないのだ。

では、やられる側が本気で怒るとどうなるか?「貴方どういうつもり?」この一言で関係は壊れます。やる側はそんな返答が返って来るとは思ってないわけです。コレだけでも良心が痛む訳ですね。好かれたくて悪戯してる男子は、自分の悪戯で傷ついてる大好きな女子の心を知る訳です。知った上で男子はいつもどうりで居れるのか?

女子の傷が深ければ深いほど、男子の心は傷つく。いつも水を注いでいたグラスは突然、割れてしまった。割れたグラスには水を注げない。大好きなグラスの破片を集めようと手が傷だらけになっても、元のグラスには戻らない。

割れないグラスになるか、注ぐ前に傷を確認するしかないのだけれど、どちらが先に気が付くのだろうか?真剣な思いを込めた小説を書くと、茶化されるコメントに耐えられなくなり、笑いネタ小説などを書いて気を紛らわせたくなります。傷として残る訳ですね。ヒビが入ったグラスの反対側で水を受けるようにする。

果たして自分のグラスは割れる事無く、水を受け続けられるだろうか?水を得る喜びを知らない方が良かったとは思わないけど…。