✒手の形によって感覚が変わる/ふぁんそんテクニックの全て・12-6 | ふれあいと癒しの交響曲(名古屋/京都/気功/教室/講習/和気信一郎)

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✒手の形によって感覚が変わる/ふぁんそんテクニックの全て・12-6


(四)のつづき・4

9、内観(ないかん)

🔹内観の意味
 内観には、仏教的な意味や心理学的意味など様々あるようですが、ここでの〔観の意味は、〔気〕を体感するという意味です。
 〔内観〕ですから、自分の内なる気を観察し、体感する訳です。
 ところで、坐禅の〔坐〕という漢字ですが、見れば解るように、〔坐〕は、土の上に人が二人いますよね。
 本来、坐禅とは、釈尊のように菩提樹の根元とか、中国の仙人修行のように黄山の山の崖っぷちとか、屋外の大地の上に坐るんですよね。
 屋根のある部屋で〔すわる〕場合は、屋根のある部屋を意味する〔マダレ〕を付けた〔座〕という字を書きますよね。 
 で、〔坐〕という字の、土の上の二人の人は何を意味しているんでしょう。
 僕が仏道を学ばせて頂いた故松原泰道老師は、この〔坐〕という漢字を、土の上で〔わたし〕が〔もう一人のわたし〕と向き合って坐っているという意味だと教えて下さいました。
 つまり、内観している状態を表している訳ですね。
 そして、僕は、〔もう一人のわたし〕を〔わたしの気〕という具合に考えたということなんです。
 〔わたしが私の気を感じて坐っている〕、これが、ここでの〔内観〕の意味なんですよね。 

🔹内観の形
 腕を丸くして大きめの気のボールを抱くようにして、掌を胸板に向け、掌は胸板に向けたまま、肩と肘を降ろし、、体重を尾骨に落として、スッと腰を伸ばす。

🔹内観の感覚
 腕で作った円の中の気のボールが胸板から胸の中にも染みこんでいるような感覚で、主たる気持ちは胸の中の気の感覚を体感しておいて下さい。


10、空(くう)

🔹空の意味
 〔色即是空〕、即ち、〔わたしと空という存在は一つになっている〕という般若心経の経文を体感するという意味で、〔空〕と名付けました。
 元々〔空〕は、〔膨れあがって内部が虚ろ〕という意味なので、自分の体内で体感できてきた〔ふぁんそん〕の感覚が、感覚としての皮膚のバリアが消滅していくことで、外と内との区別が無くなり、体内の〔ふぁんそん感覚〕が外に広がり、この空一杯にまで膨らんでいき、その大きな丸い空間の中に坐している自分の肉体そのものが温かな空気的な存在になっている、そんな感覚を〔空〕と理解して下さい。

🔹空の形
 手の四本指を組み合わせ、掌を上に向けて足の上に載せ、親指は開いた形。

🔹空の感覚
 胴体内の気の感覚(ふぁんそん感覚)が少しずつ膨らみ、肩や腕や背中、腰、顔や頭から外に広がって行って、やがて、この空一杯に膨らんだ空の中で自分の肉体的な感覚は消滅し、温かな空気的な存在として、空と一つになっている感覚になると良いですよね。
 足は、仏像などが載っている蓮華座のように残っているかな?