✒手の形によって感覚が変わる/ふぁんそんテクニックの全て・12-5
(四)のつづき・3
7、蓮華(れんげ)
🔹蓮華の意味
僕は実際には見たことがないんですが、仏教学者の中村元先生のお話で聴いたと思うんですが、インドでは蓮華の花は、日本で云えば桜のように親しまれ、結婚式などのお祝い事の時にも飾られるんだそうですよ。
その蓮華の花が仏教に取り入れられ、大抵の仏像は蓮華の上に坐ったり立ったりしていますし、手に持っている観音さんもいますよね。
その理由は、蓮華が泥の中に根を張って咲いているにも関わらず、美しく芳ばしい花を咲かせていて、それが仏道の生き方の象徴のように考えられたんだと言われています。
泥、即ち、煩悩渦巻く俗世間の中に足は入れている(そこで生きている)けれど、それに染まることなく、真っ直ぐで、良い香りを漂わせ、清らかで美しい花を咲かせていく(良い影響を与えながら、清く正しく美しく生きていく)、という感じなんだと思います。
🔹蓮華の形
胸の前で両手の手根部を合わせ、親指同士、小指同士を触れ合い、他の指は上に向けてしなやかに伸ばした形の手を作り、肩と肘を降ろし、体重を尾骨側に掛けて、スッと腰を伸ばして坐りましょう。
🔹蓮華の感覚
掌や手の間の空気感と同時に、その蓮華が投影しているように、胸の中にも温かな空気感覚(ふぁんそん感覚)が現れてくる心地よさを体感してみて下さいね。
8、無相〔むそう〕
🔹無相の意味
これは般若心経の中の経文である〔諸法空相〕からヒントをえた坐法です。
この経文は、正式には〔諸法空.無相〕であると知った時の感動は今でも忘れません。
この世に存在しているあらゆるものは空であり、無相であるということで、つまりは、〔空〕と〔無相〕とは同義語だったんですね。
軟酥の法で有名な白隠禅師が作られたという〔坐禅和讃〕という経文の中にも次のような下りがあるんです。
「無相の相を相として
往くも復るも餘所ならず
無念の念を念として
歌うも舞うも法の声」
で、この〔無相〕ですが、相が無いということで、〔相〕とは、相互、相関、相思相愛などという言葉からも判るように、二つのものの存在を前提とした言葉なんですね。
二つの別々の存在があるからこそ〔相〕の状態が出来る訳で、その相が無い訳ですから、二つを隔てているバリアが無いということなんです。
時分の体内と外とを隔てている皮膚というバリアが消失している訳で、ですから、それは〔空〕の状態と同じことなんですよね。
〔無相〕は、精神的な意味での心のバリア、即ち、固執、執着などと言った〔とらわれ〕が無くなっているということも意味しているように思っています。
🔹無相の形
両手を左右斜め下に広げて降ろし、掌を前に向けた形です。
その形のままに、掌を上に向けてみると、感覚も変わりますよ。
🔹無相の感覚
掌を前に向けた場合は、前の広い空間の端に座って、その空間を受け止め、その空間の一部になっているような心地よさで、掌を上に向けた場合は、空間の1番底辺に坐っていて、体丸ごとがその空間と一つになっていくような心地よさが体感できると思います。