【悟り&覚りについて考えてみました】 | ふれあいと癒しの交響曲(名古屋/京都/気功/教室/講習/和気信一郎)

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気功の理論や教室のこと、日々のことなどを書いています



(一)
 善い意味でも少し皮肉った意味でも「あの人はさとっているからね」などと言う表現がありますよね。
 この「〔さとる〕という言葉ですが、孫悟空の〔悟〕とも、覚醒の〔覚〕とも書きますよね。
 この二つの漢字で、意味は違うんでしょうか?
 どうも〔悟〕の場合は、迷いから抜け出て真理を会得した場合などに用い、〔覚〕の方は、何かに気づいた時などに用いられているようですが…。

(二)
 ところで、釈尊の本名は、ゴータマ、シッダールタという名前だそうで、彼が苦行や坐禅瞑想の修行によって真理を悟り、ゴータマ、ブッダと呼ばれるようになったようですが、このブッダという意味は、目覚めた人つまり、覚者ということらしいんですよね。
 えっと思われませんか?
 真理を会得したのに、つまり〔悟りを得た〕のに〔覚者〕って?
 で、このブッダというインドの言葉を漢字で仏陀と表し、それが仏になり、その仏の教えということで〔仏教〕と呼ばれているんですよね。
 そのゴータマ、シッダールタはインドのシャーキー族(釈迦族)という部族の出身で、そのシャーキー族から出た貴い人(ムーニー)というところからシャーキームーニーと呼ばれ、それを漢字では釈迦牟尼と表し、略して釈尊と記されている訳で、それが通称、お釈迦様と呼ばれている人なんですよね。

(三)
 話を〔悟り〕と〔覚り〕の話に戻しますね。
 ブッダを覚者とするならば、この場合の〔覚〕の意味は、真理に目覚めた人、真理に気づいた人ということになり、〔悟〕と〔覚〕とはほぼ同義語になるんですよね。
 そして、僕は、これら二つの言葉を全体として〔気づき〕と理解しているんです。
 つまり、〔気づき〕には様々な段階があり、その頂点に位置するのが、唯一〔悟〕という言葉だと考えているんです。

(四)
 僕は気功を学び深めていく場合、気功の技を身につけていく場合、この〔気づき〕が重要だと考えています。
 〔覚える〕より〔気づく〕ことの方が大切なんですよね。
「あっそうか!」、「こういうことだったんだ!」などという気づきの連続によってこそ、本当の意味で〔気功が自分のものになる〕んだと思っています。
 そして、その気づきの一つ一つが〔真理〕なんですよね。
 背骨のゆるめ方、体や腕の使い方、気の感じ方、気の動かし方、気の採り入れ方、気の蓄え方…等々、沢山の気づきを得て下さい。
 そして、その気づきの度に、
「覚ったぞ!」
と叫んで下さい。
 そして、釈尊のように、その〔気づき〕の内容を僕や他の人たちに話して下さい。
 人に話すことで、その〔気づき〕が本物になっていく筈ですから。


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