【十の戒を受けて】 | ふれあいと癒しの交響曲(名古屋/京都/気功/教室/講習/和気信一郎)

ふれあいと癒しの交響曲(名古屋/京都/気功/教室/講習/和気信一郎)

気功の理論や教室のこと、日々のことなどを書いています



(一)
 日本の三大聖地の一つに高野山があります。
 その高野山に、僕は気功の仲間たちと十回近く訪れています。
 殆どが8月13日の夜に開催されるローソク祭に合わせて出掛けています。
 その時に必ず立ち寄る場所があります。
 大師教会という施設です。
 その施設に行くのは、ある一つの目的があるからです。
 その目的とは、阿闍梨様による授戒を受ける為です。

(二)
 大師教会の広い講堂の廊下の奥に受戒堂というのがあり、授戒を受ける人たちが入場すると扉が閉められ、阿闍梨様が座られる檀の上で灯されている蝋燭の明かりだけで、ほぼ真っ暗になります。
 そこに阿闍梨様が現れ、蝋燭の前に座られますので、阿闍梨さまの黒い影だけが映し出されます。
 授戒は阿闍梨様が十善戒の一つ一つを唱えられ、その後に戒を受ける私たちが続けて唱えます。
 〔不殺生、不偸盗、不邪淫、
 不悪口、不両舌、不妄語、不綺語、
 不瞋恚、不慳貪、不邪見〕
の十善戒です。
 そして、授戒が終わった後に〔菩薩戒牒〕というものを戴きます。
 中に〔十善戒〕が記されており、僕はそれを御守りとして持っています。

(三)
 菩薩というのはサンスクリットの〔ボゥディ・サットヴァ〕の音を漢字で表した〔菩提薩埵〕を略した言葉で、人間性の完成を求めて修行している者を指す言葉です。
 そして、その菩薩の行う修行、即ち、菩薩行としての最低限の戒めが十善戒なんですね。
 僕は、高野山に行く度に阿闍梨様から授戒を受けなければ、直ぐに道を踏み外してしまうんです。

(四)
 気功は仏道ではありません。
 しかし、身と心と息を調え、囚われのない、穏やかで静かな入静の境地に向かう気功は、必然的に菩薩の修行に近づいて行くことになります。
 そして、この十善戒は、自らを人間として高めていく上での最低限のラインではないかと思っているんです。
 殺さない、盗まない、淫らな行ないをしない、悪い言葉を使わない、嘘を言わない、ほらを吹かない、おべっかを使わない、怒らない、貪らない、色眼鏡で見ないなどの事柄は、気功を学ぶ者にとって、心身を汚さないための基本だと思うんですよね。
 僕は、この十善戒を気功的な生活のベースにおいて行きたいと考えているんです。

 #高野山 #大師教会 #授戒 #十善 #菩薩 #気功