日本格闘技界から消えゆく「世界」。 | 銀玉戦士のアトリエ

銀玉戦士のアトリエ

一応UFC、MMA、海外キックを語るブログ。ゆるーく家庭菜園や食べ物エントリーもあります。

Instagram ID:notoriousginchang

Youtubeを見ていたら、格闘技情報系のまとめチャンネルにおいて、またも「前門の虎、後門のオオカミ君」ことMMA戦績0勝2敗のK-1ファイター、ヒラモトレンがTwitter上で叩かれているという動画を発見したので、K-1=俺😝⭐️としましては他人事のように思えなくなってしまったので一応観てみました。

 

https://youtu.be/0RIHAK-C4tQ

 

ヒラモトはこの前行われたボクシングの村田諒太VSゲンナディー・ゴロフキンでゴロフキンを応援していたらしく、ヒラモトのゴロフキン贔屓のツィートに癪に触った一部のアンチが「日本人なのに日本人選手の村田を応援しないなんて何事だ💢‼️MMAで結果が出せないのに偉そうな事言うな💢‼️」と喰って掛かってきたというわけです。

 

ヒラモトが日頃の言動や、それに反したMMAでの実績から叩かれやすいキャラクターなのは仕方がないにしろ、それにしても、ヒラモトにクソリプを送るアカウントが全く知らないアカウントばかりになってしまったところに時代の流れを感じました。オイラがまだTwitter辞めてから4ヶ月しか経過していないんですけどね。個人的にTwitterは格闘技冬の時代と言われていた2013年~15年辺りが一番面白かったですし、いいね稼ぎの承認欲求からクソコラツイート連投したりステレオタイプに感情を発するだけの今の格ヲタツイッタラーキッズやキッズおじさんらとは違って、あの頃は良い意味でマニアックで濃ゆいアカウントが多かったです。

 

それはともかくとして、ヒラモトが「昔から日本人選手よりも外国人選手を応援したくなるのは何でだろう」というツイートには、UFCファンであり外人選手贔屓であり旧K-1ファンであった自分も大いに共感します。

「日本人は日本人選手を応援しなくてはいけない」とか言っていた暑苦しいアホMMA解説者がいましたが、ファンが誰を応援しようが個人の自由ですし、それこそルイス・ネリを応援しようが他人に非難される筋合いなど無いわけです。テメエの価値観を勝手にこっちに押し付けんじゃねぇよって思います。

 

 

今でこそ、新生K-1やRIZINが軽量級の日本人選手主体に興行を回せる時代へと変化を遂げていきましたが、旧K-1、PRIDEが全盛期だった90年代~00年代の日本格闘技界は、日本人選手よりもむしろ外国人選手のほうが主役でした。

 

旧K-1ではアンディ・フグ、ピーター・アーツ、アーネスト・ホーストら、個性豊かなヘビー級の外国人選手達が豪快なKO劇で観客を沸かせていましたし、PRIDEでは「60億分の1、人類最強」の座を争うエメリアー・エンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、ミルコ・クロコップの三つ巴によるスケールの大きな戦いに、会場のファンは熱狂の渦に包まれていました。

 

もちろん、この時代にも桜庭和志、魔裟斗、佐竹雅明、小川直也、山本KID、五味隆典ら日本人スター選手も居ましたが、彼らが人気を博したのは当時世界最強のメンツと言われていた旧K-1やPRIDEの外国人選手達と真っ向勝負で激突し、世界のトップ選手として結果を残してきたというのも理由の一つとしてあったと思います(小川直也はちょっと違うと思うが)。

 

むしろゼロ年代のK-1において、現在のムサマサこと魔裟斗、武蔵という二人の日本人エースは、人気者でありながらも同時に当時の運営に贔屓判定やプロテクトされていたという部分で、一部のコアなファンからは忌み嫌われている存在でもありました。

特に、豪快なKO劇が求められている旧K-1ヘビー級において、ポイント狙いの打撃と相手が近付いてきたら打ち合わずクリンチでやり過ごす「武蔵流」という名前に反したセコイ戦法で2003年、2004年のK-1WGPで準優勝を成し遂げたリングネーム武蔵こと、本名・森昭生さんは、当時のK-1ファンから随分と叩かれていたものです。

今思えば日本人選手がヘビー級という階級で結果を出すにはああいう戦法に振り切るしか無かったのかなと思いますし、当時のK-1はミルコ・クロコップ、マーク・ハント、ステファン・レコら主力選手をPRIDEに引き抜かれ、谷川モンスター路線全盛期であった事から「K-1暗黒期」と揶揄されていて、ファンのフラストレーションも溜まっていたという時代背景もあります。

 

ヒラモトもゼロ年代の旧K-1を観て格闘家を志した世代で、K-1MAX王者だったブアカーオに憧れていたという話ですし、そんなゼロ年代の日本格闘技界(特に旧K-1)を観て育った世代からすれば、日本人選手よりも外国人選手に肩入れして応援する、という価値観はむしろ当たり前のようにあったはずです。

 

自分も旧K-1ファンとして、日本人選手には無い身体能力やフィジカル、技術を持っている外国人スター選手達の試合に魅了されていった一人で、旧K-1という「立ち技世界最強」という舞台が消滅した後も、PRIDEに代わって世界最高峰のMMA団体へとなっていったUFCに「夢の続き」というものを追い掛けてUFCファンとなり、現在に至っているわけであります。「何でK-1ファンだったのにUFCファンになったんだ⁉️」とお思いの方も居るでしょうが、キックボクシングに関しては旧K-1消滅以降、それに代わる世界最高峰のメジャーな舞台が現状存在していないのと、UFCファイターの打撃スキルが、かつてK-1ファンであった自分の鑑賞に耐え得る程ハイレベルで魅了された、というのが主な理由であります。

 

外国人スター選手への憧れと、世界最高峰という概念に対しての飽くなき探究心。これこそが自分が2002年のボブ・サップフィーバーから20年に渡って格闘技ファンとして居続け、10年に渡って当ブログを運営し続けている原動力でもあります。

 

 

 

旧K-1、PRIDE、DREAMが消滅して日本格闘技界は冬の時代を迎え、2014年、15年に新生K-1、RIZINが旗揚げされ、武尊、那須川天心、堀口恭司、朝倉未来ら軽量級の日本人スター選手が人気を博していった事で日本格闘技界は復興を遂げていきました。

重量級の外国人選手達が主役だった90年代、00年代の格闘技ブームと大きく違うのは、70kg級以下の中軽量級の日本人選手達を主役とした興行形態を取っている事です。

昔と違って、TV放映権料が多く入って来ないので高額のファイトマネーで大物外国人選手を招聘できない、という懐事情もありますし、あんまり強い外国人選手を招聘しまくると日本人スター選手が活躍できなくなって潰れてしまう、という懸念から、こうなるのは致し方が無いとは思いますし、日本格闘技界の未来を考えたら、日本人の平均体格にフィットした軽量級の選手達を多く育成していく、という方向性に振り切るのはむしろ正しい事であったりします。

 

 

 

 

新生K-1、RIZIN旗揚げ以降の日本格闘技界がそういう流れに変化していった事もあってか、日本人選手は思い入れを持って応援するけど外国人選手の試合はよく知らないから応援しない、観ないで飛ばす(というか、好きな選手の試合しか興味が無い)という格闘技ファンが、ゼロ年代格闘技ブームの頃と比較するとかなり増えたように思いますし、長年UFC贔屓のスタンスでTwitterをやってきた自分もラスト2、3年くらいはかなり肩身の狭い思いをして、これがTwitterを引退した一つの引き金だったりもします。

 

6月19日に武尊VS那須川天心がメインイベントで対戦する「THE MATCH 2022」が東京ドームで開催されるわけですが、58kg契約という、UFCで言うところのフライ級と同じくらいの適正体重の日本人選手同士のカードで東京ドーム興行が開催できるまでになったのは本当に大したものだな、と感心する反面、ゼロ年代格闘技ブームに熱狂し、現在はUFCファンである自分としましては、軽量級の日本人選手同士のカードを世界最高峰、世紀のビッグマッチと持ち上げざるを得ないところに、旧格闘技ブームには存在していた「世界」というスケール感の大いなる損失をどうしても感じてしまうわけです。

軽量級、肘無し、首相撲が制限されたK-1ルール系のキックボクシングというジャンルが盛んなのは世界でも日本だけですし、那須川天心がこの試合を最後にプロボクサーに転向するのも、日本でしかメジャーコンテンツになれない軽量級のキックボクシングというジャンルに敵が居なくなったので見切りを付けた、という理由からなのでしょう。

 

ワタクシが今の日本格闘技界にノレないのは個人の好みだから仕方がないにしろ、それでも新生K-1やRIZINが新規の若いファンの支持を得ている以上「ガラパゴス格闘技(うわっ懐かしいフレーズだ)」で有り続ける事が、今の格闘技ファンや選手達にとっては幸福な事なのかな。ただゼロ年代格闘技バブル期熱狂と比較すると今のプチ格闘技ブームみたいなのが遠くから見て物足りなく感じてしまうのも、「世界」というスケール感の違いだったり時代背景の違いにあるのかもしれません。

 

今後も日本格闘技界における「内需化」の傾向は続いていく事でしょうし、「世界」に興味が無いファンも多くなってくる事でしょう。

当ブログは今後もそんな日本格闘技界の流れに迎合する積りは微塵もありません。

もはや日本格闘技界にとって消えゆく伝統芸能と化しつつある「世界」という概念を守り続ける最後の砦として、UFCや海外キックを追い掛けつつ、日本格闘技界に対しては引き続き三歩下がった距離から上から目線で鳥瞰していく事で、そういう立ち位置でしか見えてこないものを発信し続けようと思っております。