格闘技ブロガー歴13年の節目を迎えて 〜消えた格闘技ブログ〜 | 銀玉戦士のアトリエ

銀玉戦士のアトリエ

一応UFC、MMA、海外キックを語るブログ。ゆるーく家庭菜園や食べ物エントリーもあります。

Instagram ID:notoriousginchang

巨大掲示板「2ちゃんねる(現在は5ちゃんねる)」の格闘技板を除いて、ゼロ年代格闘技バブル期においての格闘技というジャンルの言論ツールは専らブログであった。

「K-1心中」「かかとおとし」のような大手の格闘技サイトにもなると、1日のブログアクセス数が2000~4000件、コメントも100件近く集まっていた時代もあった。

プロのライターではしがらみの関係上表では言いにくいような意見だったり、アマチュアならではの自由な視点でのブログ管理人の格闘技観というものが垣間見えて、私もいちユーザーとしてよく閲覧していた思い出がある。

100件近くもコメントが来ると当然の事ながらブログ管理人に対するアンチコメントが紛れているわけだが、そのアンチと管理人との、ブログ記事やコメント上でのバトルも含めて、ゼロ年代格闘技バブル期を彩った風物詩の一つであった。

 

ところがそういった格闘技ブログは、格闘技が地上波から消えてしまった2010年を境に更新を途絶えてしまったり、アカウントごと削除してしまうケースがほとんどになってしまった。

旧K-1やDREAMの消滅と共に、彼らは格闘技ファンからフェードアウトしてしまったのだ。

 

私のように、日本格闘技が冬の時代に突入しても、当時WOWOWで放送されていたUFCを中心にしぶとく応援し続けていたファンは、言論の舞台をブログからTwitterへと移すような流れになっていった。

思えばこの頃にUFCだったりKrushや修斗等の国内格闘技について呟いていたTwitterユーザーらが、現在のTwitter格闘技言論の核を築き上げたと言ってもいい。

 

2015年以降の新生K-1やRIZINの旗揚げによって、かつてのゼロ年代格闘技バブル期を知らない若いファンに加えて、かつてその熱狂の時代を経験したファンが再び出戻ってくるケースが見られるようになってきた。

 

とは言っても、K-1やPRIDEの地上波ゴールデン放送の視聴率が20%以上を当たり前のように叩き出し、東京ドームで行われた大会で7万人以上の観客を動員した頃と比較すると、まだまだ到底「格闘技ブーム」などとは言えない状況にある。

思えばあの頃は、格闘技に詳しくないウチの家族でも、魔裟斗やKIDやアンディ・フグ、ボブ・サップの名前くらいは知っていた。

今、自分の所属している学校や職場のコミュニティで「武尊」「那須川天心」「堀口恭司」「RENA」の名前を知っている人は、どれくらい居るのだろうか?

 

10年前、格闘技言論界隈を賑わせていた格闘技ブログ達を改めてネットサーフィンしてみると、改めてその現状が露わになってしまっている。

アカウントごと削除されてしまったブログは元より、地上波放送が打ち切られて暗黒期へと突入してしまった日本格闘技界の現状を嘆くようなエントリーと共に、2011年を最後に更新が途絶えてしまった「廃墟」と化したブログも散見されるわけだが、辛うじて今でもポツポツ更新を続けているような格闘技ブログでも、あの頃に抱いていた熱意というものをブログエントリーからは感じられず、「新生K-1とかRIZINはたまーにTVで観るんだけど、でもあの頃に自分達が熱狂していたものとはもはや別物だよね」という冷めたスタンスで、管理人の日常のエントリーと共に添え物程度に感想を述べているブログが大半だった。

 

そのようなファン(なのか?)に対して、新規のK-1ファンやRIZINファンが「老害」と批判し、別にお前らの好むような団体にはならないだろうけどいつか絶対にあの頃の熱気を超えて見せる!と息巻いている意見をたまに見かけるわけだが、少子高齢化が進み、若者達に元気が無くなったと言われているこの時代、「ブーム」というものをこれからの若い人達だけで創り上げていくというのは難しいんじゃないだろうか。

 

WOWOWで矢沢永吉やL'Arc~en~Cielのライブを観ていると、デビュー30周年、50周年を迎える彼らのパフォーマンスをお目当てに、親子連れから10代の子から70代のお年寄りまで、世代を超えたファンが東京ドーム7万のキャパを埋め尽くしている。

勿論それは、アーティストとして彼らが年齢を感じさせない進化をし続けているからだ。

 

東京ドームを押さえてキャパを埋め尽くすというのは、尋常ではないハードルである。

お金を掛けて良い選手強い選手を呼んでくるのも必要だし、観客の熱を試合直前までに醸成させるストーリー作りも必要だ。

今の格闘技の熱というものは、SNSの140文字制限の中だけに言霊が納まるような規模にしか思えない。

 

 

かつて日本のマット界には「活字プロレス」という文化があった。

「プロレス」というジャンルが持つストーリー性、ファンタジー性を、受け手であるファンが自由な発想で解釈し、そこから更に広がってゆくストーリー性の解釈や、選手の内面を抉ってゆく謎解きというものを記事にしていった。

現代における「活字格闘技」の存在・・・それはブログにあると私は思っているのだが、SNSの140文字制限で「あの試合は良かった、最高」と送信するだけではなく、ブログの長文記事で選手同士の因縁や試合に賭ける意気込みを、一つの物語として語れちゃうような、そんな魅力溢れる選手が出てくるべきだと思うし、それを文章にできる書き手というのも育って欲しいものである。