第3話からの続き

 

⑪FANKS になったことでの人生の変化を教えてください。
 

ピカ山:中学の時からずーっと続く(FANKS の)親友ができたっていう、これが一番やね。なんか知らんけど、ウマが合って。同じクラスになったことがないのに、なぜかお互い知っていて。何となーく「あー、あいつ、ピカ山。」みたいに知っていて。
で、何人か友達で集まった時にも彼がおって、ウマが合って、一緒に遊びに行くようになって。そのうち、ずるずるずるっと。
(今も SNS に)たまに TM 関係の書き込みすると、コメント入れてくるもんね。
 
あとは、やっぱりシンセとか。弾けないけど、興味はあったから、きっかけにはなるよね。あの要塞を見たら。
あとは、正にこの状態よね。SNS で全国(の FANKS)と友達になって、遠征に行ったら、必ず誰か知っている人がいて、っていう。
ホント、すごい時代になったよね。北は札幌、青森、仙台、新潟。関東、名古屋、関西圏はみんな(知り合いが大勢)いるし、広島、四国もいるし、九州も。沖縄がいないかな。

現地に行くと、知っている子が(ライブ後の)打ち上げとかに連れて行ってくれたり、それで(前に)違う会場で会った人ととかと「この間はどうも!」とか。金谷さんもその一人!。
 
金谷:それは、ピカ山さんのお人柄が大きいと思いますよ。おもてなし好きですし。マメですものね。他に、何か(TM の)曲に関する思い出とかってありますか?
 
ピカ山:高校生の時は、週 1、2 とかで、当時、レーザーディスクで!毎週、毎週、「FANKS the LIVE3部作?」とかをでっかい音で見とったね。外に漏れるくらいの爆音で。
当時は、近所に同じ年くらいの人がいっぱいいて、(みんな)結構大きな音で音楽を聴いていて。団地だったから、日常でもやかましいのが普通だったから。会話もできないくらいでかい音で。
たぶん、隣の家でも普通に聞こえるくらいの音で聴いていたから。
 
あと、受験勉強の時に聴いていたよね。「EXPO」は受験勉強しながら聴いていた。あの頃、ラジオとかは木根さんの番組とか FM とか。受験勉強のお供やったね。ラジオか当時のアルバムか。
そのうちだんだん集中できなくなってきたりとかね、聴いちゃって。曲に吸い込まれて、(参考書とかを)パタンと閉じちゃう。でも、受験のお供だったなぁ。

 

第5話へ続く

 

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