
9月から、市の教室に通い始めた我が子。
最初の1週間は母子通園でした。
その中で、いろんな子供たちを見る機会がありました。
そして、我が子の発達というものが、
他者と比べた場合、現在どの程度であるのかが
なんとなく解ったような気がします。
幼稚園などで、定型発達と呼ばれる子供たちといても、
違って当然という思いがあったのだと思います。
特に、比べるということもなく過ごしておりました。
今回、1週間という連続した期間。
時間も10時~2時までという
比較的長い時間を過ごした事も
理解する要因になったかと思います。
まず、数年前の我が子と似たような雰囲気の子ども。
このお子さんが、ここで過ごすことで、
どれくらい成長するのか、楽しみでもあります。
一瞬、我が子もこのくらいの年齢の時から、
ここに通わせていれば、
特別支援級に通う事も出来たかもしれない。
という思いが過ぎりましたが、
それは、言っても仕方のないことです。
次に、認識も出来る、会話も出来る、
自分がすべきことも理解している。
ただ、衝動が抑えられないと同時に、
手足の動きが大きいお子さんがいらっしゃいました。
我が子は、じっと座っている事が出来ないので、
その子が、我が子に釣られて動きました。。
すると、我が子は止まるのです。。
手足の動きが大きいので、驚くのだと思います。
そして、止まれない釣られたその子が
「座って」と言われる。。
そういう状況を目の当たりにしました。
この子は知的障害の枠には入らないような
気がしました。
もう一人、
「嫌!!私はしない!!」
とハッキリ主張する女の子がいました。
雰囲気も、全く普通の雰囲気の女の子です。
ただ、集団での行動に拒否感が強い。
それはそれで「困り感」なのだと先生は仰いました。
次に、
何もないところで転ぶ。
手に持っていたものを不意に落とす。
といった雰囲気の女の子が目に留まりました。
「不器用さが目立つ」と表現されるのは、
こういう事なのか。
と理解出来たような気がします。
もう一人、
認識力・意思の疎通と言ったものが
感じられない子どももいました。
その他、
我が子よりも意思の疎通に不自由さを
感じない子どもを多く見ました。
そういう中で、我が子が
「知的障害である」
といわれる理由が解ったような気がします。
私は、我が子の障害を認めていない訳では
ないつもりですが、
「どの程度か」といったことには、
あまり囚われないようにして来ました。
他者と比べる必要性を感じる事もなかったので、
ワザワザ、比べたこともありません。
「困り感」を尋ねられることが多々あるのですが、
実際、2人ないし3人で暮らしている中で、
特に、小さい内は、
困らないように生活する事は可能なのです。
他者と比べず、困らないように生活していると、
我が子がどの程度出来ないのか、
または出来るのかといった部分を
客観的に捉えることが難しいのだと思います。
発達検査の数値にしても、
「2歳半程です。」
という結果を見て
本に書いてある、出来る事のレベルとしては、
「確かに、その程度ね。」
という認識です。
「点数によって、知的障害の枠に入ります。」
と言われれば、
「ああ、そうですか」
という程度の認識で、
「この点数を伸ばさなくては!!」
という風には感じないのです。
ただ、我が子の弱い点が
「私がしてあげられないこと。」
と重なっていると感じるので、
その点は悲しいと感じます。
「私が親でなければ・・」
そういう思いにかられることもあります。
まぁ、それは言っても仕方がない事なのですけどね。
話を戻して、
こうして、いろんな子どもと触れ合うことで、
我が子の位置づけを理解することが出来ました。
それは、就学相談に臨むのに、
丁度良いタイミングだったのだと思います。
