好きな怪物の話で、同じ監督作品の『パンズ・ラビリンス』と『シェイプ・オブ・ウォーター』の雰囲気が結構よかったので配信開始前から楽しみにしていました。
ロバート・デ・ニーロの『フランケンシュタイン』が好きで、細かいところは忘れましたけど、話の内容は何となく頭に入ってる状態での鑑賞でした。
ちょっと前に『夏目アラタの結婚』を観たときも思ったんですけど、登場人物たちがなんでこんな気持ちを持ったのかなって思うことが多かったです。
怪物がヴィクターを憎んでいたのに最後は許したり、エリザベスが怪物に好意的なのがどうしてだったのかな、って。
最近の映画って邦洋問わずこういう心の移り変わりってあまり丁寧に描かないんでしょうか?
それとも最近の映画を観る人は、登場人物が多くを語らなくてもそういう心の移り変わりを理解できる能力が備わっているんでしょうか?
僕はそのへんが少し気になりましたね。
ヴィクターは結構やばいヤツでしたね。
怪物を作った後のこと何も考えてなかったんですから。
「なんか思ったのと違うな、これ」と思ったら失敗作として排除しようとするし。
挙句、自分が撃ってしまったのを「怪物に襲われた」って言いましたからね。
これってヴィクターをイヤなヤツにして、観る人が怪物の方に感情移入できるようにわざとそうしたのかなとも思いましたけどね。
もし狙ってそうしたなら、この監督の人物描写は上相当なものですね。
途中、怪物が羊を飼っている村を訪れ、その羊が狼に襲われるシーンがありました。
そこで怪物が「狩人は狼を憎んでいない。狼は羊を憎んでいない。けれど暴力は避けられない。自分でいるだけで追われて殺される。それが世界のあり方だ。」みたいな話をします。
この台詞を聞いて、最近国内を騒がせている熊の話を思い出しました。
熊も人間もお互いが憎いわけではないけど、熊は人間を襲うし、人間は熊を排除しなければいけない。
今のこの状況を上手く説明した台詞だなって観ながら思いました。
ちょっと前に知能を備えた怪物がこの真理に辿り着いたんだからすごいですよね。
その他にもこの映画にはそういう真理とか哲学的な部分があります。
この監督の他の作品もそうでしたね。
僕はこの監督のそういう部分が結構好きなので、もう1回観返して考えてみたいし、他の方のレビューを観てどう感じたかを知りたいなと思います。
ちょっと長いな、とは思いましたけど、ストーリーに動きがあるので退屈はしませんでした。
冒頭のようにヴィクターが怪物に追われるようになるまでどんな経緯があったのか、ずっと気になりますからね。
途中、逆に怪物がヴィクターから逃げているシーンもありましたし。
記憶に違いなければ、ロバート・デ・ニーロ版の『フランケンシュタイン』と少しストーリーが違ったように思います。
この作品の方が怪物が優しくてラストがちょっと甘い気がしますが、ロバート・デ・ニーロ版は怪物が身勝手に人を殺すしラストもシビアだったと思うので、僕は後者の方が好みなんじゃないかな。
そのへんを見比べてみたいですね。
