楽々主義 -17ページ目

楽々主義

徒然なる日々

過去から学ぶべきことだよっていう話。

8月15日。
毎年、この日は日本人にとっては、
特別な日である。
『終戦の日』

テレビを点ければ、
こぞって、競って、
戦争に関連した番組を流す。

しかしながら、
大概は、内容が似通っている。
空爆、原爆、その恐ろしさ。
特攻隊、回天隊の悲痛さ。  
沖縄の地上戦。。。

大体が、日本が『されたこと』

踏み込んでいたとしても、
真珠湾攻撃辺りでおしまいだ。

確かに、
第二次世界対戦において、
日本は、
唯一原爆の被害を受けた国。
敗戦国であり、
圧倒的な戦力差でもって、
文字どおり大敗を喫した国。
沖縄は日本で唯一地上戦が起き、
それは凄惨な地獄絵図だったろう。

また、
軍国主義は、人間を兵器に変え、
お国のためには、
命を捨てなければならなかった。
僅か20歳前後で、
その命を犠牲にした若者たち。
家族を思い、本音をひた隠し、
万歳と言いながら、
敵機に突っ込んでいく。

それも、確かに、
切り取るべき戦争の悲惨さではある。

しかし、
同時に日本は、
他国を侵略し、植民地にもした。
無実の、無力な人たちを、
何万人と殺したのだ。

そうした、
日本人が『したこと』
には、得てして触れられない。
触れなくても、誰も何も言わない。

本当に、
戦争というものを悔恨し、
二度と起こしてはならないとするなら、
自分がやられたことだけでなく、
自分がしてしまったことにも、
やはりきちんと向き合わなければ、
真の意味で、
平和が訪れることはないだろうし、
歴史を知るということにはならない。
きっと、戦争がなくなることもない。

誰しもが、
自分なりの正義を掲げ、
自分の大切なものを守るつもりで、
戦っているのが、戦争だ。
そこには、
どちらが良くて、どちらが悪いなど、
ありはしないのだから。
それぞれの立場が違えば、
自ずと平行線なのだから。

だとするのなら、
負った悲しみや苦しみ、辛さはもちろん、
負わせてしまった悲しみや苦しみ、辛さにも目を向けない限り、
きちんと、相手の立場を理解しようとしない内は、
結局、毎年あのような番組を流していたところで何の意味もないと思う。

歴史とは、
何故起きたのか、
誰がどうしてそうしたのか、
それぞれの理由、思いをこそ、
学ばなければならない。

年号を語呂で覚えたら、
事件名と主な名前だけ覚えたら、
機械的にそうした知識だけを、
ただただ覚え込んだら、
戦争はなくなりますか!?
差別はなくなりますか!?
繰り返してはならないと、
心から思えますか??




無骨で最高じゃないかっていう話♪

どうも、
いつまでたっても、
しょんべんくせぇガキ、kankumです。笑

長渕剛の大ファンなんですよ。

スペシャで録画しておいた、
長渕剛ライブ2014ってのを観まして。

長渕さんは、
東日本大震災でも、
九州の鳥インフルエンザでも、
現地に足を運んで、
ゲリラライブだったり、
関係者に直接会って話をしたりしてて。

自分の目で、足で、耳で、
苦しんだり、辛かったり、
悲しい思いをしている人たちの本音を、
きちんと受け止めている人です。

復興だ、支援だ、
口では何とでも言えるし、
悔やみの一つで済ます人もたくさんいる。
あるいは、
モノだったり、お金だったり、
そういった形で示す人がほとんど。

でも、長渕剛は違う。

多分、そういうところが、
ライブ、つまり音楽にも表れていて。

見た目からは、
想像もつかないくらいに、
『あったかくて、やさしい』

歌詞の一言一言に、
メロディの一音一音に、
長渕剛の『魂』が乗っていて。

大袈裟に、
面と向かって、
『頑張れ!!!』
とは、言わないんですよ。
ただ、
側に寄り添うように、
黙って肩をポンと叩いてくれる、
そんな包むような、やさしさで。
ガツガツした押し売るアツさじゃなくて、
人肌の温もりとでもいうのか、
そういうあったかさで。

長渕剛というと、
『とんぼ』『ろくなもんじゃねぇ』なんかが、やっぱりメジャーだし、
もちろんいい曲だなとは思うんだけど、

kankumのオススメとしては、
『STAY DREAM』『My self』です。

人間讃歌なんですよ。
応援歌でもありますが。

何度この曲を聞いたか分かりません。
何度この曲に救われたか分かりません。
何度この曲で泣いたか分かりません。

また、ライブ版の、
間奏に入る、
アドリブのハープがいいんだなぁ。。。

いっぱい聞いてる人はいるのに、
自分にだけ宛てたメッセージみたいに、
自分にだけ歌ってくれてるように、
感じちゃうんだよな、長渕剛は。。。

世代でいうと、
多分全然違うんだろうけれど、
そんなの関係なくて、
ジャンルだって、
普段聞いてる音楽とは、
また全然違うんだけれども、
そんなの関係なくて。

外見は色黒でマッチョで、茶髪にピアスにサングラス。
でも、最後に照れ臭そうに、
『みんなありがとうな!』
って、最高の笑顔を見せるとこも含め、
ああいう人こそが、
アーティスト
って、呼ぶに相応しいんだなと、
引き付けるんだなと、
思いますね。




ベストを尽くせっていう話!!

原発が再稼働するそうで。
今、世間を騒がせていますね。

これだけ根強く反対があるにもかかわらず、ゴーを出したということはだ、
何か起きたときには、どうにかできるんでしょうね。
誰がどう責任を取るのか、
決められているんでしょうね。

あれですよ、汚染廃棄物は、
もれなく受け取っていただきましょうね。
ゴーサインを出した人に。

こういう問題では、
よく賛成派、反対派みたいな、
二者択一がとられるけれども。

どっちが正しいって、
そういう質のことじゃナイと、
私なんかは思うんですよ。

極端な話にしすぎでないかと。

原発動かします、動かしません、
っていう議論になるから、
水掛け論になるわけでしょう。

だったら、
間はとれないものかと、
何で誰も言わないわけ?

良いか、悪いか、
正しいか、正しくないか、
何でいつも、0か100なんですか?

大事なのは、
ベストを尽くすことでしょう。

原発がナイと、困る状況はある。
コストやら何やら、
総合的に見て費用対効果が高いのは、
純然たる事実としてあるわけです。
だからって、
万が一を思えば、大手を振って、
どうぞどうぞとは言えない。
安全上のリスクも同時にあるのもまた、
純然たる事実です。

だったらさ、
別に年がら年中稼働させなきゃいいんじゃないのかな~って、ふと考える。

日によっては、
他の発電方法で賄えるわけだから、
必要な時にだけ使えはしないのかと。

まぁ、もしかしたら、
『それは物理的にできない』
っていう理由があるのかもね。

でもさ、
そういう方法を模索するのは、
決して無駄にはならないよね。
今はできなくても、
これから実現に向けて研究するとか。

もしかしたら、
俺が不勉強なだけで、
『既にやってますよ。』
っていうことなんだとしたら、
それは世の中に訴えていいことだ。

私が知らないということは、
基本的に、一般人には浸透していない。
と、捉えてよいのだから。

いつも自分が正しいとか、
これしか方法はナイとか、
決めつけたり、諦めたり、
そうやって、
考えることを停止してしまうことが、
一番まずいわけです。

相手の立場にたって考えて、
何か歩み寄れないか、
どうにか、
それぞれのニーズに、
合わせることはできないか、
常に思考し続けることが、
最も重要なことなんじゃないか。

賛成派にせよ、反対派にせよ、
頭ごなしに、
相手方を批判するだけじゃなくて、
『もっとこうしたら良くなる』
っていう、
提案でぶつかり合えるようになれば、
事態はまた変わるんじゃないか。