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楽々主義

徒然なる日々

去る日の自分を思い出しましたっていう話。

道尾秀介さんの、
『光』を読みました。

利一が仲間と過ごした冒険の日々。それは、何にも代えられない宝物。
真っ赤に染まる川の謎、湖の人魚伝説、アンモナイトの偽化石、消えた花火と誘拐事件。。。
子どもの頃に誰もが通り、大人になって誰もがそっと心にしまった、甘くて、刺激的で、哀らしく、切なさの込み上げる眩しいほどの元風景が、ここにある。

子どもの時、
見上げていた大木が、
いつの間にか近くに感じる。
そんな体験。

まるでダンジョンのように、
長く感じたあの通学路を、
止まることなく通り過ぎる通勤路。

大人になってしまうと、
見える景色は広がるのに、
見えなくなるものばかりで。

心の宝箱。
好奇心という鍵。

どこかで封印した、
それら全て。

そんな、
大人の落とし物を、
拾わせてくれる一冊。

大冒険は、
日常のあちこちに落ちていて、
気づけば駆け出した、
あの、まっさらな光は、
きっとなくなったわけじゃない。
今だって、待っているんだろう。
見つけ出してくれるのを。

見なくなっただけで、
見つけようとしなくなっただけで、
きっとまだ、
心のどこかには、
そんな光は確かにあるんだ。

思い出すだけで、
その光が差すだけで、
私はまた戻れるのだ。

あの匂いの中へ、
あの空気の中へ。

忘れかけてしまったら、
もう一度、
この本を捲るのだろう。

何度でも。




一つ前に進んだねっていう話。

有栖川有栖さんの
『論理爆弾』を読みました。

探偵を目指す空閑純は、失踪した母が最後に向かったとされる、深影村を訪れた。
母が消息を絶つ前に逢っていた川淵隆一に話を聞くため川淵家に赴くも、本人は自殺してしまっていた。
諦めきれない純はしばらく滞在を決め、情報収集に乗り出した。
しかし、奇しくも深影村付近に北のスパイが現れ、唯一の交通手段となるトンネルが通行不可に。そして、深影村では連続殺人事件が起きてしまう。陸の孤島と化した山村に蔓延る狂気の正体とは。

第三弾となる、ソラシリーズ。
探偵が禁止され、戦争により分断された仮想日本が舞台になっている。
とはいえ、昨今の世界情勢や何かを鑑みるに、あながちフィクションとも言い難くなり、そこにリアリティが生まれている。

今回はかなり重要な内容。
母への糸口を見いだす回となっている。
あ、あまりネタバレになると、
読む楽しさがなくなってしまうか。笑

ともあれ、
動機の部分がいかにも、
現代的なところが、
ある意味最大の爆弾で。

ミステリ好きにとっては、
これほど納得しがたいものもなく、
しかしながら、
人間という生き物を切り取る上では、
これもある種、確かなミステリ。

人間が抱える心の闇こそが、
一番の謎とでもいいましょうか。

世の中に実際に起きる事件が、
必ずしも論理的であるかといえば、
それはむしろ逆で。
明確な答えのない、
言い様のない、
しかし、確実に存在する、
人がもつ矛盾。
これも一つの迷宮であり、
形は違えど誰しもが、
心のどこかにあるものではないか。

彼女の成長は即ち、
謎を解くことで人を知るお話。


見られ方を意識しないとっていう話!!

この前、
安保法案の件について、
ジャーナリストの上杉隆さんが、
『受け取られ方』が大事だって、
仰っていました。

これは確かだな~って、感じたね。

現に、
日本がいくら安保法案を、
『積極的平和の為』だと唱えていようとも、
次の日の世界各国の新聞や報道では、
『日本はまた戦争をする』
っていう報じられ方をされていて。

要は内容がどんなものであれ、
『日本が最終手段として戦争を、武力行使をする用意をしていくんだ。』
と、端的に表現することも可能は可能。
あながち間違いではないわけで。

厳密に言うと、
本筋とは違うのかもしれないけれど、
発信者と受信者の間に、
様々なバイアスがかかるのは、
これはもう、情報学としての初歩。

そして、一度こうだと思われたら、
もうそれが『一般化』されたもの。

自分の考えを、
他人に理解してもらうのに、
言葉だけでは足らない場合もある。

現時点で、
世界的に見れば、
『日本はアメリカ側についた。』
『日本は戦争に参加する。』
と、思われた。
思われてしまったという事実が大事で。

これは、
どんなに言葉を弄したところで、
どんなに言葉巧みに説明したところで、
もう遅いんですよ。

そして、
それぐらい重要な案件を、
日本は民主主義という名の下で、
政治家という、
日本にたかだか何百人しかいない、
自分には一切害の及ばぬ、
安全圏に位置する人間が、
強行採決でもって決定したんです。

でも、これはある意味で、
自業自得でもあるわけです。
そんな輩どもを、
平気で選挙で通したのは、
誰あろう国民自身なのですから。

今日に至るまでの、
全ての日本国民の、
あらゆるツケが、
回ってきてしまったというだけ。

大切なのは、
これから日本がどんな立場で、
どのような思いで動くのかを、
きちんと態度で示していくこと。

誤った理解をされていると認識した上で、
じゃあ、正しく伝えるには何をすればよいのかを、行動に表すこと。

受け取られ方を、
見られ方を、
映り方を、
誰がどう考えても、
答えが一つにしかならないような、
そんな姿を。

僅かな抑止力と、
目の前の安寧の為に、
日本が対価として差し出したものは、
それだけの差があるということを、
分かっている人間が、
果たしてこの国にはどれだけいるのか。