それが我々の役割だろっていう話!
国民の命を守る。
そうは言うよね。
だけれども、彼らは決めるだけ。
実際に戦地に赴き、人を殺すのは誰か。
自衛隊という、他ならぬ国民自身でしょう。
自分等は『行け』とだけ命令。
すぐに安全な場所へ避難する。
実際に危険に晒されて、命を落とすのは誰か。
一般人と呼ばれる、他ならぬ国民自身でしょう。
抑止力のためなら、
武装もやむを得ないという。
じゃあ、
子どもは不審者から身を守るために、
銃を持たなければならないのか。
女性は痴漢から身を守るために、
ナイフを所持することを容認するのか。
そうすれば、
安心して暮らせる平和な国になるのか。
揚げ足とりだって?
それとこれとは別問題だって?
明日中国や韓国と戦争になり、
自分の命が危機にさらされる確率と、
明日通り魔や快楽犯罪者に、
自分の命が危機にさらされる確率と、
どちらが高いのか。
憲法に違反するからダメだって?
じゃあ憲法に『人を殺してよい』
とあれば、いいのかい。
それは偽善だとか、
ただの理想論だとか、
非現実的だとか、
ご指摘はありますでしょうね。
でも、言わせてもらえば、
私は毎日子ども相手に、
そういう偽善や理想を語る立場ですよ。
人を殺すことは、
憲法に違反するしないとか、
友達がやられているいないとか、
そんなことには関わらず、
どんな理由があろうとダメだと、
私は教えていく仕事に就いてますよ。
イジメをするなという大人が、
一番イジメをするじゃないか。
暴力を振るうなという大人が、
誰よりも人に暴力的じゃないか。
もし貴方が、
子どもにそう言われたら、
返す言葉がありますか?
少なくとも私は、
黙る以外の解答を持ち合わせていませんよ。
だって、ずるいじゃない。
子どもには『いいことをしなさい、正しく生きなさい、人にやさしくしなさい』
って、うるさく言うくせに、
自分達が最もそこから遠い。
結果、責任の擦り付け合い。
あいつが悪い、こいつが悪い。
僕は悪くない、仕方がない、
やむを得ない。。。
なら、万引きもやむを得ない。
痴漢も誘拐も、
イジメも殺人も、
何もかも、全部そうしなくちゃ、
理屈に合わないじゃないか。
大人が率先して示さなくて、
どこの子どもが納得するのか。
他人の意見に耳も貸さず、
批判否定を繰り返し、
相手の間違いばかりを指摘する。
大人がそんな姿を見せてる限り、
未来が明るくなるはずがなく、
子どもたちが正しさを信じ、
命や違いを貴び、
誰かを思いやる気持ちを、
抱こうとするはずがない。
ブログネタ:ジブリで1番好きな作品は? 参加中アニメーションだからできることっていう話!
甲乙付けがたいところはありますよね。
それこそ、ジブリ作品は多岐に渡る。
純粋な好みということにしても、
ジャンルによって、様々かなと。
でも、強いて言うなら、
『もののけ姫』
『魔女の宅急便』
もののけは、
人間と自然の共存という意味では、
かなり深く切り込んだもの。
大人向けというか、
社会的なメッセージに富んだもの。
魔女宅は、
一人の少女の成長譚。
様々な困難に出逢い、
その度に苦しみながら、
けれど諦めることなく挑む。
その姿はとても輝いていて。
アニメーションには、
夢や希望、時には思想が、
あらゆるファンタジーの中に、
紡がれていく。。。
リアルでないからこそ、
夢想であるからこそ、
そこに描かれる無限の世界は、
きっと、誰しもの憧憬で。
身近な出来事が、
鮮やかな夢物語になるのだろう。
思い上がりでなくっていう話。
自信をもつ。
と、言われますが、
それは言葉としてどうなのかと。
ふと、夜中に、夜長に思い耽り。
自信とは、
自分自身を信じてやることで。
それは、もつとかもたないとか、
そういった類いのものじゃなくて。
もっと謙虚な姿勢から出るんだ。
と、思うんですよね。
信じるってのは、
要は、認めるってこと。
これまでやってきたこと、
積み重ねてきたことに対して、
正当に真っ当に、
評価しようという心の所作で。
滲み出てはいけないんだろうと、
そんな顕在化するものじゃなくて、
内に秘めた闘志の様な、
蓄えていくものではないかと。
傲慢であってはならない。
欺瞞でも、自己満でも。
そうなってしまった時点で、
きっとそれは、
自信とは言わないのではないのかと。
自分を信じてやれるのは、
誰かじゃない。
他ならぬ己自身。
自身を信じられる強さをもつ、
それこそが自信をもつこと。
努力だって、我慢だって、
それは、常に内省的な役割で。
全ては自分の弱さに向き合い、
しかしながら、
それでも困難に立ち向かおうとする、
前向きな姿勢が、
自信へと昇華され、強化されるのだ。
根拠のない強がりや、
思い上がりではなくて、
自分の強さも弱さも分かった上で、
それらを総合的に捉えた先に、
やっと開かれる扉。
だからこそ、
誇れるもので、
唯一性とも言えるものになる。
失う怖さを知るからこそ、
その困難さを理解しているからこそ、
真に大切なものであると。
自身を信じること。
容易ならざるその所業こそ、
即ち本当の意味での、
強さを身に付けることなのかもしれない。
自信をもつ。
と、言われますが、
それは言葉としてどうなのかと。
ふと、夜中に、夜長に思い耽り。
自信とは、
自分自身を信じてやることで。
それは、もつとかもたないとか、
そういった類いのものじゃなくて。
もっと謙虚な姿勢から出るんだ。
と、思うんですよね。
信じるってのは、
要は、認めるってこと。
これまでやってきたこと、
積み重ねてきたことに対して、
正当に真っ当に、
評価しようという心の所作で。
滲み出てはいけないんだろうと、
そんな顕在化するものじゃなくて、
内に秘めた闘志の様な、
蓄えていくものではないかと。
傲慢であってはならない。
欺瞞でも、自己満でも。
そうなってしまった時点で、
きっとそれは、
自信とは言わないのではないのかと。
自分を信じてやれるのは、
誰かじゃない。
他ならぬ己自身。
自身を信じられる強さをもつ、
それこそが自信をもつこと。
努力だって、我慢だって、
それは、常に内省的な役割で。
全ては自分の弱さに向き合い、
しかしながら、
それでも困難に立ち向かおうとする、
前向きな姿勢が、
自信へと昇華され、強化されるのだ。
根拠のない強がりや、
思い上がりではなくて、
自分の強さも弱さも分かった上で、
それらを総合的に捉えた先に、
やっと開かれる扉。
だからこそ、
誇れるもので、
唯一性とも言えるものになる。
失う怖さを知るからこそ、
その困難さを理解しているからこそ、
真に大切なものであると。
自身を信じること。
容易ならざるその所業こそ、
即ち本当の意味での、
強さを身に付けることなのかもしれない。