こんにちは 時には週7仕事をして 育休中でも”副業”で会社員以上に稼いじゃう! 複業コンサルタントの梅田絵美です。 初めましての方はこちらから |
こんにちは
第1話 梅田絵美Story 〜恵まれていた?出生から幼稚園期
第2話 梅田絵美Story 〜拗らせた小学生時代
第3話 梅田絵美Story 〜暗黒中学時代
第4話 梅田絵美Story 〜Happy高校生時代
第5話 梅田絵美Story 〜勘違い大学生 前編
第6話 梅田絵美Story 〜結婚式から東日本大震災を乗り越えた出産
第7話 梅田絵美Story 〜ワンオペ孤独育児からの2人目出産
第8話 梅田絵美Story 〜初めての社会人生活と育児の両立
前回のお話を読んでいない方はこちらに
なりますのでぜひこちらもご覧ください!
3年が経った時に
さてやめよう
私はベンチャーで実力を試したかったんだと
すぐ辞めれるていで転職活動を行いました
ベンチャーは実力主義で色々経験できる反面
体制が整っていないことや
時間外に求められることも多く
面談で定時上がり(当時は17時には退社したかった)
の壁が厚くなかなか転職先も見つかりませんでした
ご縁があって子供服のEC会社に
転職が決まりました。
転職先も決まり、もともと公約通り
3年で辞めれると思っていた私は
上長と退職時期の相談をしていましたが
誰も首を縦に振ってくれず
でも私は続ける意思もなければ
そんな職員がお客様のサポートをするのは失礼だと
思い早々に引き継ぎの準備をしていました。
待てど暮らせど退職許可が出ず....
(そもそも許可はいらないのですが)
穏便に辞めたいのに本人同士の決着がつかず
大人にも関わらず主人に出てきてもらう事態で
退職を決意してから3ヶ月ほど
退職できるまで時間が
かかってしまいました。
転職先にもだいぶ迷惑をかけていたと思います。
無事退職した私は意気揚々と
ベンチャーで働き始めましたが
周りは高学歴の取り締まり役員がほとんどの中で
プライドはズタズタ
何にも役に立てない自分に焦りと不安
慣れないPC業務で
本当に仕組み化できていない当時は
17時に退社するも21時から仕事を再開
夜中の2時、3時まで仕事をする日々が
続いていました
それでも徐々に増える仲間と
当時からリモートOKだった会社
有給も当日申請でOKのため
子持ちには働きやすい?w
環境だったと思います。
(従業員の9割がパパママです)
プライドをズタズタにされたものの
負けず嫌いの私は
努力に努力を重ね....
一年でマネージャーとして昇格
当時10人くらいの会社でしたが
退社時には150人弱の会社に成長していました!
ベンチャーで働かせてもらえる!
と思って給与交渉をしなかった私は
転職=給料が下がるもの
と思っていたので新卒初任給くらいの
給与でしたが、退社時には
その倍にはなっていたので
努力が実になったなと感じた瞬間ですw
バイヤーで入社→入社日に
DR(ディレクション)に転属
1ヶ月後にはカスタマーサポートと
さすが!ベンチャー!
という感じで社内を点々としていましたが、
私にはこのポジションだったんだなと
つくづく感じます。
3年経った頃、
30までに3人産むには今年じゃないか?
社内の地位としては確立してきたので
今妊娠できるんじゃないか
と感じたタイミンングでタイミングよく妊娠...
(多嚢胞生卵巣症候群だった私は
よく毎度自然妊娠するねと言われるくらい
生理不順でした...)
妊娠のタイミングで後任の採用
後任の採用が遅すぎるw
月1億のECサイトでお客様対応を
しているのが私だけという奇跡
毎度毎度つわりも酷く
3人目は点滴も必要なレベルで
引き継ぎ資料を作りながらの引き継ぎで
苦労しました。
私の悪い癖で属人化してしまった私の仕事を
(私だからこなせるレベルの量を
一人でやっていた)
これを気に仕組み化.....
返品の基準やお客様の対応基準を設定して
引き継ぎを行いましたが、
正直申し訳なかったです。
私しかできないようになっていたので
私がいなくなることで聞く人がいなくなってしまう
そんな状況を産休に入るまでに解決できなかった
私のダメなところです。
そして、産休・出産を経て
複業への道がスタートします
が
知らないがために湯水のように
お金が消えた複業生活はまた次の記事で
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