ジョン・マークとジョニー・アーモンドの二人は、何処へ行きたかったのでしょうか?
フォーク畑のジョンとジャズ畑のセッション・プレイヤーだったアーモンドの二人がブルースのジョン・メイオールに誘われ、ジャズのチャールズ・ミンガスのセッションに使われ、AORの立役者であるトミー・リピューマに愛されてしまった事が、結果的に摩訶不思議な彼らの音楽になってしまっただけの事なんでしょうか?
全5曲中2曲が組曲風のこの1stアルバムで、もう既に彼らの基本的な形は出来上がっています。ジャズ風味にフォーク風味とブルース風味を加えたロールしない彼らのロックは、近い将来AORと呼ばれ、イージーリスニングとして聞かれる事になります。
確かに彼らの音楽には直接的なクラシックの影響もインドへの憧れもアフリカ回帰も有りませんし精神世界云々も存在しません。等身大の世界を概存の方法論のパッチーワークで作りあげただけだと思います。ロックは革新的でなければとか、ロックは初期衝動の云々と言うのなら彼らの音楽は時代が生んだ過去の産物のミクスチァーでしかないかもしれません。
後々何度も書くことになると思いますが、彼らは出会う前から或いは、それぞれ別の仕事でもマーク=アーモンドを感じさせる仕事ばかりしています。自分たちがサポートとして参加したアルバムからも感じる事が出来てしまいます。とっても失礼な行為かもしれませんが、現実としてやってしまったのです(笑)。
当時の英国の音楽業界の裏側では、二人とも極めて高い評価を受けていた感じがします。後に有名になる演奏家たちとの仕事がとても多いのです。しかしサポートするアルバムの中に自己を出し過ぎるのは名サポートとも言えない気もしますが。
そんな流れの中で作られたマーク=アーモンドは飄々としていて、何となく雰囲気主義の聴き易い音楽に思われやすいのも事実です。しかし少なくともこの1stから変則的な作りの4枚目までからは、彼らのどろどろとした欲望を私は感じるのです。
その「どろどろ」とした部分が生み出す抑圧された中途半端な緊張感が、今でも彼らの音楽を私に心地良く聴かせてくれます。自分達が求めているものと自分達が出来る事のギャップを感じ、もどかしそうに演奏しているところなんて、いかにもロック的な感じがします。
彼らは2ndでミンガスの片腕だったドラムのダニー・リッチモンドを加入させます(土下座してお願いしたのかな/笑)。それが彼らにとってプラスだったのかマイナスだったのかは、このアルバムから推し量る事は出来ませんが。
何はともあれ、ヒュー・マヒューがプロデュースしたダニー・リッチモンドの参加していない、この1st以前に彼らの外形は既に出来上がっていた事は、結成以前の彼らの参加したアルバムを聴いて貰えればわかります。
そして、それらの集大成として彼らの名義のアルバムとして作られるようになりながら、それ以後少しずつ変化していく彼らの音楽性を歯車が狂ったと考えるか、それとも逆にかみ合い出したと考えるかは聴く人の判断のようにも感じます。
マーク=アーモンド : マーク=アーモンド