必要とされるものばかりの世界は、少しも楽しくない。 | ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.]

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ここは音楽のBlogでした。実際には節操無く何でも有りましたが、アメブロと相性が悪いようなので、他に書く事にしました。出来ればそちらを、よろしくお願いします。

               Wallace Roney だがや

昔の安売りのSFでは、将来の食事は栄養を濃縮した小さなツブだったりした。食事をすると言う行為は栄養を摂取すると言う行為でしかないというイメージからだろう。『食べる』と言う行為自体に楽しさを求めるのは一部の人間の趣味と言う時代だったのかもしれない。

毎日の生活の中のそれぞれの行為を、全て必要とされる事だけに特化してしまえば、無駄な時間などなくなるのだろう。でも人の人生で必要とされるものが占める量ってそれほど多いとも思えない。自分であれこれと必要を感じ過ぎるのが、自分を辛くしている気がする。

「こころ」が体に与える影響は、生命の維持にすら関係してくるから、肉体的寿命を全うする為に特化され濃縮された人生なんて、時計で測る時間にすると短いものになってしまうような気がする。体を酷使する事が危険なように「こころ」の酷使にも気をつけるべきだと思う。神経質は正しい判断が出来なくなる病気と考えると、気分転換に聴く音楽は薬と言う事になるかな(笑)。


今はJAZZを聴く事がお洒落らしい。気楽に安気に聴けるから「お洒落」って言葉は大歓迎。何処かしら「JAZZ」じゃ無くて「JAZZっぽい」ものが「お洒落なJAZZ」と認識されている気もするけれどね。

そんな訳で「JAZZを聴きます」と言って「お洒落な人」だと思ってもらえるのなら「ラッキー♪」と心の中で歌っても犯罪にはならないよね(笑)。他の音楽も聴くから「~を聴くのがお洒落」と言うものには大抵対処出来るから少し得な感じがする。


    Wallace Roney : Village

マイルス・デイビスの再来とも言われる事が有るルーニー。確かに顔も何となく似ている(笑)。1枚1枚とアルバムを出す毎に新たな事に挑戦する事を許される環境に有る事は、本当の意味で彼にとってプラスになるのか判らないが、それに答えていける能力にいつも脅かされる。


1997年に発表されたこのアルバムは、曲ごとに様々なメンバーを入れ替えながらもアルバム全体のカラーを統一する事に成功したギミック無しのコンペントラリーなジャズ・アルバム。

Lenny White, Chick Corea, Michael Brecker, Pharoah Sandersなどの一般的にも有名な一流演奏家を参加させながらその名前よりも実を得る事が出来ているのは、彼の安定したレベルの高い技術の表れでしょう。


曲構成は自作と他作がほぼ半々。演奏時間も全てが10分以下に抑えられながらも全曲で1時間近い収録時間になっている。これは勝手な想像なのだが、頭の3曲は別のアルバムに納めるつもりだったのではないか。或いは会社側からの意図で後から付け加えたのかもしれない。演奏としては申し分ないが、他の7曲と何処かしら違うものを感じてしまう。