もう少しだけでいいから強くなろう。 | ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.]

ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.]

ここは音楽のBlogでした。実際には節操無く何でも有りましたが、アメブロと相性が悪いようなので、他に書く事にしました。出来ればそちらを、よろしくお願いします。

以下は少し前に書いた文章です。人前にさらすべきかどうか考え、Blogに乗せるべきではないと判断し一度は封印したものです。ここまでリアルな自分を書く事は、Netと言う公共の場では周囲に気を使わせるばかりの迷惑でしかないと考えたのです。

しかし今あえて書くことにしました。人前にさらし読まれる事で何が変わると言う訳でも有りませんがBlogに乗せるべきだと感じたのです。

誰かに励ましてもらおうとか、慰めてもらおうなんて少しも考えていません。自分の考える自分と他人が考える私が同一ではない事も理解するくらいの人生は送ってきました。それでも書こうと思ったのは、私の身勝手な我侭でしかないでしよう。醜い内容のまとまりの無い醜い文章です。こんな文章をあえて人目にさらす本当の理由は、実は自分でも分からないのです。

今、気がついたのですが、私はいつも自分に対して「大丈夫」って言い聞かせているようです。人に「大丈夫だよ」って言われると立ち止まって泣き出してしまうかもしれませんが、自分で「君は大丈夫さ」と言い聞かせる事で一歩前に進めると思っているのでしょうね。心さえ挫けなければ、心さえ自立していれば、絶対に私は「大丈夫」なんです。きっとこれが書く気になった『理由』なのでしょう。


もう大丈夫だからと自分に言い聞かせて。



現実を現実として受け止める勇気は、幾つになっても辛いものです。特に私の様な軟弱な人間には特別辛いものです。母親を亡くした時も大好きだったおじさんが亡くなった時も友人がバイクの事故で亡くなった時や自ら生きる事を拒否した時もその事実を必死に拒否しようとしていました。母親の墓参りも出来るだけ避けようとしてきました。

でも、少しだけですが、受け入れる事が出来そうです。そうしなければいけない事にやっと気が付きだしました。とてつもなく大きな、多くの代償を払わなければ理解出来ない私は愚かです。素敵な物語でも書ければ良いのですが、やはり私は自分の事しか書く事が出来ないようです。


四月の末に従兄弟を亡くしました。私の一つ年下で、私にとってはもう一人の私でした。私の脳味噌を十倍にでもすれば彼で、彼の心臓に毛でも生やせば私でした。遠くに住んでいる為に滅多に会う事も出来ませんでしたが、彼は私自身であり、私は彼自身ですから心の中を話す事など必要も有りませんでした。二人がそれぞれの世界で生きていれば、ただそれだけでお互いの存在価値が有りえました。

彼は発症する可能性の有る病気の因子を抱えていました。その病気は治療する方法が確立されてなく、発症すれば必ず死に至るという病気でした。彼はいつ発症するかわからないと言う恐怖と戦い続け、発症後は、いつくるかわからない死と戦ってきました。進行の仕方が人それぞれ違う為に発症した本人でさえどんな症状を起こしどんな形で死へ近づくのかわからないのです。そしてもっとも恐ろしいのは、脳の思考する部分への影響が少なく、たとえ指一本動かなくなっても全てを正しく判断する事ができるのです。

彼は去年の春、誰よりも先に私に発症したようだと告げてくれました。そして症状が目に見えるまで、他の誰も言わずにいました。誰にも言わないでくれとメールを受けた私は、彼の穏やかな病状の進行を祈りながらも彼に会いに行く事が出来ませんでした。卑怯な私は彼の姿を拒んでしまったのです事実を事実として受け入れる事を卑怯な私は拒絶してしまったのです。

彼の突然の死を知らされる少し前から私は体の右半分が無くなった様な感覚の中で、心臓を鷲づかみされたような痛みを感じていました。苦しさに動けなくなるのではと思ってしまうほどでした。虫の知らせと言えば格好の良い事ですが、私はその痛みと苦しさの為に彼の事を考える余裕も有りませんでした。

彼の死を知らされた後もその痛みは続きました。その痛みが彼の死で砕けそうな私を必死で押さえてくれているような感じがしました。兎に角、イライラしていました。失った体の一部を他の部分が必死で埋めようとしているようでした。

体の痛みはまるで彼に「君は君、私は私」と悟らされているようでした。事実を受け止める事を強要されているようでした。それでも私は通夜を拒否しました。他にも色々な理由が有ったのですが、痛みを隠しながらの運転は辛かったですし何よりも私の心は、いまだに彼の死と言う事実を必死に拒否しようとしていました。

葬儀には出かけました。大阪から弟が来る事になりましたし前夜、意を決したせいか痛みもほとんど治まっていました。随分冷静を装えるようになったと自己判断しました。おばさんや彼の弟に比べれば、私の苦しみなど大した事は無いんだと何度も何度も自分に言い聞かせました。


葬儀の日は暑いくらいに良く晴れた日になりました。従兄弟の家から斎場に向かう為に上の道まで登ったとき、青空の下に広がる風景が一気に私の心の中に入ってきました。私は自分を抑えることが出来なくなり泣き出していました。平静を装い、よそ事を考えても涙は止まりませんでした。斎場へ向かうマイクロバスの中で、私は弟に涙の原因を必死で花粉のせいにしていました。

人里から少し離れたところに或る斎場の入り口に大きな山桜の木が有りました。とうに桜の季節は終わったつもりだったのに今年はいつまでも桜がついてまわります。自制心がとれなくなっていた私は、降ろされた棺の前で一番下の叔父とゴタゴタを起こしてしまいました。「お前よりもずっと、私の方が悲しいんだ」と言う言葉に抑えがきかなくなりそうでした。

風に舞い私に降りかかる山桜の小さな花びらが、怒鳴り殴りかかりそうな私を抑えてくれました。私の中の激しい感情を全て流し去ってくれるようでした。必死に感情を抑え式を続ける叔母さんと彼の弟に比べれば、私の思い込みの激しい身勝手な怒りは彼らの悲しみに比べれば醜いだけのものでした。

彼の弟も私にとって大切な従兄弟なのです。アキラはこれからの私が過去にとらわれないように最後の最後まで私の心を諭してくれたのです。彼が存在した事や彼との思い出は、決して忘れられるものでは有りません。都合良く、彼の死に悲しんでいるだけでは、いられない年齢に達してしまっているのです。

彼が苦しみから解放された事を喜ぼうと思ってはいるのですが、私の笑顔は見るからに引きつっていて、周囲から見てもおかしな形相になっているようです。それでも私は自らの意志で笑っています。誰の為でもなく、勿論彼の為でもなく、私自身の為に。