前月からの疲れを引きずってしまったというか、無理が生じてきています…

今日はBerryz工房のライブに行く予定が、いろいろやること終わらず…
結局目処がついた(というか諦めがついたもの多数)のが夜の9時でした…(;_;)
で、公演情報を調べてみるとなんだか行けばよかったような内容…
ライブ時間中はほとんど何も考えられてなかったわけで、それならば行った方がよかったのかなとか…

まあ移動時間含めたら家にいた方がいろいろできてよかったのかも知れません。

そんなこと言ってたらもう週末…
あー!!!!!
何も実のあることはできてませんがな!!!!!!
公務員採用試験C日程、市役所の2次試験が、終了しました。

結果というか、結論から言えば…
敗退がほぼ確実です。


二次試験は面接試験です。
場所は市役所本庁舎内の会議室。個人面接で1人の受験生に面接官は5人でした。

聞かれたこととそれに対する回答は概ね下記です
・市役所を志願した理由(なぜ地元でないのか)→大学院での専攻が生かせると思ったため。
・大学院を卒業する年に市役所は受験しなかったのか?→別の公務員を受けたが不合格でした。
・大学院での研究はどのようなことをしたのか→主に教育政策と社会学。フィールドワークが中心でした。
・市の福祉政策に興味があるとしているが(書いた覚えない…)具体的には何か?→市長の政策をただ述べたのみ…
・何か運動はしているか→最近はあまり(月に一度程度ヲタ芸…とは内心…w)
・希望する部署は→どこでもよい…
・今の職を一年半程度で退職するのは勿体ないのでは?→一年契約ですので…
・そこで正職員になるには?→普通に採用試験を受けることになります…


回答はすべてしどろもどろで、はっきりとは述べられませんでした…
手応えないのは明白でした。


全体を通じて、自分で自分のことを知らなすぎたと思ってしまいました。自分自身の自己満足のため受験してきたという、不明確な動機がそのままでした。
学生時代からあまり研究もせず怠惰でやってきた、そのツケが回ってきたと、思ってしまいました。


面接官の中には市長もいました。
市長の政策くらいはしっかりと認識しておくべきだった。

○野市長…本当に申し訳ない…


帰りに受験番号が一つ前の受験生と話して帰りました。
その方はまだ若く、専門学校卒でしたが、非常にしっかりされていました。

この先が不安だと話していたので思わず、「敵を知り己を知らば百戦危うからず」と、格言を話してしまいました(自分のことは棚にあげて……)

私にも言えることです…
自分が何がしたいか、相手は何を求めているのかをよく考え話していかなければならないと思いました。


でも自分を生かしきれていければ、まだ何とかいけるって、そんな気もしました。やっぱり立ち止まってはいけない…場数と経験では…何事も…

今は…こんな記念受験生にお付き合いいただいた自治体に礼が言いたい気分ですが…
これから生かすべきところは生かしていきたいと思います。

スマイレージの前田憂佳さんが卒業されるということです。


ハロプロの進化のためにはメンバーの刷新も必要とは考えましたが、
まさかゆうかりん卒業とはという心境です。


先日の小川紗季さんの卒業の時もスマイレージが変わってしまうと思いましたが、それでもスマイレージはそのままと思っていましたが、
ゆうかりんが卒業されてしまうと…
スマイレージが変わってしまいます。いえむしろ、ハロプロそのものが変わってしまう…
私はどうしたら…


ハロプロは急速に新しい時代に移ろいでいる気がいたします。
それは嬉しいようで何か忘れてしまっていくかのようで…
自分はまだ、その流れについていけていません…

過去から来る自分へのけじめと記念受験のつもりで受けた市役所の一次試験に合格しました。


市役所は一次は比較的通るものだと聞いていましたが、まさか合格とは。


来週には二次試験ですが、


休み取れてないし…


でも辞退はよくないことなので、有給使って受験します。

休みが比較的取りやすいというのは、それだけ責任の軽い仕事ということか…


今更どうなるということでもありませんが、学歴が生かせる唯一の仕事なので、意外と対策はしやすいのが現実です。

というわけで、過去の自分を思い出しつつがんばっては来たいと思います。


あまり多くは期待せずにww

最近アメブロ更新してないのではないかと思ってしまう毎日・・・

もともとダメ院生だった自分が、再起するために日々の反省をと書き始めるというテーマがあったので、更新頻度が減るのはむしろ再起している証拠?

などと勝手に思い始めているのですが・・・

だったらタイトル変えろよっ! となってしまうので、少しずつ更新していきたいと思います。


さて、連休は…

新潟と島根に行ってきました!


とまぁずいぶん長旅な感じなのですが、主に高速バスを使って日本海側を旅したというわけです。


ってざっくりしてますが。

・8日(土)
東京・池袋から新潟行き高速バス(昼行)に乗車
新潟・万代シティバスセンターへ

新潟行きの高速バスは快適でした。西武のバスでしたが、最近は高速バスの設備が向上しています。この連休でバスを昼行夜行合わせ3路線乗りますが、いろいろ楽しみです。
個人的にはJRバスのような3列シートが良いのですが今回はすべて4列です。

新潟には夕方に到着しました。
出張中の人や観光客の姿が見えています。萬代橋から花火が上がっているのが見えました。万代シティも多くの人で賑わっていました。


この後は急行きたぐにで新潟を出発。
京都に向かいます。


・9日(日)
京都から高速バスで島根・出雲市へ(昼行)
京都を朝出発し、高速バスで山陰に来ました。

兵庫・岡山・鳥取を通り、島根に到着しました。
途中、大山PAで休憩。鳥取の全国的にも有名な山、大山が見られました。
島根に入ると国道を走行。宍道湖がきれいでした。

出雲大社参拝

出雲大社は大昔に一度だけ参拝したので、今回はそれ以来。
縁結びのご利益があるということ心を込めて参拝・・・ ←

本当は出雲から小倉(北九州)か広島経由で帰りたかったのですが、時間的制約が大きく出雲市からスサノオ号(一畑バス)で東京に向かうことにしました。



出雲市から高速バスで東京・新木場へ(夜行)
出雲市を出発し、高速バスで東京・新木場へ到着。
途中、蒜山高原PAで休憩でした。

さらに新木場からは埼京線で大宮へ。
大宮駅構内で開催中のトレインフェスタと埼玉のご当地アイドル「ピンキッシュ」のステージを見ました。
ミニライブ程度かと思っていたところ曲は6曲。
持ち曲ほとんど歌ったので結構お得でしたね。


新潟から京都へ、そして島根から埼玉という長旅でしたが、
普段はゆっくり滞在ということが多いですが、今回はいろいろ見て回るようにいけたので、これもよかったと思います。

出雲大社は、平成の大遷宮の真っ最中で本殿が良く見えなかったのですが、宝物殿が無料だったので、貴重な文化財を見ることができました。

一畑電鉄も乗車できたしよかったと思います。
鳥取の大山や西日本を代表するリゾート地の蒜山高原など、バスからの見所も多かったです。
いろいろなところを巡れた三連休でした。


私も変わらなければなりません。
思い出に浸るのはいいことですが、そこから前向きに次の目標を見つけ出し、夢の実現を目指していかなければならないです。

そろそろ母校の学園祭(砧祭)も近いです。
よしっ!これからもがんばっていきましょう。

秋にはいろいろイベントが満載~♪

今日、日本武道館で行われたモーニング娘。「コンサートツアー2011秋 愛BELIEVE~高橋愛 卒業記念スペシャル~」で新メンバーが発表されました。


新メンバーに選ばれたのは、飯窪春菜さん(16歳・東京出身)、石田亜佑美さん(14歳・宮城出身)、佐藤優樹さん(12歳・北海道出身)、そしてハロプロエッグ出身の工藤遥さん(11歳・埼玉出身)。


とまぁ
ずいぶん若返ったと思います…


個人的にはエッグからの工藤さんにはぜひ新メンバーになって欲しいと思っていました。
今後の予定など見るとやはり加入はないのかなと思っていましたが、今回の新メンバーへの合格。
これはやはり嬉しかったです。

最終的には年齢的なバランスが考慮された気もしてしまいます。

今回のオーディションでは、やはり東北出身の人に頑張って欲しいと思いました。震災の被災地でもあり本当に応援していました。


これまで高橋愛ちゃんの筆頭体制だったモーニング娘。ですが、
10期メンバーの加入は大きく変化する時だと思います。
良い意味で、そして別の意味で全員がモチベーションを新たにする時期。全員が全員で新しいグループを作って行ける時だと思います。
だから今までとは違う新たな「モーニング娘。」に生まれ変わる予感がいたします。


それは同時に一つの時代の終焉なのかも知れません。


少し前の芸能界なら、アイドルといえばグラビアアイドルを中心とした個々人の活動が目覚しく、グループとなると、お笑いブームでもあって男性のお笑い芸人が主流でした。
今はAKB48の爆発的なブームもあり、アイドルグループが主流かつ乱戦しています。それはさながら戦国時代のようです。


その中でどのように活躍していくのか、それがこれからの生きる道だと思います。
もう今は、私の知るモーニング娘。と別のグループなのかもしれません。
いえむしろ、そうなってしまってほしい…


いつの時代もエンターテイメントととは、その時代に生きる人に活力を与える存在、そしてアイドルには(勿体無いですが)人々に愛を与えて欲しいと思ってしまいます。(残念発想ではありますが…)


明日は私も日本武道館に参ります。
芸能界の歴史的な瞬間を見届ける心構えで参戦したいと思っています。



13人…
私が最も愛したあの頃の「モーニング娘。」…
その時のメンバーと、同じ数だ…

NGPを知って2年。
時は流れて新たなユニット「MM学園合唱部」が結成されました。


私はもともと声優さんが好きで、アニメが好きでした。
「極上!めちゃモテ委員長」も最初は、1推しの声優さんである榎本温子さんが出るから見ようと思いました。そのアニメの主人公がNGPのおがまなとなれば、これは絶対見るしかないという、そんな気分でした。

ところが本編を見ていると恋愛がテーマのハウツー的なもの。
そんなことを見ているとおがまなを好きでいるような気がして、そして好きだった榎本さんまで出てしまって。
急におがまなが今まで以上に気になる存在になってしまいました。


でもそのとき、Berryz工房も追い上げていた。
人気マンガの「イナズマイレブン」がアニメ化されその主題歌を歌うというのですから。

結局声優さんになってしまって恐縮であるが、榎本温子さんが出ていたアニメもキャプテン翼でありテレビ東京の同時間帯で、このときでは共通点があった。
そのためベリとNGPの同時推しのような状態となってしまいました…


その時の心境は複雑なもので割愛せざるを得ないが、「青春バスガイド」より「めちゃモテI LOVE YOU」。「ライバル」よりも「めちゃモテサマー!・乗ってるか~い」となってしまった。

そして決定的には清水佐紀ちゃんより小川真奈ちゃんという意識も芽生えてしまっていた…

今まではなんとなく暇つぶしだったNGPイベントが、待ち遠しくなるほど楽しみになり、いつしかめちゃモテサマー!のリリースイベントにはほぼ全て参戦してしまった。


その年の11月2日。
東京タワーで開かれた文化放送の「浜祭」。
前日は榎本温子さんのバースデーパーティーでオールナイト。
浜祭では、Berryz工房・MM学園合唱部・渡り廊下走り隊という、自分の推しが全て揃っていた。
今考えても夢のようだった。心からヲタでよかったと思った。
今までのヲタとしての人生の中で、間違いなく一番高まった日だったと思っている。

自分はそのままだった。
ベリヲタ卒となってもNGPヲタでいたい。
そう思っていた。


2010年になって次世代ワールドホビーフェアへ。
中学の時に行った以来と思っていたが、いつしか毎年行っていた。
そして10月の「めちゃモテ文化祭」。
おがまながベリの「スッペシャル・ジェネレ~ション」を歌ったとき、私はもうNGPヲタでいいんだと心から思った。
終演後にベリヲタが集まっている中で、私は一人おっきゃんのバースデーイベントへ。
既にベリヲタではない…
でもそれでよかった。NGPヲタでいることが幸せだった。


2011年5月1日。
新宿でのライブを最後に、まっちゃんとおっきゃんは卒業。
そしてまたキャナァーリ倶楽部自体も実質的にその活動を終了した。
それより前の3月末には秋葉原の石丸soft1も閉店となった。
もう今までのような活動はできないのかもしれない。


そのことは正直、心残りである。
いつまでも応援していたかった…
いつまでも、いやもう1年でいい…
キャナァーリ倶楽部のままでいてほしかった……



最後は少し駆け足になってしまいました…


アニメはモテるようになることがメインテーマでありました。
おがまなを知って自分はモテるのか、モテるようになるにはと真剣に意識してしまいました。

実はいま少しだけ恋愛中…
好きな人がいるということです。
それはリアルに… 職場が同じでも職種や立場が微妙に違うので、距離がなかなか縮まないでいますけど…


エンターテイメントとは、明日に生きる糧を作り出すということこそが、最大の目標であると思う。
ヲタ活動はすべからくリアルな生活を充実させるものでなくてはならず、流行り言葉を使うなら、ヲタは誰よりも「リア充」でなければならないというのが、私のヲタ活動の根本であり持論である。

だからいつまでも惰性で続けているようなアイドルヲタやアイドルは堕落してしまうと思う。
そう考えるとキャナァーリ倶楽部をこのままいつまでも続けてくださいというのは、間違っているのかもしれません。


でも今は、キャナァーリ倶楽部に小川真奈がいることが唯一の心の支えである。
いつまでも素晴らしい歌で私たちを魅了し続けて下さること、心から願っています。
こうしてあなたの歌で、今日も幸せになっている人が大勢いるのですから……


これからも私はあなたを応援し続けます。
私の夢と、あなたの夢が叶う
その日まで…

キャナァーリ倶楽部は永遠に、私の中で輝き続けます。



終わり

ハロプロやナイスガールプロジェクトも参加し、比較的若年層に人気だったSNS「セレンド」が終了となってしまい、私も最後はナイスガールプロジェクトの思い出をブログで語りました。

アメブロでも同じ記事を記載したく思います。

本当は現場での思い出など、もっと沢山の思い出があるのですが、駆け足で4年半を振り返りたいと思います。

駆け抜けたNGPのように…




私が初めてNGPを知ったのはちょうど4年半前だったと思う。キャナァーリ倶楽部もまだデビューしたてのころである。
地域活性化をテーマに立川を中心に活動するというもの。面白いコンセプトだなと思ってしまいました。
私はその時大学院1年で、立川は通学路でもあったのです…


私は、その頃大学院に馴染めていませんでした。
本当に辛いと感じることも多く、それは今とは比較にならないくらい。
私にとっては見ないようにしていた場所だったかもしれません。


当時はまっちゃん(松井友里絵さん)が好きでした。
背が高くて存在感があって、しっかり者で綺麗で…
どこか一番最初に、熊井友理奈さんに会ったときのことを思い出してしまいました。Berryz工房を好きになったときのことを思い出してしまい、すっかり感情移入した私は、松井さんを好きでいることに喜びを感じるようになってしまいました。
そうして大学院のつまらない日常を受け入れるように忘れたかったのも事実だったのでしょう…

ナイスガールプロジェクトが次第に気になってきていました。

今となってはこのときに、既に私の中ではその後に推しになることが決定的であるかのようだった。


振り返るならキャナァーリ倶楽部結成の日は、私が最もベリヲタだった1回目のBerryz工房バスツアーの日でしたから…

NGPは秋葉原に活動の主軸を次第に移して行き、そこでのイベントに行くことができた。
そのときはまだ、やっぱり自分はベリヲタだと思っていたけれど、NGPには身近さというのを感じていた。
リリースイベントに感じる身近さ。私たちと同じ仲間であるような。

嬉しい反面それにどこか物足りなさを感じる。
今までは近づいても遠い存在のはずのアイドル。それはメディアの露出なのかと思っていたところではあったりもした。
ああそういえば、声優さんとかはラジオやテレビに頻繁に出るから、急に距離が近くなったときに嬉しかったりするものだな(実際声優さんのバスツアーとかは、ハロプロでは考えられない、信じられないほど距離が近い)。
ずっと近いのも考え物…NGPも声優とかやればいいのに…などと考えていた。


そんな中、NGPではアニメデビューのために新たなユニットが作られると知った。
主人公には小川真奈。みんな勢ぞろいでアニメに進出するらしい…


そしてそれは、
私のその後を決定してしまう運命的なメジャーデビューを果たしてしまうのである。




一回で書くと長くなってしまうので、いったんここで切ります。
後編へつづく

アメリカ同時多発テロから11日で10年がたちました。
この10年。あっという間だったというか、もう10年にもなるのかといった心境でいます。


当時の事件の第一報はラジオで聞きました。
TBSラジオを聞いていましたが、番組が始まると同時に「ニューヨークにある世界貿易センターに航空機が衝突したという情報が入りました」との報道でした。(小島慶子アナウンサーだったと思います)

その時は事故だと思いました。
しかしその直後にサウスタワーにも航空機の激突があったということ。
アメリカ政府は直ちに、これがテロであると伝えました。

その後も航空機墜落、国防総省への突入、さらにそれらがハイジャックされた民間航空機であるということ…
さらにハイジャックされている飛行機があるという情報がどんどん報じられました。

とにかく私は怖くなっていました。
一体どうなってしまうのかと…

ラジオは報道特別体制になり様々な情報が飛び交いました。
すぐに居間の(当時私の部屋にはテレビがなかったので)テレビをつけると福田康夫官房長官(当時)が記者会見していました。
他のチャンネルでも航空機突入の様子が繰り返し報道されていました。

何も手が付けられなくなり、ただ窓の外を眺めてしまいましたね…

当時のラジオはアメリカの放送局が流した情報を又聞きで報じる状況でした「…また、アメリカCNNの情報によりますと…」という感じで絶えず報道されているのです。

今考えても不思議でした。
ニューヨークにある日本のテレビ局の支部などは、映像を送ってくるのみで、情報などはすべてアメリカの放送局にしか送られませんでした。
結構情報統制がしかれていたからかもしれないです。

そんな中テレビ神奈川をつけると、テロの首謀者として早くもオサマ・ビンラディン容疑者の名前が…
当時は誰??って思いましたが、今考えるとスクープだったのではないかとw
とはいえアメリカの通信社配信のニュースと思いますが


翌日学校に行くとその話で持ちきり
といいますのも当時、修学旅行の行き先がアメリカだったからです。
結局国内に行き先は変更になりました。


あれから世界は大きく変わってしまったと思います。
アメリカは対テロ政策として、アフガニスタン、イラクで終わりのない戦争に突入していきました。
戦争でアメリカの犠牲者はテロの死亡者数さえも上回ってしまいました。
2009年に当選したオバマ大統領はチェンジを掲げ当選しましたが、テロ戦争への終わりが明確には見つかっていません。
今年に入りテロの首謀者ビンラディン容疑者は軍事作戦で狙撃射殺されましたが、依然テロ組織アルカイダの報復によるテロへの脅威も消えていません。

11日はBS1で放送された追悼式典の特別番組を見ていました。

テロの現場となった世界貿易センタービルの跡地は、慰霊の礎が整備され、超高層ビル「フリーダムタワー」の建設が進んでいます。

10年を迎え、この事件も一つの区切りとなった気もしますが、
生存された方でもまだ精神面で深刻な後遺症を残している人が多いです。
一刻も早く回復されることを望んでいます。

私はアメリカに行ったことはありますが、まだニューヨークには行ったことがありません。
一生のうち一度は、グランドゼロを訪れたいと思っています。

世界が自由で平和になる日は訪れるのでしょうか…

改めて事件で犠牲となられた方の冥福をお祈りいたします


最後に
当時私が聞いていた「カバー!モーニング娘。」の収録曲「piece!」をどうぞ…


これ原曲「ザ☆ピ~ス!」なのですがしっとり系ミッドに生まれ変わって、平和を祈る歌になっています。
クオリティ高いです。

島田紳助さんの引退はとても残念です…

確かに昔から結構黒い噂とかあったらしいですが、引退するほどのこととは思っても見ないことでした。
非常に残念ですが、反社会勢力との関係は許されないことです。仕方がないかもしれません。

本人もちょうど55歳で引退した上岡龍太郎さんのようになりたいと言っていたので、それは達成されたのかもしれないですが、これは不本意ではないかと思ってしまいます。

このニュースはNHKでも速報が流れて、それには驚きました。
いろいろな意味で、長い間お疲れさまと思います。どうか悠々自適な生活を営んで欲しいと思います。


ところが、そんなお知らせの後で…

おはスタをワンセグで見ていて「転校って何?? またまた~」って思ったのも束の間…

スマイレージの小川紗季さんは、8月27日をもってスマイレージを脱退されハロー!プロジェクトからも卒業すると発表がありました。

とても残念です…
スマイレージではさきちぃが1推し。というかハロプロで1推しは、いまや完全にさきちぃだったので、非常に残念でなりません。


みんないろいろ考えて、いろいろな道を選んでいく。中には選ばざるを得なくなる人もいるけど…
でもそれは、みんなまだまだ夢の途中なんだと思っています。

これからもずっと、それぞれの道で頑張って欲しいと心から願います。
それはさきちぃも紳助さんも…

そしてまた私も……


スマイレージにはさきちぃ以外、特に推しているという人はおらず、いまさら別の人を好きになど到底考えられないでいる。

かつてモーニング娘。からミキティが卒業し、推し不在のままコンサートにいったという方と連番したことがありますが、その時に語られた言葉が「なんだか行く度にどんどん自分の中で違ってきてしまう」というものでした。
その心境がわかった気分でいます。

さきちぃがいるから増員が楽しみだったというところがあるのに、いなくなってしまえばただの一つのアイドルグループを見ているような、そんな気に過ぎないと思うのは過言だろうか。


私はベリヲタだった頃の心境を今も持ち続けているが、それゆえにBerryz工房からナイスガールプロジェクトに流れていった。
今はBerryz工房<キャナァーリ倶楽部 といったところだが、それは自分にとって納得いくものであったし、最良の選択であったと思っている。


細かい経緯は、自分でも整理がつかないので省略せざるをえないが、さきちぃがハロプロ1推しで、その彼女が卒業となれば、実質的にハロプロには推しが不在ということになる。

これからハロプロをどう見ていくのか、それはもう少し先にならないとわからないし、自分ではまだ何も見つかっていない。
キャナァーリ倶楽部も今年5月をもって、実質的な活動終了でもある。
そしてその頃の自分はまだ終わっていないし、終わらせるのも不本意である。


今年…
何もかもが終わって次の時代に突入していったようにも感じる。

いつまでも満たされていない過去に物質的、物欲的にしがみついて、今の時代についていけてない自分。
終了…卒業…腐っていく…??
足音が聞こえつつも聞かないように生きようとしている

後に残された道を模索するには、不本意でもそれを受け入れることからなのだろう…