3年前の今日(4月29日)、「40年」というタイトルでこの曲の記事をアップしたのですが、いろいろ思うところがあって、改題のうえ新たな「書き下ろし」として、平成最後の記事とします。

 

 

1976年全英4位、全米12位。さらに、アイルランドで2位、カナダで3位、オーストラリアで8位、オランダと西ドイツで9位(日本ではオールジャパンポップ20で1位)。同年1月第1週に "Saturday Night" で全米を制覇し、続く "Money Honey""Rock And Roll Love Letter" もヒットさせた Bay City Rollers が、その勢いを駆って本格的にアメリカに乗り込むべく、アリスタレーベルの下で最初にレコーディングした(御大 Clive Davis のサジェスチョンによるとのこと)のがこの曲で、同年発表されたアルバム "Dedication" に収録されました(イギリスでは単発シングルとしてリリースされ、"Dedication" には収録されなかった)。それよりなにより、私を洋楽の世界に引きずり込んだ(笑)のが、ほかならぬこの曲。すべてはここから始まった、私にとって原点となった一曲です。ただ、どのような経緯でこの曲を知ったのかは忘却の彼方で全く憶えていなくて、ある日ラジオから流れてきたこの曲を聴いて衝撃を受け、すぐにレコード屋に走った・・・的な、語るべきドラマがないのが、起伏に乏しい人生を送ってきた私らしいといえばそれまでですが、何とも残念でなりません(もっとも、ラジオで知ったのは、ほかにソースが考えられないので、ほぼ間違いないところであるが)。

 

 

そして同じ年の暮れに BCR は初来日を果たしました。こちらは武道館でのライヴ。

 

 

歓声で Leslie の歌声がかき消されていたり、押し寄せるファンを警備員が押し返そうとしていたりと(そのうえ失神者は50人を超えたのだとか)、これを見ると、当時「ビートルズの再来」と言われたのも、少なくとも現象面だけを取り上げれば、決して大袈裟ではなく、それなりの理由があったことがわかります。それにしても、Leslie と Pat はなにやってんだ(笑)。

 

オリジナルはこちら。

 

 

1964年全英4位、全米12位(面白いことに、全英・全米ともにローラーズのバージョンと全く同じ順位)。さらに、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランドでトップ10入り。当時アメリカを襲った British Invasion において、Beatles に次いでイギリス勢で2番目にチャートインしたのがこの曲。作者の Mike Hawker は、結婚したばかりの新妻 Jean Ryder(イギリスの Vernons Girls/Breakaway というガールグループのメンバー)のためにこの曲を書き、彼女のレコードとして発表しようとしたものの、レコード会社と契約する見込みが立たなかったため、妻の許可を得て、「新人歌手」 Dusty Springfield(デビューが決まり、10曲ほどレコーディングしたものの、どれもイマイチだったので、ヒット間違いなしという曲を探していた)にデビュー曲として提供したということです(Ryder もバックボーカルとして参加)。 

 

Tourists(これも全英4位)、Nicolette Larson をはじめとして、数多くのカバーがありますが、全米トップ40入りしたのは、オリジナルと BCR のバージョン以外ではこちらのみ。

 

 

1989年全英16位、全米31位。さらに、ベルギーで1位となったほか、アイルランド、フランス、フィンランドでトップ10入り。

 

最後は河合奈保子によるカバー。

 

 

実はファンだったのだ。