1979年全米2位(Knack の "My Sharona" の壁を破れなかったが、ミリオンセラーを記録)全英4位、アイルランドとニュージーランドで8位。翌年グラミー賞の最優秀R&B楽曲賞及び最優秀R&Bボーカルパフォーマンス賞(デュオ/グループ)を受賞。David Foster はまず、当時プロデュースを手掛けていた Hall & Oates にこの曲を提供したのですが、自分たちが書いた曲以外はやりたくないといって断られたそうです。そして、Bill Champlin のデビューアルバム "Single" に収録することとなったのですが、Maurice White にこの曲を聴かせたところ、彼が気に入ってレコーディングしたいと希望したので、Champlin の了承を得て "Single" からこの曲を外し、EWF のアルバム "I Am" に収録されて大ヒットとなりました(Foster は同アルバムにキーボードで参加したほか、この曲以外にも5曲を White らと共作している)。なお、EWF の Verdine White によると、この曲は彼らの曲の中で最もレコーディングが難航したものの一つなのだとか。
1979年全米3位(ブラックアルバムチャートでは1位)、ミリオンセラー。
こちらは「Live In Japan」の映像。
そしてこの曲の作者 David Foster、Jay Graydon、Bill Champlin が顔を揃えた Airplay のバージョン(Champlin はバックボーカル)。
さらに David Foster featuring Kenny G. のバージョン。
