2017年4月25日の武道館ライヴより。このとき、私は2日後の東京ドームでのライヴに行ったのですが、そのときも演ってくれました。Paul はこの曲を1990年代初めのライヴではよく演奏していたのですが、この年の ONE ON ONE ツアーで久しぶりにセットリストに入れて、彼自身曲紹介で言っているように日本では初めての披露となりました。

 

1966年の Beatles の武道館公演でも演奏されました(ボーカルはもちろん Ringo)。

 

 

さらに、Ringo Starr & His All-Starr Band のパフォーマンスも。

 

 

2019年の日本公演でももちろん演りました。

 

さらに、2015年に Ringo がロックの殿堂入りした際の記念セレモニーでの Paul と Ringo の共演。

 

 

カオスやな(笑)。

 

周知のとおり、元々この曲は John と Paul が Rolling Stones に提供したもの。

 

 

1963年、彼らのセカンドシングルとしてリリースされ全英12位。John と Paul は、Stones のマネージャー Andrew Loog Oldham(Brian Epstein の下で Beatles の仕事をしていたので旧知の間柄であった)から Stones に曲を提供してほしいとの依頼を受け、Stones がリハーサルをしていたスタジオでまだ未完成だったこの曲を演奏して聴かせたところ、Stones のメンバーが気に入ったので、その場(スタジオの隅)でこの曲を完成させました。その様子を見て感銘すると同時に刺激を受けた Mick と Keith はそれからオリジナルの曲作りに取り組むようになったということです。Mick は「ヤツら(John と Paul)はチャッチャッ、と曲を作っちまったんだけど、その仕事ぶりはすごかったね。で、『おい、ミック、スゲー曲だぜ』みたいな感じだった。この曲はまあ売れ線で、おれたちはそういうのを探していたんだ。」と述懐しています。

 

ところが、John に言わせると、「この曲は街で配っているチラシ。ストーンズのバージョンとリンゴのバージョンの二つしかないってことが、おれたちがこの曲をどう思っていたかを物語ってるってわけ。いい曲を連中(ストーンズ)にやったりはしないよ。そう思うだろ?」ということですが、これに対し Paul は、「この曲は連中に向いてると思ったんだ。で、アイツらはいい仕事をしたよ。」と述べています。どちらも「らしい」コメントではあります。

 

 

なお、Stones は、2012年の結成50周年記念ツアー(50 & Counting)で何度かこの曲を演奏していて、以前はYouTubeにそのときの動画がいくつかあったのですが、すべて削除されてしまったようで見つけられなかったので、代わりに Keith のパフォーマンスを。

 

 

「優等生のビートルズ」に対するアンチテーゼ(?)としての「不良のストーンズ」というイメージは、Andrew Loog Oldham が宣伝のために思いついたもので、以後「ビートルズvsストーンズ」というライバル関係の構図が盛んに煽られることとなったのですが、Keith に言わせると、実際にはそんなライバル意識はなかったとのことです。