歴代の徳川将軍のうち正室の所生にかかるのは、初代家康、3代家光及び15代慶喜の3名ですが、家康と慶喜の父はいずれも将軍ではないので、将軍の正室を母に持つのは家光のみとなります。

 

残りの12名の将軍の母はいずれも側室で、そのほとんどが武士の娘とされていますが、唯一の例外が10代家治で、彼の生母は梅渓通条という公家の娘です。彼女は名を「お幸」といい、9代家重の正室(伏見宮家出身の増子女王)に仕えていて、家重の寵を受けて家治を生み、公家の娘として唯一の将軍生母となりました。歴代将軍は摂関家又は宮家から御台所を迎えたため、中下級の公家の娘がお付きとして江戸に下り、大奥で御台所に仕えていたのですが、お幸もそうした女性の一人です。なお、彼女の実家梅渓家は村上源氏久我家の分家で、父通条は権中納言に昇りました。

 

ちなみに、全将軍の生母の中で最も身分が高いのは、慶喜の母吉子女王(有栖川宮家の出身)です。