東京金が乱高下した日の話題としてふさわしくありませんが、休憩も必要でしょう。
ノーベル平和賞
ノーベル平和賞はノーベル賞の一部門で、アルフレッド・ノーベルの遺言によって創設された5部門のうちの一つです。
ノーベルはスウェーデンの実業家ですが、ノルウェーとの和解、平和を祈念して、「平和賞」の授与主体はスウェーデンではなくノルウェー政府となっています。
例年10月に受賞者が決まり、現地12月10日に授与されます。
1901年の第1回以降これまでに106の個人、25の団体に授与されています。
選考方法は前年の9月から翌年2月にかけ、各国政府、国会、大学関係者、そして過去の受賞者による推薦を受け付け、その中から最大3名の受賞者を決定します。(2018年5月17日記事より)
このブログの右サイド「このブログを検索する」欄に「ノーベル平和賞」と入力し検索すると、昨年の今の時期はノーベル平和賞が話題になっていたことが分かります。
昨年の6月といえば初の「米朝首脳会談」を前に誰が「ノーベル平和賞」を受賞するのかで盛り上がっていた時期で、「トランプ大統領」や「文在寅-金正恩」の名前が挙がっていました。
ちなみに2018年ノーベル平和賞は、コンゴ民主共和国のデニ・ムクウェゲ 医師(63)と、イラクの少数派ヤジディー教徒の権利擁護を訴えてきた活動家のナディア・ムラド氏(25)に授与されました。
あれからちょうど1年が経ち、再び米朝首脳会談にスポットが当たりました。
そうです、6月30日のトランプ大統領による北朝鮮電撃訪問です。
トランプ米大統領は6月30日、南北の軍事境界線にある板門店で北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と面会した。トランプ氏は徒歩で境界線を越えて北朝鮮側に入って金氏と握手し、あいさつを交わした後、金氏と一緒に韓国側に戻った。
現職の米大統領が境界線を越えて北朝鮮側に足を踏み入れるのは初めて。(6月30日付 産経新聞)
ちなみに1994年のクリントン政権下では、カーター元大統領による北朝鮮訪問が実現しています。
ジミー・カーター訪朝
1994年当時も北朝鮮との軍事衝突の可能性が高まっており、クリントン政権(当時)は北との包括合意交渉を模索していました。
まず米上院議員が2名選出され北へ派遣されることとなりましたが、直前に北側からキャンセル。
北は制裁反対の立場をとっていたジミー・カーター元米大統領を交渉の相手役に指名します。
当初クリントン政権はカーター氏の訪朝には難色を示していましたが、これといった打開策もなかったため最後仕方なくカーター氏の訪朝に同意します。
1994年6月15日、カーター氏はアメリカ大統領経験者として初めて訪朝し金日成主席と会談。
その会談の席で勝手に安保理制裁決議に向けた働きかけ停止を宣言(CNN中継)。
米朝枠組み合意の元になったとはいえ、その合意も結局は2003年に破棄されることとなります。
カーター氏の勇み足により、2017年ついに北はアメリカ本土を対象とした核攻撃計画まで表明するに至っています。(2018年6月6日当サイト記事より)
今回のトランプ大統領による訪朝は現職としては初、米国でも大々的に報道されたようです。
ここで少し時間を巻き戻します。
元々トランプ大統領は、今回のG20会合は欠席の予定でした。
それは6月26~27日に野党・民主党がテレビ討論会を開く予定となっており、トランプ大統領はなるべく米国を離れたくはなかったようです。
それが一転大阪を訪れ、さらに北朝鮮にまで足を延ばしたとなると、これはG20出席を決めたときから周到に準備されていたということでしょう。
実際の公開討論はNBCニュースのタイトルにもあるように「民主党討論会の勝者はドナルド・トランプだった」ようですが、加えて北朝鮮電撃訪問はかなりのインパクトがあったようです。
ツイッター1本で呼び出され、挙句選挙対策に利用される正恩氏も大変でしたが、同時に「ノーベル平和賞」もトランプ再選のツールになりつつあるようです。
上述したようにノーベル平和賞は10月に決まりますので、決まって受賞するまでトランプ大統領はおとなしくなるのではないかなどと想像します。
goldが売られ、トランプ大統領がノーベル平和賞に選ばれる世の中が実現するでしょうか。
今晩の中身に注目、明日はもちろん「東京金内部要因」、明後日は「米国雇用統計」です。
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谷本 憲彦
商品アナリスト・東京商品取引所認定(貴金属、石油、農産物、オプション)、証券一種外務員