ウンスの診療事件簿 9【猫編 ⑨終】 | 壺中之天地 ~ シンイの世界にて

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韓国ドラマ【信義】の二次小説を書いています

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《2024年1月24日 改訂》

ウンスが典医寺に戻って来た時には、もうすっかり日も暮れて薄暗くなっていた。
日中あれほどごった返していた患者はもう殆どいなくなり、静かで穏やかな空気が戻っている。
 
「あら、医仙様。まだいらっしゃったのですか?」
 
通りかかった薬員の女が、驚いたようにウンスに声をかけた。
 
「ええ、ソク先生にお話ししたいことがあって、いらっしゃるかしら」
 
その時、奥の部屋からソク侍医が出てきた。
部屋にいた皆が一斉に礼をする中、うっかり頭を下げ忘れたウンスと侍医の視線がバチっとぶつかった。
 
「何かご用ですかな、医仙殿」
 
「少し、お時間頂きたいんですけど…お話ししたいことがあって」
 
「構いませんが。ではこちらへ」
 
ソク侍医は奥に続く診療の間へウンスを案内した。
 
「話とは何でしょう」
 
「実は……労咳だと言われた女官見習いの娘さんを診察したのですけど」
 
ウンスは先程の経緯を、ウンス自身の見立ても含め説明した。
 
「先生にご相談もしなくて申し訳ありませんでした。
この事…ご存知でしたか?」
 
「労咳の患者のことですか?
いいえ、聞いていませんが」
 
ウンスが話すのを一応最後まで聞いてはいたものの、その反応はあまりにあっさりしていた。
 
「これは医仙殿が個人的にされたこと。
私に謝って頂く必要はありません」
 
典医寺とは無関係だ、だから何かあってもこちらは知らぬ、と言う意味だろう。
咎められたり、嫌味の一つ位言われるかと思っていたのに、拍子抜けだ。
 
「もうよろしいですかな?」
 
侍医が立ち去ろうとする。
 
「あ、いえもう一つ」
 
「まだ何か?」
 
「ええ。
さっき知ったんですけど…。
典医寺には、官吏の方々や両班のご家族も来られますよね。

ですが、女官や武閣氏たちは、ほとんどが外の医員の所へ行っているんだそうです」

 
「それが何か問題でも?」
 
「ええ…問題ですよ!
せっかく職場に最高の医療機関があるのに、利用しないなんて。
今回のことも、初めから典医寺で診察を受けていればきっと労咳では無いとすぐに分かったんじゃないでしょうか」
 
「何が仰りたいので?」
 

「ええ、つまり……王宮で働く女の人たちも、もっと来れるようになるといいな、と思うんです」

 

「医仙殿、勿論典医寺は誰でも来ても構いません。

ですが、典医寺にも限界はあります。

この忙しさをご覧になったでしょう。

全ての人を受け入れる事は不可能です」

 

「それは…立場の低い女は来ないでくれ、っていうことですか?」

 

「そうとは言っていません。

ただ、女人は女人に診て貰いたいと思っている者も多い、という事です。

ですから、多くの女官が市井の医女の所へ行くのですよ、医仙殿」

 

「なるほど…さすが先生ですね!」

 

ウンスはパンと手を叩いて声を上げた。

 

「私も同じことを考えていました!

私、基本的には王妃様の担当ですが、出来れば一般診療も手伝わせて頂きたいと思ってたんです。

女の医員がいれば、きっと今まで来たくても来れなかった女官さんたちも来れますし……忙しさも多少緩和されますよね?」

 

侍医の顔が苦虫を噛み潰したように歪んでいく。

ずっと離れに押し込んでおくつもりだっただろうが、おあいにく様だ。

ウンスは笑顔で付け加える。

 

「王様や王妃様にお仕えしている女官たちが健康でいることが、ひいては王様、王妃様のためになるんですから…きっとお喜びになりますね」

 

自分の仕事と居場所は自ら勝ち取る。

それがウンスのポリシーだ。

 

 

 

 
 
 
 
 
「お帰りなさいませ、奥方さま」
 
ウンスが屋敷に戻って来ると、早速スミが出迎える。
 
「ただいま〜、あああ、一日長かった〜!」
 
「随分お疲れのご様子ですね。

初出仕、ご苦労様でございました。

気疲れされたのではございませんか?」

 
「そうなの…色々あってね。

でも悪くない初日だったわ」

 

「それはようございました」

 
ウンスが屋敷の中に入ろうとしたその時である。
いきなり白い物体がしゃっと背後から脇を通り抜けた。
 
「ぎゃっ!」
 
スミが叫んで尻餅をつく。
 
「おっ奥方さま!今何か…何か…白いものが…!」
 
「えっ?」
 
暗闇に浮かび上がる真っ白な影。
 
にゃぁぁぁお
 
「きゃあ、猫ちゃんじゃない!!

やだ、あなたついて来ちゃったの〜??」

 
んみゃあ
 
ウンスが近づいて屈むと、ウンスの胸に飛び込む。
 
「ね…猫でございますか?ああ驚きました…

どうして猫が」

 
「王宮で会った猫ちゃんよ。

全然気付かなかったわ!ご主人は?心配してるわよ〜。ん??」

 
なあああ
 
ウンスの頬をぺろりと舐め、甘えてくる真っ白な猫。
ウンスとて動物は嫌いではない。特に懐いてくるこんな美猫なら尚更だ。
 
「どう致しましょう?」
 
「仕方ない、明日王宮に連れていくわよ。

今晩はうちで預かるわ、ああ、そういえば今日もあの人は遅くなるそうよ。

先にご飯食べましょ。

この子の分もお願いね」
 
そして文字通り猫に向かって猫なで声を出す。
 
「一緒にご飯食べようね〜!

うちの旦那さまは今頃、まだ色白美人を追いかけてるのよ。

私だって色白美人と戯れちゃうんだから〜ねえ?猫ちゃん」

 
にゃあああ
 
盛大に白猫の背中をモフりながら、ウンスのテンションはすっかり上がっている。
 
「この感触、最高!癒されるぅぅ」
 
 
 
 
 
 
 
その頃、迂達赤兵舎の中は、まさに修羅場だった。
 
「まだ見つからないのか?!」
 
「申し訳ありません!姿は時折目撃されておるのですが…

驚く程すばしこい奴でして、あのテマンでも手を焼いております」

 
まるで馬鹿にしているかのように、追いかける迂達赤を尻目に見てはひらりと身を翻し逃げていく……そんな最凶の敵に翻弄され未だ猫を捕獲できずである。
 
「一体どこに居るのだ…!」
 
大護軍チェ・ヨンの苛立ちは最高潮に達している。
このままでは今日は帰れないかもしれない、という苛立ちだ。
 
「大護軍、これでおびき寄せましょう!」
 
トクマンが手に火鉢と魚の干物を持ってやってきた。
 
「猫だとて腹も減るでしょう、これを焼けば匂いにつられてやってくるはず…」
 
「仕方ない…やるか」
 
この案が名案なのか、それとも愚案なのか、その判断も鈍ってきた。
 
「貸せ!」
 
トクマンから火鉢を引ったくり、率先して歩き出す鬼の大護軍。

この後、王宮中に魚の匂いを散々撒き散らした挙句……白猫どころか、鼠一匹見つけることはできなかったという。       

 

   

       【猫編】終  

 

 

 

 

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