今から4年前のこと。
この時期は殊更【新型】疾病が出回る時期であるのだが、4年前の春にも訳のわからない疾病が金魚に出回り、酷く解釈に苦しんだことがあった。
ーーそれは原虫疾病の様相を呈して始まるが、原虫疾病ではない
ーー対症療法的に原虫疾病の処置を行うと一時的に沈静化するが、すぐにぶり返す
ーーそれは細菌感染症ではない
ーー病魚水槽の飛沫だとて入れば確実に感染する
ーー致死率は100%
ーーおそらく、新型のウイルス性疾病
弊死魚のサンプルがキロ単位になろうかという頃、ある一つの仮説を元に、私達は冷凍したサンプルから血漿を抽出し、不活化ワクチンを精製した。そして、全尾横倒しに倒れ、折り重なり、エラが微かに動いているだけになった病魚水槽にそれを投入した。
果たして、どうなったか?
ワクチンは劇的に著効し、12時間後には全尾通常遊泳に戻り、翌日の同じ時刻には何事もなく餌すらねだる仕草を見せた。34尾居た瀕死水槽からは1尾の脱落者も出さず、全尾が不気味なほど短期間に回復した。
彼らは再度の感染試験には二度とぶりかえさず、完全に免疫を獲得した。
結論として、私達の行う基本的な不活化方法で精製できるワクチンが著効したそれは、
●RNAウイルスに属し
●ラブドかコロナ、もしくはその近縁種。ヘルペス等のDNAウイルスではない
逆説的な証明であったが、この2つだけは判明した。
そして、
●おそらく出処は中国
これも強く疑われたものである。
このウイルス疾病には弊死魚の血漿を不活化処理したワクチン以外に治療方法が無いので、当時の弊死魚は全て厳重に冷凍保管し、将来の再発に備えてある。
因みにこれが人間に感染したか否か?それは正直わからない。もし感染したとしても、殊更騒ぎにならずに回復している、それだけの話である。
しかしながら、病原体としては極大サイズの原虫疾病と極小サイズのウイルス疾病のアイノコのような病態は如何とも理解し難かった。よもや原虫にウイルスが感染して、その二重寄生で発症するのではなかろうか等、とんでもない事まで考えたが、感染試験でそれは否定されている。極大と極小がコラボするなど、微分積分じみた話で、それがどうしてそうなったのか、仮説すら立てられず、何かがあればワクチンを解凍して対処しながら、無為に4年が経過した。
件の武漢研究所で、使用済み牛豚・乳・蛇・センザンコウ・蝙蝠等を食用として市場に流しまくリ始めたのがちょうど4年前と聞き、やりかけで放置したパズルの最後のピースが頭の中できれいに収まったような薄気味悪い気分になった。対原虫薬を使用すると症状が緩和した理由が理解できたように思われる。細胞に取り付く物質が原虫のものと共通していれば、何のことはない、一番効率的な予防策は(以下自粛)
あれ以降、どうにも春が近づくと金魚に中国発の疫病が跋扈する習慣がついてしまい、何故だろうかと悩んでいたのだが、遂に今年は人間に出現してしまった。
対人間であれば、厚生労働省が動くので大丈夫だろう、と呑気に考えていたが、その厚生労働省が陣頭指揮をとって、トンチンカンな方向に事態が進展し、まるで自分たちが住まうのは21世紀の令和の世ではなく、ペスト禍の中世ヨーロッパの世界ではなかろうかと疑うような光景が日々繰り広げられている。
もしかしたら枕元に赤い絵を飾って、【蘇民将来之子孫也】と表札に併記し、玄関に巨大な茅の輪でも設置して毎日くぐった方が効果があるのではなかろうかといぶかりたくなるような防疫対策を日々見せられて、自分たちの社会は根源からなにかを喪ってしまっていたのではないかとお気づきの向きも多くいらっしゃると思う。
とりあえず厚生労働省や自民党本部、及び国会議事堂に【巨旦将来之子孫也】とでも落書きして、ベンガラ塗りの牛の像でも放置してくる猛者が出ないか、もうそのぐらいしか楽しみが見いだせないので心待ちに配しているのだが、冗談は捨て置いて、この国の政府の対策には、疫病は老若男女の区別なく、理由すら問われず誰であれ襲いかかるもの、という前提がすっぽりと抜け落ちているように感じられてならない。
偉大なあまたの先人達が積み上げてきてきた、公衆衛生と防疫、という概念が、どうやったらここまで完膚なきまでに消滅してしまうのか、皮肉ではなく、心底の恐怖を感じてしまう。
少なくとも、中世の伝説世界が(ペスト禍からの散発的逃亡、罹患患者宅を釘打ちして閉じ込める、患者の出た船の寄港拒否と追放、特定民族や人種の差別、異様な装束による防御、隔離患者の集団舞踊、ハーメルンの笛吹き男以外の殆ど全部の民間伝承的光景)医科学が未開な昔の出来事、無知な民衆による愚かな寓話ではなく、現代を生きる自分たち自身の等身大の投影であったことにショックを受けた方々も多い筈である。
原理原則の理(ことわり)を紐解けば、ギリシャに始まる欧州文明社会は幾度と無く疫病に晒され、それらの死病を回避する本能めいた行動原理を、幾重にも民間伝承に張り巡らし、公衆衛生の基本的概念として確立している。一方日本は島国であったが故に、本格的なパンデミーではなく、局所的流行(エンデミー)で様々な疾病を免れてきてしまった歴史がある。
まるで日本だけ丸腰のまま火事場に突っ込まれたようなものであるが、もう、どうすれば良いのかわからなければ、見て倣うこと。特にペスト禍で人口の98%以上を喪った経験をした欧州諸国が今どのような隔離防疫政策をとっているのか、それを真似て自分たちの経験にする以外無いのではなかろうかと本気で思う。
こと、防疫と公衆衛生という問題については、間違いなく日本は未開の発展途上国なのだ。見て倣う以外の向上方法があるとは到底思えない。
例えば、検疫(quarantine)の語源は、イタリア語で「40日」。ペストにかかっていないことを確認するために、船に上陸許可を40日間出さなかったヴェネチアの習慣がそのまま検疫という意味になったことetc......、おそらく誰であれ厚生労働省の人間ならば「知っている」ことであっても、もう一度意味のある事柄として再確認しなければならない事象が腐るほど埋もれている筈である。
「死の舞踊」「死の勝利」が何故繰り返し取り沙汰され、永遠に等しい名声を得たのか?この絵が何を示唆しているのか?誰かから聞いた知識ではなく、自らの内側に答えを問わねばならないのは、まさに今ではないのか?少なくとも公衆衛生に関わる全員ーー上は厚生労働省から下は家庭の父母に至るまでーーにそれが要求される、そんな時代の只中に私達は生きているのだと自覚しなければならない。
さながら原発事故の時のように「正しく恐れる」などという文言が乱舞するご時世だが、その「正しさ」はどうも日本には存在していないことをこの数週間、嫌というほど我々は体感させられた。
おそらく、だが、日頃輸入動物を取り扱う業者が無意識に取る防疫策が、今一番求められている防御行動なのではないか、とすら思う。
接触機会を減らす、人混みに出ない、手洗いうがいの徹底、不用意に未洗浄の手で口や目に接触しないこと、不特定多数に長時間曝露したものを寝室に持ち込まない、十分な睡眠をとり、栄養に気をつける等など…。「それだけ?」と思われるような基本的行動の継続と積み重ね以外に、罹患リスクを低減させるものは無い。
それは幼い日から今まで続くことを、この先も続けてゆく、という「それだけ」のことで、敢えて「正しく恐れる」という表現を使うのであらば、
ーー出身国のわからない種族も未知の野生捕獲された体調が悪いレプタイルと自宅で同居するように、慎重に生活するということ。
これが正しく恐れる行為の実践であり、何のことはなく、レプタイル愛好家のみならず、場合によれば多くの観賞魚飼育者が常日頃実践していることの延長線上にある行為に等しいものだと考える次第である。
疫病が天の差配に思われること自体が、公衆衛生の崩壊を示しているのだと改めても思いつつ、一日も早い終息があらん事を心から願い、筆を置く。
文責:水棲疾病基盤研究所














