『百万本のバラ』
元歌はラトビアの曲らしい。
邦訳はいくつかあるが、加藤登紀子さんが訳詞・歌唱したバージョンはヒットした。
80年代後半のことである。
♪
小さな家とキャンバス 他には何もない
貧しい絵かきが 女優に恋をした
大好きなあの人に バラの花をあげたい
ある日街中の バラを買いました
百万本のバラの花を
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラでうめつくして♪
その朝、窓を開けた女優は大笑いした。広場一面の赤いバラ、お金持ちの悪ふざけだと思ったのだ。
貧しい絵描きは、広場の片隅で彼女の笑顔を見上げ、一生分の満足を得る。
女優は別の街へと去る。
バラを買うために小さな家もキャンバスも失った絵描きは、孤独な人生を送る。
けれど、バラの花の思い出は、彼の胸から消えなかった。
歌詞はこれで終わり。
後は聴き手が考える───
ひと時の笑顔を見るために、全てを投げ出した貧しい画家は、愚か者か、幸せ者か?
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6月21日、池袋サンシャインの噴水広場。
アイドルイベントの聖地らしい。
prediaは何度もサンシャインでリリイベを行った。
でも、いつも噴水広場は素通りし、CDショップでのストア・イベントだった(但し、そのCDショップはprediaを大切に扱ってくれる、心地良い店だったことは書き加えておく)。
初めての噴水広場───
メンバー皆、さぞかし嬉しかっただろうな、と思う。
コアなファンにとっても、思いは同じ。
感じ方、表現の仕方はそれぞれ違ったとしても。
ライブ前、まだ静寂な噴水広場。
これを見下ろして、私は思った。
───この広場を、真っ赤なバラで埋め尽くしたい

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8月6日のメジャーデビューに向けて、リリイベ・面会・撮影会が、週に何本もブッキングされている。まさに怒涛の勢い。

イベントに参加してCDを予約すれば、一回に数千円~1万円を使ってしまう。
当然、資金が続くはずはない。
6月を待たずに、私の財布はカラになった。
身動きがつかない。
それまで、prediaのイベントは極力参加してきた。
不参加のイベントが積み重なるに連れて、気持ちがポキンと折れた。
自分がするであろうことは分かっている。
資金の許す範囲で、デビューシングルの予約券を買い続ける。
でも、薄給の窓際サラリーマンの資金力など知れている。
ここで消耗し切ってどうする?という思いもある。
メジャーデビューは出発点であり、ゴールではない。
メジャーデビューでオリコン○位を取りました、めでたしめでたし、で終わられたらたまらない。
彼女たちは、その先にどんな夢を描いているのか?
「事務所の方針だから」では済まされない。
彼女たちの人生が賭かっているのだ。
私が描く夢は決まっている。
prediaの名が知れ渡り、幅広い世代に愛されるファミリー歌手になること。
例えば、被災地にprediaが慰問に行く。子供たちが飛び跳ね、お年寄りが目を細める───
それが私の想い描くprediaだ。
それには、とにかく知名度を上げなければ勝負にならない。
コアなファンは、そのための捨て駒なのかも知れない。
ボーナスが入って、一息ついた。
妻(私よりエラい)は、その中から、predia枠の資金を用意した。
使える金額は最初から決まっている。
私はペース配分を考えている。
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「承認欲求(あるいは認知衝動)」という言葉を考えた。
彼女たちタレントさんは、不特定多数の人にアピールする、いわば公(おおやけ)の人。
ファン一人一人の名前など、覚えても限りがある。
なのに、ファンは自分のことを覚えてほしい、特別だと認めてほしい、と思う。
もう随分前のことだが、さっちゃんが突然、何を思ったのか、ツィッターのフォロー返しを始めた。
順番にフォローが進んで、途中で面倒くさくなったのだろう、パタリと止まった。
私の二人前だった。
なんだよ!と怒った。
それからしばらく気持ちがくすぶっていたが、
その後、率直に「さっちゃんフォローしてよ」とツィートしたら、あっさりフォローがきた。
変に気を揉まないで、素直にお願いすれば良かった(笑)
prediaメンバーも、かつてはリプ祭りをやっていたが、私は参加しなかった。
ライブの集客が目的だから、すでにコアなファンである私が、負担を掛けたら悪い………
というのは嘘。
自分の直前でリプが止まる、という疎外感が怖かったのだ。
『百万本のバラ』の貧しい絵描きは、女優の笑顔を見るために全財産を投げ出した。
そしてそれが自分の仕業とは告げなかった。
純情である。
でも有り得ない。
だからこそ、ポエムであり、胸の締めつけられるような感傷を呼ぶのである。
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一時期、prediaからファンが大量流出した。
彼らの不満は、prediaメンバーに対してではなく、運営に向けられていた。
そして、スタッフがファンの意見を良く聞き、一緒に楽しみましょうと働きかけていたユニットに流れた。
彼らが私のブログを読むこともないだろうから、勝手なことを書いてしまうが、要するに彼らが求めていたのは、楽しく遊べるオモチャだったのだ。
アイドルとは本来、崇めるべき偶像。
しかし、今「アイドル」という言葉の意味は「弄って遊べるオモチャ」になってしまった。
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私が敬愛する漫画家の、印象深いシーンを思い出す。
永島慎二の『漫画家残酷物語』
ある老漫画家のセリフ───
「私の作品は、愛の一部ではあったとしても、愛そのものではないと思います」
愛情とは、嫉妬、疑い、エゴ、怒り………汚い感情もみんな呑み込んで、育て上げるもの。
そしてその愛情が本物かどうかは「時間」が証明する。
振りまかれる愛は、愛でないとは言わないが、愛そのものではない。
樹村みのりさんのエッセイ風の作品───
年齢を経るにつれて、自分の中で殺してきた様々な感情。
でも、どうしても殺せない「想い」がある。
それは、
「あなたが好きで嬉しい!」という気持ち。
かくて、
みのりさんは日本の土産を買い込んで、長年好きだったジョニ・ミッチェルの許へ駆けつける。
そして、
「私、あなたのファンです!」と子どものように連呼する。
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私は自分に用意出来た数十本のバラを、どう配分しようかと考えている。
どうすれば、もっともイベントを楽しめるか
効果的に応援できるか
しかし、その一方で、
どうすれば自分が印象に残るか、目立てるか、
「ファイミルさんが応援してくれている」と感謝してもらえるか、を計算している。
拭いきれない「承認欲求」───
私は自分のこういう不純さが
嫌いである