空はどこから/猫の長靴 -79ページ目

空はどこから/猫の長靴

日記は苦手だけど、何があって何を思ったのか、あんまり分からなくなるのもねぇ(´Д`)
だからちょっとだけ、記録を残します。

池袋サンシャイン噴水広場――
ここでprediaがリリイベをするのは2回目である。




前回は6月21日――この時、私のpredia愛はMAXだった。

そして急転直下……
人間の決意なんて当てにならない、「これからもずっと」なんて嘘っぱちだということを、私は自分自身の行動で知った。

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以下は8月26日に下書き保存し、そのままボツになった記事だ。
タイトルは
『王冠に託すもの』

私が敬愛する漫画家、樹村みのりさんに、こんな作品がある。
ある青年が、結婚の許可を得るべく恋人の家を訪れる。
彼女の父親は、娘との結婚を頑固に反対する。しかし、そのあと、父親は家を去る青年を追いかけ、こう告げる―――

私は娘と君との結婚には反対だ。でも、それでも結婚すると言うのなら……
どうか娘を頼む!



8月6日、メジャーデビューを果たした日、メンバーが言ったらしい
何だか、クラウンに嫁入りした気分………


26日、prediaが上野恩賜公園水上ステージでの



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ここで途切れている。
この後、上野野外ステージでのクラウン歌謡ショーの様子を綴るはずだった。

中高年が集まる演歌イベント、私と妻が会場に座っていても違和感がなかった……というよりも、揃いのTシャツで団扇を振って応援するおばさん達より、私たちの方が少しばかり若かった。

このステージで、prediaは可愛い妹分として、先輩歌手の皆さんに優しくフォローされていた。
エロや低俗さで売り出そうという品の無さなど、微塵も感じなかった。
良い会社じゃないか、と思った。


でも、一旦冷めた私のpredia愛が、元の熱量に戻ることはなかった。

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6月末、東スポ事件直後に書いたボツ記事もある。
これはあまりにエグイので、とても人に見せられない。
タイトルは『老兵は死なず、ただ……』であった――

この2回の噴水広場の間に起きたことを振り返ると、
私の胸の奥には、何かを嫌悪する一点の曇りが残っている。

その「何か」の正体は、今も分からない。
でも、その嫌悪の対象は他者に向けられるべきものではなかったように思う。
結局、探っていって見つかったのは、自分自身の奥底に潜む「卑しさ」であった。

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12月20日――
噴水広場、2階の真正面。私の定位置。
登場したprediaはやっぱり華麗で、愛らしかった。

『BABY KISS』のルナの表情に目を奪われる。
このコは生粋のBaby(童女)だなぁ、と思う。
久し振りに個別握手に行く。
「最近 顔見せなくてさみしいやん」
と言われた。

うん、私は今もファンだよ。


ワンマンライブはその後も欠かさず行っている。
一月のヤクルトホールは落ちついて観られそうなので、妻とふたりで行く。

でも、もう無理はしない。
「熱狂」はしない。
おのれの欲――コアなファンとして認められたいという欲望――に振り回されない。

今の私は「一般の」prediaファンである。




妻に嫌がられながらも、茶の間に飾ってあるポスター



「さよなら」が多すぎる
ボクには もっと「こんにちは」が必要だ――

スヌーピーで知られているピーナツブックス。
ルーシーとライナス(ヴァンペルト姉弟)の引越騒動があった時の、チャーリーブラウンのセリフである(因みに翻訳は、あの谷川俊太郎さん!)

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14日、勇んで出掛けたDORiveのミニライブ。
サンタコスである。可愛いに決まってる!

会場であるプラチナム事務所地下1階、一時間前に着いたら折しも雪。マネージャーのNさんが外で待つ私達ファンに傘を貸してくれた。
見渡すとpredia以来の さちこファン、そしてDORiveでよく見掛ける れなし・みれにゃんファン。DORive現場に徐々にホーム感が出てきている。

微かに聞こえるリハの音は知らない曲調――
新曲かもね、と隣りのMMさんに話す。


この日、「重大発表」があるというアナウンス。
2日前、ヌーカフェで れなしに訊いた。
「良いニュースか、悪いニュースか、それだけでも教えて」
読み取ろうとしても、れなしは頑として表情を変えなかった。
後から思えば、いつもの れなスマイルと違い、笑顔が強ばっていた。


そして重大発表とは――
みれにゃんの脱退!
たった半年前、「DORiveはこの3人で倒れません!」と言ったばかりじゃないか!?

ひょっとして新曲発表?
の期待は見事に裏切られた。

重大発表でファンの気を引き、集めておいて悲嘆の淵に叩き落とす――
そんな商法は勘弁してくれ、と思う。
ファンは楽しみたくて足を運ぶのであって、悲しみたくて集まるのではない。

集合離散を繰り返すアイドルユニット――事務所の戦略変更、というよりも、気になるのは、彼女たち自身の主体性だ。

「自分」をしっかり主張出来ていないのではないか……
折しも衆議院選挙の日――じゃあ、大人はどうなんだよ!と言われれば それまでだけど……


以下は私の愚痴……
3年間続けてきたアイドルの追っかけ――ただただ、振り回されてきた。
正直、疲れた。
仕事上のこともあるのだが、近頃は心身の疲労が重い。
馴染めない都会暮らし、倍のスピードで歳を取っている。
田舎に戻れないのなら、せめてもっと穏やかに、浅草や上野で寄席見物。
そんな のんびりした日々に戻りたい、とも思う……

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さて、ここからは気を取り直して――
このブログは大好きなDORiveを語る記事である。


↑10日遅れの れなしバースデイ。
特製トートバッグはいつもの画伯(妻)に発注。
れなし、さっちゃんが自分のキャラを指差してくれている。

中身は京都出張で買った地ビールと つまみ用のおかき。
女の子=甘いもの、の定番を裏切ってみた(笑)


その図柄――
れなしに好きなアニメキャラを訊いてみたら
「ディズニー?よく知らない」
という男前な答え。
で、「小さい頃、チビうさのカッコして写真撮ったことある」をヒントにした。

さっちゃんには、動物に例えたら?と訊いたら、リス、と答えたので――
もっとコロッとしたキャラを想像していたのだが、画伯が写真を参考に絵を起こしたら、やけに美形のリスになった。

みれにゃんは、最初から訊くまでもない――黒猫!
実は、みれにゃんのバースディにはキャットウーマンで描こうと予定していた――


さて、ライブ
持ち歌4曲を軽快に飛ばす。

狭いながらも会場は超満員。
前方に椅子を並べてくれたのは有り難かった。
定番の上手最前に陣取って、快適!

もはや有名人、Pさんたちの幹事で れなし生誕用のピンクのサイリウム発動。
オイオイの声が賑やかなのは、旧来のD-RiveRさん(ファン)の作法なんだろうね。


トークは……何しろ発表が発表だから、盛り上がらなかった。
その代わり、特別バージョンで
持ち歌以外の プッチモニのクリスマスソングを披露。

私は知らない曲だが、可愛い子が可愛いく踊ったら、そりゃ可愛いだろうな、という曲だった。
――つまり、DORiveのコンセプトと全然違う。

で、思った……
もう、良いんじゃないかな、コンセプトなんか、どうでも。

さち・れなにヤンキーばりに車をぶっ飛ばすイメージは、全くない。
もはやDORiveである必要もない。
自由に新しいイメージを作ればいい、と思う。

過去に縛られることなく、さち・れなの やりたいように(悔いのないように)新ユニットを造り上げてほしい。
とりあえず、持ち歌が必要だから、D-Riveから拝借する。
そんな感じでいい。

ふてぶてしくやっておくれよ。
可愛いだけじゃない、本当の「さち・れなの存在感」を魅せてほしい。
例えば、優しく見えてガッツリ肉食系の れなし
怖がりに見えて実はキモいゲームが好きな さっちゃん
……例えばね(汗)


これまで、いろんな現場の喧騒に身を置いて、いろんなことに失望して、心身疲れて……
もう騒がしいイベントは、ほどほどにしよう、とも思う。

でも、いろんな思いを削ぎ落とし、最後に胸に残るのは……

やっぱり――
このコ!
このコのファンで居続けたい!
このコの夢を見届けたい!

私にとって、それが一番大切な思いなのである――


おまけ
FUJI☆7GirlSで「チャームポイントはお尻」と言っていたけど、薄地のホットパンツから見えるお尻は……ホントに可愛かった(照)
ワンショット、まさかお尻の写真を撮りたいとも言えないので、横向きのポーズ――

「さっちゃんてホントにお尻がチャームポイントなんだね……」
「これを着たら、自分でも思ってたより、プリッとしてた――」

なんだい?この会話は!?(汗)








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これは先月、「水俣病資料館」を訪れた後に書いた記事である。
水俣病については「忘れないということ」というタイトルでアップした。

視点を変えて、もうー編、書いていたのだが、タイミングを逃して下書きのままになっていた。

明後日、争点の分からぬまま、権力者によって仕組まれた衆議院選挙が行われる。
この記事をアップするならば、この機会かも知れない……と思い、引っ張り出してみた。

いつにも増して完成度の低い文章だが、私が考えたことの記録として残して置きたい。

宜しかったらお付き合いを――
そして選挙(庶民の意思を示す時)の前に読んでいただきたい――


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例えば『三丁目のタ日』が連載されていた頃、私は学生だった。
このマンガ自体は面白かった。
私は決して西岸良平さんの作風は嫌いではない。

しかし、過去の時代(昭和30~40年代)がノスタルジックに語られる時、私は微かな不快感を覚える。
昔は良かった?
ちょっと待てよ!
と思う。

世界中を席巻した公害問題。
酸鼻を極めた「人身災害」――
そこに焦点を当てれば、この時代は「地獄」であった。

どんな時代にも闇がある。
忘れ去られることから歴史の歪曲が始まる。

昔は良かった、今は~
などと安易に口にすべきではない。
どんな時代にも、巨悪に虐げられた庶民がいた。
そして、それは忘れ去られるよう、時代に仕向けられていく。


果たして、「巨悪」とは本当に存在するのだろうか?
それは「庶民」と隔絶された一個の妖怪なのだろうか?

どこかに巨悪がある、と決めつけるのは たやすい。
私たち弱者は批判の声を上げるしかなく、やがては泣き寝入りし、時が過ぎて うやむやにされる――

違う、と私は思う
加害者を「顔の見えない他者」と決めつけて、思考を止めてしまっては、被害者は浮かばれない。

チッソが被害者に対し、最初に「見舞い金」の契約をした時、その金額は一人年間3万円だった。
その契約は、裁判所の「公序良俗に反する」という判決により、無効とされた。

惨状を極めた重症患者を目の当たりにしながら、この契約を進めていたチッソの「担当者たち」は、何を思っていただろうか?

奇病と水銀中毒の関係が明らかになって後、対策は何年間も放置され続けた。
わずかたりとも、その怠慢に関わったサラリーマンたち――チッソ社員や行政職員――は何を思っていたのだろうか?


「怠惰」
と私は思う。
他者の痛みへの無関心、危機意識の欠如、行動を起こすことへの無気力――

何処かの巨悪だけが全てを仕組んだのではない。
それに荷担し、地獄ヘの露払いをしたのもまた、庶民なのである。
加害者は顔の見えない他者ではない。


私の職業は人の生命を脅かすような業種ではないが、それでも謝罪会見、つまり加害者側のサラリーマンを見ていると、自分をその立場に置き換えてゾッとする。

運が悪かった、と思うだろう。
あの時、事の重大さに気がついていれば……
こんなことになるくらいなら、もう少し早く手を打っていれば……と思うだろう。

そんな人間の「怠惰」の蓄積が時代の悲劇を産む。

「社会悪」の正体とは、
たくさんの普通の人間の 怠惰・無関心・無自覚で作られているのだ。
たくさんの人間のちょっとづつの「悪意」の蓄積が社会悪なのだ。

公害を起こし、その発覚を遅らせ、被害を拡大させた――
最初の災害は、不可抗力だったかもしれない……本当に知らなかったのであれば

しかし、気がついてからの対策の遅れ、これは不可抗力ではない、人間が他者に犯した悪意である。

もし、対応を遅らせたことを責められれば、その場にいた自分は「運が悪かった」と思うのだろう「他の人でも同じことをしたはずだ」
――社会悪はそうして作られる。

そしてごく限られた普通の人が「運悪く」被害者になってしまうのだ。
そしてその不運もまた、普通の人たちの怠惰によって、忘れ去られていく――



「水俣学」の原田正純氏は綴っている。
医者として現地に入り、最初に患者に言われた言葉――
「治らない病気を前にしたとき先生たちは何ができますか?」

この問い掛けの答えを、原田氏は考え続ける。
そして、「見てきた者の責任」として、この問題を引き継ぐ体制を作りたいと考える。


水俣病を、特殊な状況で発生した お気の毒な事件、で片付けてはいけない。
日常に潜む「水俣なるもの」の存在に気づくためにも、水俣病を多方面から学んでおくことが必要なのだ。

私は「自分たちの回りの水俣」を人間の心に潜む「怠惰」と解釈する。


更に、原田氏は こう綴っている。
「私は見てしまった。だから決して忘れ去ることは出来ない……」

それ以上、何も付け足すことはない
私はここに、沈思する――







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